もしもし移動相談室・その二

 二〇一九年・令和元年、ラグビーワールドカップ日本大会が開催された。

 元々、ラグビーが盛んな地方である私の居住地にも、否応なくラグビー熱が押し寄せて来た。私としては、野球・サッカー・バスケとプロチームがあり、やたらとスポーツの強豪校があることは知っていたが、ラグビーやアメフトも盛んなのだという事を、地元民のくせに近年までは知らなかった───地方都市で、これだけスポーツが盛んな所は珍しいのだと、とある報道の方に聞いた。

 まあ、そんなわけで、普段は滅多にお目に掛からないラグビー関係者に遭遇する年になったということである。


 その中に、非常に似通った───ただ、対応ベクトルが正反対のお客さまがいたのだ。


 現在、夜勤の仕事をしているので、お客さまはお酒を飲んでいる方がほとんどだ。夜が深くなればなるほど、お客さまの酔っ払い度は高くなる。ラグビーAくんも、乗車して来られた時、かなりへべれけの様子だった。

 高速に乗って、市を二つほど挟んだ向こうの三つ目の市街地へ───というのがオーダーである。

 そして、高速に乗ったとたんに炸裂するただならぬ下ネタの嵐。大学だか社会人だかは知らないが、ラグビーの選手であることは、高速に乗る前に自ら話してくれた。

 ただならぬというのは、「おねぇさんのセックスライフの話が聞きたいなぁ」という内容だったからだ。

 通常の酔っ払い客の下ネタというのは、「このままラブホに行こうよう」だったり、「夜の海岸に一緒に行かない?」とか「車の中で何かしていい?」などである。適当に流してはいる。───が、正直に言えば。まるっきり初対面の上、暗い車中で顔も見てないくせに・座っている姿もほとんどシートに隠れていて判らないし・立ち上がった姿も見てないくせに、何を言うとんねん。あんたアホちゃうか?(私は大阪人ではない)───というのが、私の本心である。こちらは素面で、お客さまと自分の命と収入が懸かった仕事中なので、まあ当然の感想だろう。それでもしつこければ、「ここで降ろしていいですか?」とか「ドリフトかましますよ」というのが常で、運転席に手を伸ばして来た相手を引っ叩いたこともある。

 それらの酔漢とラグビーAくんの違いは、私に手を出したいのではなく、私のセックスライフが聞きたいという一点張りだったことだ。

「ノーコメントです」

「どうしてですか、俺、本当に聞きたいんですよ」

「初めて会った人に話すような話ではありません。加えて、仕事中にプライベート中の超プライベートな話もしたくありません」

「俺は気にしないけど?」

「私が嫌だと言っているんです」

 この押し問答は、結局Aくんの自宅に着くまで続いた。途中で、女の子の百人切りの話などもあったが、その話に女性が感銘を覚えるとすれば、『ロクデナシ野郎』ぐらいだろう。夜のお店の人であれば、『カモれるかも?』と思うかもしれないが。

 Aくんの自宅は立派な戸建てで、別れ際に「実は俺、奥さんも子供もいるんだよね」と軽やかに言って去って行った。


 そこでようやく、私は「おや?」と思った。もしかして、本当は別の話をしたかったのではないだろうか?

 けれど、あのマシンガン・トークの下ネタの嵐では、そこまで読み取ることが出来ず、何だかモヤモヤしたものが残っただけだった。


 その謎が解けたのは、数日後、ラグビーBくんに出会ったからである。

 Bくんはほろ酔い気分で、自分がラグビーの選手であることを自分から話してくれた。そして車中で、実家に行っているという奥さんとお子さんに電話を掛けて「早く帰っておいでね」と話しを終え、次に別の女性に電話をして、「今から部屋に行くから」と言う。つまり、奥さんの居ない隙を狙った浮気である。

 通話を終えたBくんは、「最低な男と思うでしょう?」と私に言った。「サイテーですね」と正直に答える。

「でも俺、奥さんも子供達も大好きで大切で───特に浮気したいわけでも、今から会う相手が好きなわけでもないんです。でも、衝動が治まらなくて……俺、どこかおかしいんですかね?」

「気持ちは家族の上にあるのに、性衝動が治まらないってことですか?」

 ふと、数日前のAくんの話が思い出された。

 下ネタ云々を極限まで削除すれば、Aくんの話もそういう話だったのかもしれない。


「お客さん、それは浮気とは別の問題かもしれませんよ?」

「はい?」

「スポーツ選手なのですよね? ラグビーは一種の格闘技と聞きます。当然、練習も真剣でしょうし、試合の前ともなれば闘争心とかを意図的に掻き立てるでしょうし、勝手も負けても、それが残っていますよね?」

「ええ、それはまあ…」

「つまりそれは、興奮物質というか、アドレナリンが過剰分泌されているということなんです。練習も試合も終わった後でそれが余っていれば、男性は特に性衝動に転換されるというのは、不自然な事ではありません。例えとしては適正ではないかもしれませんが、戦争中にレイプ事件が多いのも、同じ原因だと言われています」

 おそらくBくんは、そんな関連性を考えた事がなかったのだろう。狐に摘まれた口調で、「そうなんですか?」と言った。

「そうなんです。それは生理現象で、おかしな事ではありません。ただし、それで浮気に走るというのは、非常にいただけません。下手をすると、大好きな奥さんもお子さんも、全部無くしてしまいますよ」

「では、どうしたら?」

「奥さんに、正直に相談するのが一番です。言いにくい事だとは察しますが、人生を共に歩くパートナーなのですから、『こういう話を聞いて、自分は実はそれに悩んでいたのだけど』とちゃんと話をしてください。それならばと、奥さんが付き合ってくれればそれで良いでしょうが、諸事情で無理となれば、処理の為にそういう店に行く事を許してくれるかもしれません。あるいは、それでも他の女の人の所に行かれるのが嫌だということであれば、スポーツ心理学を心得ている病院もありますから、必ず夫婦で相談に行くことをお勧めいたします」

「けれどそれは……」

「性の問題だからこそ、奥さんに相談しにくいでしょう。けれど、性の問題だからこそ、奥さんと真剣に相談する必要があるんですよ。家族を手放したくないのであれば」

 しばらく沈黙した後、Bさんは「考えてみます」と真面目な口調で答えてくれたので、私は少しほっとした。


 Bさんの事があって改めて振り返ると、Aさんも同じ悩みを抱えていたのではないかと思えた。よく理解できない下ネタトークを展開するより、ちょっと相談してくれれば、話してあげられることもあったのに───と、残念でならない。

 だが、それも縁というものなのだろう。



 Aさんは¥5000、Bさんは¥1500ほどの移動時のお話。

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