稀に雪国・その二

 私の生息区域である政令指定都市は、地図上の位置関係から南国と思われがちだが、実はそうでもない。

 確かに、夏の暑さは厳しく、猛暑・酷暑は当たり前。それでも暑さで湿気がふっとべば幸運な方で、通常は充分過ぎるほどの湿度がある。毎日の湿度が八〇%~九〇%以上、気温が三〇℃を下回らない天然サウナ状態が続けば、「夏が終わるのが先か、倒れるのが先か」と考えてしまう程だ。

 それならば、冬は楽なのだろうと他の地方の方々は思うようだが、残念ながら日本海側なのでそれも違う。積雪こそ少ないものの、北風を遮ってくれる山地もない為、乾燥し切った寒風が元気に吹き込んでくるのだ。


 五年前、『六〇年に一度の寒波』が来ると予報されていた前日、事前に出来る準備はしていたものの、「明日の勤務は、相当に腹を括らねば」と緊張感を高めていた。何しろ、『六〇年に一度』であるからには、主力世代は誰も経験したことがないということなのだ。そして、色々覚悟を固めていた就寝前、当時はまだ仕事をしていた父親に言われた。

「お前の会社はなってない」

「はい?」

「明日は、重要なゲストを招いての講演会があるから、ホテルから会場までの予約を頼んだが断られた。こういう時の為のタクシーなのに、タクシー会社がそんなことでどうする」

「それはですね、お父さん、明日は車がまともに走れるかどうかが不明だから、迂闊うかつに予約を請け負えないんですよ。そもそも、ドライバーがどのくらい出勤できるか不明だし……」

 と、説明をしていたが、途中で遮られる。

「もういい。他の会社に頼んだから。他の会社が予約を受けられるのに、お前の所が受けられない筈がなかろう。とにかく、お前の会社はつまらん」

 昭和前半世代の父親がこういう物言いをする時は、こちらが何を言っても聞く耳を持たないと経験上知っている。なにせ、私の人生で最も長い付き合いだ。

「そう思うならそれでいいですよ。どこの会社に予約したか聞きませんが、たいそう無責任な会社ですね」

 と、言うに留めた。


 そして、予想以上に困難を極めた勤務を何とか無事に終え、やっと人心地ついた頃、今度は神妙な面持ちで父親がやって来て、言う事には───「お前が正しかった」。

 稀にありがとうは言うものの、悪かったやごめんなさいは決して言わない両親の片割れが、一体どうしたことか……。

「昨日言っていた、他の会社の予約していたタクシーは、一台もホテルに来なかった」

 あらら、どうりで……。

「うちのドライバーも半分ぐらいしか出勤出来なかったから、他所のことは言えないけど、一台もというのはさすがに酷いね。『行けません』の連絡も無かったの?」

「無かった」

「お父さん、昨日はお父さんが怒っていたから言わなかったけれど、こういう時こそ、私という最大のコネを活用してよ。私個人に依頼してくれたら、出勤出来たドライバーを確保して、送り込むから」

「判った。次からはそうする」

 さすがに殊勝にそう言った父親は、普段とはかなり違って少しは可愛かったと敢えて特筆しておこうと思う。


 半世紀以上に渡って我が街で暮らして働いている父親がコレなのだから、その日、私がお乗せしたお客さま達はもっと凄かった。

 早朝から、「ラウ◎ドワ◎に遊びに行きたいんです」と言って乗って来た若者達。「送るのはいいですけど、帰りは責任がもてませんよ?」と送りはしたものの、一五時にはバスもタクシーも運休したが、その後どうしたのやら……。

 路上に出て来ていた某高級ホテルのポーターさんに呼ばれてお乗せしたお客さまは、「寒いから、うどんが食べたい」と言い、指定のうどん屋さんに到着すると、「帰りのタクシーは捕まらないだろうから、ちょっと待ってて」と待たされ、そのままご自宅までお送りした。私が心の中で、「今日みたいな日は、大人しく家に帰ってど◎兵衛でも食っとけ」と思ったのはいうまでもない。

 他にも、予約で呼ぶ人は坂の上の家。

 自宅に帰れなくなっている人も、坂の上の家。

 気象予報士さんが、「不要不急の外出は控えてください」と言うのは、伊達や酔狂ではないのだ。


 プロであるタクシードライバーが心の底で、「自分にマニュアル車を与えてくれ。そしたら、まだしも何とかなるから~(泣)」と叫ぶような日は、本当に不要不急の外出は控えた方が賢明なのだ。ましてや日曜日。お互いに、そこまで命を賭けて出掛ける用事は、さして多くはない筈である。


 一日の売り上げが、通常より一.五倍から二倍に増えた日のお話。

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