桜の花が咲くころ・その一
タクシードライバーの忙しさというのは、季節の行事にほぼ連動している。そして、販売・飲食などのサービス業の繁忙期とも、連動していると言っていいだろう。一番忙しいのが年末、一番暇なのが一月の下旬から二月中旬ぐらいまで───それほどに同じだ。
卒業式だ・入学式だとか、歓送迎会だとか、プロ野球の開幕や大相撲、大型コンサート等々、何か事が起これば忙しくなるし、機動力が勝負の業種なだけに、人の動きを先読みしてわざわざ行ってみることも重要になる。
そんなわけで、桜の開花予報も重要な情報だ。二・三分咲きの頃にフライング気味に花見に出る人もいれば、葉桜寸前まで楽しんでいる人もいる。花見の名所は大きな公園が多く、通常営業の時であれば全く通らない場所もあるので、時期を考えて、深夜でも取り敢えず巡回するまめさも重要だ。そうすれば、たまに花冷えで凍えた、遭難しかけのカップルと遭遇することもある。
とにかく、花見客は乗車率が高い。昼間は御高齢の先輩方が歩くことに疲れた為、また小さなお子さん連れで荷物が多く移動が大変な為に。そして夜間は、ついつい終バスや終電を逃してしまう人が居る為に、かなりの確率で乗っていただけるものだ。
そんなふうに、開花のタイミングを計っていた何年か前の早春に、私は営業所の同僚達にふと漏らしてしまったことがある。
「そろそろ花見のシーズンが来るねぇ」
「そろそろだぁねぁ」
「つまり、認知症の高齢者をお乗せする季節だねぇ」
「?」
「???」
「…ナニ、それ……」
いきなり、認識の溝が爆誕した。
「あ、あれ? みんなは違う? 桜が咲くと、ついつい徘徊に出た認知症の人と遭遇しない?」
「ないねぇ」
「過去に一度も……」
そう言うのは、私よりタクシー歴が長い先輩方だ。
「そうなんですか? 私、このシーズンになると毎年二~三人はご乗車いただくんですけれど……」
『ない』と主張するドライバーと私の最も大きな違いは、私が介護福祉士で介護タクシーのメンバーであるという点である。なので、同じくその場に居た介護タクシーの先輩方に、視線で助けを求めた。
「ないよ」
「俺もない」
そんなバカな……。
では、毎年毎年発生している困難な運行(お客さまをお乗せして走ることを、業界用語で運行という)は、私一人の季節行事だったという事なのか?!
他の介護タクシーのメンバーと私の違いは───緊急事態遭遇率だろうか……。
別に介護タクシーのメンバーだからという訳ではなく、子供の頃から緊急事態に遭遇する率は高かった。学生時代には、『トラブルシューター=トラブルを持ち込まれる人』という二つ名まであったのだから、そういうお星さまの下に生まれて来たのだと、そう思うしかない。
当然、それは現在でも有効で、介護タクシーに携わってからというもの、先輩方ですら遭遇したことのないレベルの緊急事態に遭遇している自覚はある。───けれど、まさかこんなところにまでソレが適用されていようとは、全く気づきもしなかった。
多分、科学でも医学でも心理学でも立証できないと思うのだか、『桜が咲いた』と『師走』というのは、日本人の深層心理に深く刻まれているキーワードなのだと感じている。
介護認定度が低く、自力で動くことが困難ではない認知症の方々は、前者ではわくわくして、後者ではそわそわして、『何かをしなければ』と行動を起こしてしまうのだろう。そして現在位置を見失い、何をしていたのかが判らなくなり、タクシー(私)を拾ってしまうのだ。
そして、おしゃべりタクシーの私は、ほぼ満遍なくお客さまに話し掛ける。人生の半分以上を介護、とくに祖母を含む認知症の方々と会話して来たが故に、話をしている間に、お客さまの状態に気付いてしまうのだ。
だが、介護タクシーの任務に就いている時以外に、営業車に外から判る表示を掲示してはいない。ましてや、通りすがる一瞬で判るようなのぼり旗など立ててはいない。なのに何故、的確に私を停めているのか───それはきっと、『動きがスローな認知症の方は、目を離した数秒の間にワープ移動をする』と介護経験者の間でまことしやかに囁かれる噂と同じように、解くことができない謎なのだろう。
「認知症のお客さんを乗せて、その後、料金は貰えたとか?」
「だいたい、送って行く場所とか分かると?」
「ポイ捨てとかしとらんめぇね」
半信半疑と揶揄いを含めて、追及される。親愛の情込みなので、勿論腹は立たない。
「プロのプライドに賭けて、送るべき所に送れなかったことも、料金を貰いそこなったこともありません」
胸を張ってそう答えると、やんやの喝采を貰った。
そして、質問攻め───どうやって送るべき所を聞き出すのか、そもそもどうして認知症だと判ったのか───こればかりは、説明が難しい。一〇八個の特技の一つではあるものの、多分に経験則がものをいっているテクだけに、人に伝授出来る事ではないのだ。
おそらく、介護タクシーのメンバーの中でも、同じ事が出来るのは、私の師匠である先輩一人だろう。
「みなさまがお困りの際は、是非ご連絡ください」
言えるのはそれだけだった。
とある早春の、他愛もない休憩時間でのお話。
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