稀に雪国・その一

 私の生息区域である政令指定都市にも、年に数度はそれなりに雪が降った。以前は。

 子供の頃であれば、たまに雪が積もると、雪だるまを作り、雪合戦もした。かまくらを作る程のことはなかったが、年に数回となれば子供達は大騒ぎである。小学校であれば、『雪が積もったから』という理由で、授業が中止になって雪合戦をすることさえあった。今はどうなのかは知らないが、まだまだ大らかな時代である。


 『以前は』と述べはしたものの、雪が積もらなくなったのは、どのくらい前だったか……。

 テナントの従業員として、もしくはOL(もどき?)として、バスで中心街に通勤していた二十代の頃は、たまの積雪で大渋滞。どうにも動かなくなったバスを降りて、慌ててタクシーを探すという事もあった。ついでに、通勤客がみんな降りてしまった後のバスの中で、一人で熟睡していた事もあった(気を利かせたバスの運転手さんが、昇降口のドアを開けたままにしてくれた為、寒くて目覚める事が出来た次第)。

 三十代の頃は、派遣やバイトや臨時職員など勤務先がちょこちょこ変わっていたので、主に中型二輪で通勤していたが、だからといって雪で出勤出来なかった事はないように思う。おそらくこの辺りから、雪は降っても積雪しなくなっていったのだろう。まあ、言うまでもなく温暖化の影響だ。猛暑という単語が、頻繁ひんぱんに遣われるようになった頃とも一致する。

 タクシードライバーになってからは、積雪とはいかないが場所によっては凍結している為、スタッドレスタイヤを履く事態もある。多少ふんわり雪が積もる事があっても、一時間もすれば解けるのだが、一応日本海側なので冷え込むのはそれなりに冷え込むのだ。それでも、二~三年はスタッドレスタイヤの出番がない冬も多い。


 しかし、二〇二一年一月、日本全国規模での大寒波の到来で、久しぶりにタイヤ大交換大会が発動した。

 これは文字通り、「まずい、凍結する!」と思った同営業所のドライバーが慌てて車庫に帰って来て、皆で力を合わせてスタッドレスに履き替える作業の事をいう。だが、本当に皆でやっていると、帰って来た車で渋滞し、車庫内が身動き出来なくなる為、作業に参加していないドライバーは、作業を手伝っているメンバーに「邪魔だからさっさと出て行け」と追い出されることになるのだ。

 この混乱に巻き込まれたくない準備の良い面子は、事前に自力でタイヤ交換を済ませているのだが、それをしているメンバーの方が少ない。なにせ、自分に災害が及ぶことはないと思っている人が多い、楽天的な気風の地方都市なのだ。


 そういう訳で、タクシードライバーでさえこうなのだから、一般のドライバーは推して知るべし。

 ちょうど五年前、六十年に一度といわれる大寒波が、私の生息区域を襲った。吹雪いていたこともあるが、路面がセンターラインも停止線も判らない程に真っ白に凍結していた為、徒歩での出勤だ。当然、遠方から通っている同僚や、山の上に住んでいる同僚は出勤不可能なので、根性次第で出勤可能なドライバーは頑張って出勤する。

 その日は、たまたま日曜日だった為、「各種イベントは、多分中止だよね。中止出来ない催しは結婚式と葬式ぐらいかな?」と、出庫前に皆で話をしていた。───が、実際は全く違っていたのだ。

 いや、確かにイベントは中止になっていた。しかし、朝からうろうろしている一般のドライバーの多いこと……。


 そして、これまで見た事がないような真っ白の道路を、ノーマルタイヤで走っている車の多いこと多いこと。


 当然のことながら、ノーマルタイヤでまともに走れる状況ではない。急発進は論外。通常のブレーキングも常識外。普通時モードの右左折など、正気の沙汰ではないといったところである。

 だが、積雪すら滅多になく、加えて六十年に一度の寒波の上、「なんとかなるさ」的気質の市民は呆れる程チャレンジャーだ。

 交通量の少ない早朝に、バス停に突っ込んでいる車あり(そしてドライバーはいない)、大きな交差点でスピンしている車あり、吹雪の中でスクーターを押して歩いている高齢者ありと、なんとも空いた口が塞がらない日だった。

 一つ一つを挙げていけばきりがないのだが、午後になる頃には、各ホームセンターからタイヤチェーンが消え、タイヤを売っているオートショップでさして在庫が無かった筈のスタッドレスタイヤが完売したのは、当然の結果だったと言えよう。


 そして、二〇二一年一月の大寒波は、それからたった五年後である。

 営業所を出る前には一抹の不安があったが、さすがに記憶が新しいせいか、ノーマルタイヤで走っている一般車両はほとんどいなかった。

 ただし、雪に慣れていない地域の住人には、路面が解けた後にはチェーンを外した方がいいという感覚が無く、路線バスとチェーンを装着したままの車が走り続けた挙句の果てに、激しく痛んだアスファルトが残る結果になったという事は、当たり前過ぎる結果だった。

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