未成年者略取未遂事件

 それは運命なのか、偶然か、それとも人という生き物の底力なのか───同僚達曰く、「お前だけだよ、それはっ!」的出来事が、季節の風物詩ではないがもう一つある。


 その前に説明しておかなければならないが、物心ついた時から私は無類の動物好きで、かなりの子供好きでもある。動物好きには、食物連鎖&環境問題から植物好きが付随する。その二つを両脇に抱えて、モノズキ街道を爆走して来たが、気が付けば、子供好きも背後に牽引されて付いて来ていた───と、思っていただきたい。

 その道を半世紀も歩いて来ると、修行の成果(?)か、近年では私の周囲に電波というか念波というか、何かそのようなものが張り巡らされているらしい。なので、突然見知らぬワンコに背後から襲われ、『遊んで』と主張されたり、通りすがりの野良ニャンコと挨拶を交わしたりするのは、日常の茶飯事なのである。

 だが、それが対人間である場合、事情はすこ~し───いや、かなり違う方向に反れてしまうのだ。


 或る日の仕事の合間、私は予約仕事の時間調整で、大きめの郊外型保書店に居た。店内にはレンタルDVD部門と、ゲームセンターが併設されている。

 しばし、何か楽しい本はないかと本棚を物色していると、わりと近くで子供がぐずぐずと鼻をすすりながら泣いている気配がした。視線を下げると、私の腰よりまだ下に頭がある三歳前後の男の子が、べそをかいているだはないか。

 視線に気づいたのか、男の子は私が見ていることに気付くと、足に体当たりをする勢いで抱き着き、ギャン泣きを始めたのである。

(動物と同じように子供をナンパするのも好きだけど、今は特には何もしていない。見ていただけだ。なのに、何故にこの状況?)

 理由は判らねど、発生してしまった状況は仕方がない。ここは対応するべきところだろう。

 ゆっくりかがんだ私は、子供と視線を合わせ、笑顔で出来るだけ優しい声を心掛けて話し掛けた。

「どうしたの?」

「ママ……ンママ……」

 泣きながらパニクッている子供に、論理的な説明は出来ない。まあ、その必要もなかった。

「ママが居ないの? じゃあ、店員さんに探してもらおう。おばちゃんも探すからね。ボクのお名前は?」

「ユウくん」

「そっか、ユウくんか。ちゃんと泣き止んだね、偉いぞ。おばちゃんも一緒に行くから、店員さんの所に行こう」

 私は身長差を無視して、遥か標高が低いところにあるユウくんと手を繋ぎ、レジカウンターに向かって歩き始めた。すると、本棚の間のやや狭い通路から出て、レジカウンターに向かう広い通路に出るとすぐに「ユウくんっ!」と、血相を変えた声が聞こえた。

 振り返って見たお母さんらしき人の顔は、遠目に分かるほど蒼褪めている。ここでようやく、「しまった」と私は気付いた。

 私の身長は一七○cm超え。制服は安物の生地だが、男性用スーツにも似た三つ揃い。加えて、可能な限りのショートカットにノーメイク───男性と間違われた前科は、もはや数えていない。

 つまり、『見知らぬ男性が息子を連れ去ろうとしている構図』にしか、見えないのである。

 緊張の一瞬は、ユウくんの叫びで断ち切られた。

「マンマ~!!」

「よかったね、ユウくん。ほら行っといで」

 そっと押し出すと、ユウくんは脱兎の勢いでお母さんの所に走って行く。その時になって、お母さんは私に少し頭を下げた。私も笑って軽く会釈することで応じた。多分、誤解は解けただろう───そう思いたい。


 後日、似たようなことがもう一件あった。

 今度の現場は、本屋ではなくコンビニの軒先である。

 私のコンビニ休憩のルーティンは、外で一服→店内で憚り→買い物と相場が決まっていた。

 その喫煙している大人たちから少し離れた軒先に、小学三年生ぐらいの女の子が項垂れて立っていた。今日は一日中雨で、結構肌寒いにも拘らず、長い髪も服もかなり濡れてしまっている。

 何気に様子を見ていると、女の子はきょろきょろと周囲を見回し、私と視線が合ったとたんに、声を上げて泣き始めたのである。

「ちょっと、どうしたの? 迷子?」

「…おうちは近くなんです」

 泣きながら女の子は言う。さすがに三歳児よりは、話が通じ易い。

「濡れているから風邪をひくよ? 近くなら帰った方がいいよ?」

「帰れないんです。お友達と約束をしていて、必ず待っていると約束したから……」

「それ、何時?」

「一時(十三時)です」

 すでに二時間は経っている。これは、かなり質が悪い友達と言わざるを得ない。

「辛いと思うけど、もう三時(十五時)だから来ないと思うよ?」

「でも、待っているって約束したし、お母さんも約束は守りなさいって」

「じゃあ、おばさんが送って行って、お母さんに待っていたんですって説明するから、帰ろ?」

「お母さん、お仕事で家にいなくて。電話したら怒られるし……お友達も、明日、約束の場所に行ったけど、居なかったねって言われるし……」

 母親も友達とやらも、質の悪さが度を過ぎている。私も子供の頃の体験が思い出されて更にムカムカした。

「判ったよ。それで困って、泣いちゃったんだね。ここは、おばさんが大人の知恵を貸すから、ちょっとだけ待ってて」

 私はコンビニに入り、温かい飲み物を買った。最近の親は子供の飲食に敏感だから、甘いコーヒー&紅茶類は避けた方がいいだろう。ホットレモンは冷えた体に有効だが、好き嫌いがある。だとすると、麦茶か緑茶。麦茶の方が無難だが、麦系のアレルギーがあるとマズイので、消去法でホット緑茶にした。

 そして、コンビニの店員さんに事情を話し、同じレシートを二枚出していただき、そのうちの一枚にその場で書付をする。曰く『私はタクシーの人です。まみちゃんはレシートの時間まで雨に濡れながら待っていましたが、風邪をひきそうなのでお家に帰ってもらいます』と。そして、その書付をコンビニの店員さんに託し、子供達が来た場合、渡してもらえるようにお願いした。来なかったら捨てていいですからと。

 そして、まみちゃんには車に乗ってもらい、お母さん宛てにほぼ同じ内容の書付をする。それをまみちゃんに読んでもらい、「ちゃんとお母さんに渡すんだよ」と念を押す。

 まみちゃんの家は本当にすぐ近くの団地だったが、玄関先まで送って行き、「シャワーが使えるなら体を温めて、シャワーが出来なくてもちゃんと乾いた服に着替えて、髪を乾かして、温かくして温かいお茶を飲むこと。落ち込んでいるのは判るから、部屋の電気を点けて明るくして、楽しいテレビでも見ていること。玄関の鍵は閉めて、家族以外の人が来ても開けない事。それが約束していた友達でも、今日は開けたら駄目よ?」と念を押した。

 「できるね?」と訊くと、「はい」と少し元気に答えてくれた。

「じゃあ、おばちゃんは、鍵が閉まった音が聞こえたら帰るからね」

「はい、ありがとうございました」

 ………いい子じゃないか。

 けれど、いい子だから、お友達に意地悪されるのだろうし、お母さんも放置気味なんだろうなと思うと、少し切なかった。


 そして、一人になって思い至る。子供を説得して営業車に乗せる行為は、かなりギリギリのラインではないのか? 犯罪寸前?

 ちょっとドキドキしたが、まあ、多少でもあの子の役に立てたのならそれで良しとしよう。かつて、私もそうやって、知らない大人に助けて貰ってきたのだから。

 およそ三十分ほどの、休憩時間でのお話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る