やらかしちゃうのも人生
ノンフィクション・エッセイを名乗る以上、本当のことを書くのが義務だと思っている。ここ数話の美談寄りは、それだけではとてもよろしくない。
確かに、『上手くやれた』事もあるが、『やらかしちゃった』事も沢山あるのだ。成功率と失敗率が五分───だったらいいな?と思っている次第。
やらかし筆頭は、寝坊だろう。
ただの寝坊ではない、予約があるのに寝過ごしているのだ。それも、ただの予約ではなく、介護タクシーの予約───つまり、ヘルパー以上の資格を持つドライバーしか行けない予約があるのに、たっぷり・たんまり寝ていたのである。一度や二度ではなく……。
そんな時、寝起きの脳味噌は現実を拒否する。時計を見て、「これは嘘だ。時計が壊れているんだ」とまず考える。それからテレビを点けて、時計の正しさを思い知り、次に現実逃避を計り始める。「このままもう一度寝てしまい、電話に起こされることにしようか? それとも携帯電話の電源を切ってしまおうか?」───寝起きの頭で考えられるのは、所詮その程度のことだ。
起きた瞬間に時計が指していた時間は、予約の十五分前。どうやっても間に合わないばかりか、現場でスタンバイしていなくてはならない時間である。ただのタクシーの予約であれば、私の信用を質草にブッチするという手もある(そんな手はない)が、待っているお客さまは介護認定を受けている方々───これをブッチしてしまうのは、仕事の誇り以前に人道に悖る。
起床してからここに至るまでに、五分。あと十分しかない。
そしてようやく、当社の介護事務所に電話を掛け、結局自首することになるのだ。
長年不眠症持ちで、寝るのにも起きるのにも苦労するのです───というのは、この場合、やらかした事には変わりはなく、くだらないただの言い訳である。
やらかし次点は、『口は災いの元』に端を発する。
問題は、この災いが同僚のおいちゃん達に降りかかる点だ。
滅多な事では発動しないが、完全にやらかした相手に対して発動する究極奥義『フリージング・トーク』。
我を失う程の怒りを『ヒート・アップ』と言うが、私の怒りは強ければ強いほど『コールド・ダウン』していく。そして、相手に対する言葉遣いが酷く丁寧になっていくのだ。
「少しお時間をいただいてよろしいですか? よろしければ、そこにお座りください」で始まる氷点下の説教は、どこまでも理路整然と進められ、決して取り乱すことはない。相手が、自分のどこが悪かったのかを理解するまで続けられるそれは、たまたま周囲に居ただけの罪がないおいちゃん達をも凍結してしまうのだ。
そして、もっとも発動率が高いのが、一○八個の特技の一つ『唐竹割り』。おいちゃん達のあまりに聞くに堪えない言い訳や泣き言を、一刀両断する技である。私としては、こちらの方が被害者一名で済むからマシだと思っているのだが、現在は「再起不能になるから」という理由で、現在の上司に発動を禁じられている。
以前からの疑惑が、最近は確信に変わりつつあるのだが、どうやらおいちゃんという生き物は、大変打たれ弱い生き物らしい。それでいて、威張りたいことは威張りたいらしいので、ついつい「大概にせんか!」と発動してしまうことしばしば───自分より弱いものを守る主義ではあるが、果たしておいちゃん達は、守るべき相手なのか、少々疑問ではある。
そして、事故でもクレームでもないのに、やらかして、人様に迷惑を掛けてしまうことも……。
あるお客さまをご自宅近くにお送りした時、その場所は狭い急な斜面を登った先で、九〇度角のカーブがある所だった。ガードレールもないその先の道は車が通れない狭路になっているので、Uターンをした方がいいと、お客さまは忠告を残して去って行かれた。
Uターン? ガードレールもない狭い道で?
一旦車を停めて、降りて周囲を確認すると、狭路の斜面というか、切り込んだ土壁の下は人家。どう考えてもUターンするスペースはなく、バックで降りて行くのにも限界がある。ここは、大変申し訳ないのだが、九〇度角のカーブのところにある民家の駐車場が空いているので、そこを利用させていただいて反転するしかない。
けれども、私は苦労してでもバックで、慎重に降りて行くべきだったのだ。視界が悪い夜間ではなく、昼間の出来事だったのだから。
急な坂道に面した駐車場は、ちゃんと平らに作られている。つまり、道と駐車場には段差がある。それにも拘らず、「人様の土地だから」という遠慮があって、営業車の後ろ半分だけを駐車場に入れさせていただき、切り返しに必要なギリギリのスペースだけを確保して、反転にかかった───が、急な坂道を、私は甘く見ていた。車が微塵も動かなくなったのだ。
「何事?!」と降りて確認すると、タイヤが左の前輪と右の後輪だけしか接地しておらず、半ば宙に浮いてしまっていたのだ。何度も試してみたが、これでは駆動力が伝わらず、前にも後ろにも動く事が出来ない。
もはや自力ではどうする事も出来なくなって、当時の先々代営業所長に助けを求めた。そして、所長が到着する前に、当の民家の方に謝罪をし、駐車場に入れるべき車が夕刻まで帰宅しない旨を確認した。
所長が到着しても、営業所で対処出来る範囲ではどうにもならず、結局JAFを呼ぶことになり、通る人も車も少ないとはいえ、真夏の炎天下で世間の晒し者と化す。仮にもプロドライバーが乗っているタクシーだけに、恥ずかしさは天井知らずだ。
ようやくJAFが到着して、ようやく車を救出するすることが出来た。JAFにお世話になるのは、実は初めての経験で、噂に聞くJAFの対応力の凄さに感動すら覚えたものだ。
事故でもクレームでもなく、自車も他の物も壊しておらず、本社に報告されることでもない。
それでも、一件の民家にご迷惑をかけたのは確かで───その日のうちに菓子折りを持ってお詫びに伺ったのは、言うまでもない。
およそ¥800ほどの、お近くの送迎。それでも事件は起こり、失敗した経験を経て大人になるというお話。
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