もしもし移動相談室・その一
『誰かに聞いてみたい事。聞いてもらいたい事』というのは、誰にでもあるだろうが、私が考えていたより多くの人がそれらを抱えているらしい。
しかし、その『誰か』というのには、それぞれに条件があるようで、親や家族や伴侶(恋人)に聞いてもらいたい話は、タクシーの車中では展開されない。いわずもがなだが、そのような話であれば、その特定の人に聞いてもらわなければ意味がないからである。
タクシーの中で展開するのは───
1.自分ではない、意見を言ってくれる誰か。
2.家族・友人・知人ではない誰か。
3.まかり間違っても、自分の交際範囲に情報を漏洩する可能性がない誰か。
───に、聞いてもらいたい話である。
そういう事柄を抱えた人の前に、『知らないどこかの誰か』である人が、とてつもなく好都合な密室を伴ってノコノコ通りすがる。何が好都合かというと、この密室では顔を突き合わせて話す必要がないのだ。更には、ちょっと話してみて良い反応が得られなければ、無理矢理話す必要もないのである。
どうやら、それがタクシーの特殊用途らしい。
各タクシー会社にもよるが、私の所属する会社では、後部座席に座るお客さまから見える位置に、自己紹介カードが掲示してある。
以前は取得資格なども表示されていたが、現在では、社会と会社の都合で、一部の資格は表示されていない。その一部というのが、『ヘルパー資格保持者』及び『介護福祉士資格保持者』である。
それというのも、御国の肝いりで始まったユニバーサルドライバー研修というのがあって、その研修修了者と混同されては困るからだ。八時間の研修を一日受けただけのドライバーと、資格を取得し、日々介護業務に携わり、テクニックの研鑽と知識の蓄積を重ねて来たメンバーを混同されてしまえば、現場で無償奉仕を強いられるからだ。
勿論、介護に携わろうというメンバーだから、困っている人が居れば手を貸すし、それで料金を取ろうとは思わない。けれど、意図的にそれを利用されては困るのだ。我々は、資格を持って、他のドライバーには出来ない+αの仕事をしているのだから。
そうそう───申し遅れたが、私は介護福祉と衛生管理の資格を取得している。
資格の掲示がまだなされていた頃、たまたま乗車していただいたお客さまから、健康相談を受けることが頻繁にあった。「病院に行くほどではないけれど、ちょっと具合が悪くて」という案件である。
ヘルパーや介護福祉士は、医療の資格を持っているわけではないのだが、介護に係わったことのない人々にとっては、介護士と看護師は似たようなものらしい。おしゃべりドライバーの私は、勿論、答えられる質問には答える。
とある若いカップルが乗って来られた時、男性の方が酷く鼻の調子が悪い様子だったことがあった。
「お風邪を召しましたか?」と訊くと、「鼻水だけなので、風邪じゃないみたいなんです」との答え。
「では、花粉症ですか? 目が涙目になってはいませんか?」と更に訊くと、「アレルギーもないんです。ちゃんと調べましたから」とのこと。なので私は、声をワン・トーン落として、三つ目の質問をした。
「お客さん、食べ物に好き嫌いがあるでしょう? それもかなり極端に」
「えっ、何故それをっ?」と驚く彼氏。
「そうなんです。すごく偏食があるんです」と彼女。
「根本的な問題は、栄養価の偏りです。取り敢えず、自動販売機ので構いませんから、ホットはちみつレモンを飲めば、当面は治まります。ですが、根治したいのであれば、体内に溜め込むことが出来ないビタミンCを絶やさない事───彼女さん、ビタミンCは判りますね?」
「はい、大丈夫です」
「では、ビタミンCの接種は彼女さんの言う事を聞いて、あとは努力してネバネバ食材を食べて下さい。オクラ・納豆・メカブ・なめこ───ネバネバしているものを、出来るだけ多く食べるのです」
「全部、苦手なものなんですけど……」
「だから鼻たれになるんですよ。ネバネバ食材は粘膜を強化します。鼻だけでなく、口の中も胃も腸も強化されて、美味しくご飯が食べれるようになりますよ」
嘘ではない。本当の事である。
また、別の時には、「家まですぐ近くなんですけど、お願いできますか?」と、具合の悪そうな女子が一人。
「それは全く構いませんが、お風邪でもひかれましたか?」
と、言うと、「いえ、生理で貧血で…」との答え。
「ああ、それはキツイですね。おうちには誰か?」
「いえ、一人暮らしです」
「じゃあ、体を冷やさないようにして、水分をしっかり取ってください。コーヒー・紅茶・緑茶・アルコールは駄目ですよ。水か麦茶、補水液かせめてスポーツドリンクにしてください。おうちにありますか?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「痛みがあるうちは余り食べられないでしょうから、喉を通りそうなものを少しでも食べてください。そして、食べられるようになったら、栄養価の高い物を───このまま帰って、保存食のような物はありますか?」
「はい、春雨ヌードルがありますから……」
と、彼女が答えた瞬間、私の声はツートーンほど下がった。
「春雨ヌードル~? そんなのもっての他です。お菓子を食べた方がまだマシというものです。ダイエットは元気な時にすることです。体調不良の時には、高カロリーでエネルギー源になるもの、血や肉になる食材を食べてください」
「は~い~、ごめんなさい。そうします~」
いきなり私に叱られてしまった彼女は、帰宅するまでに、貧血を改善する食材のレクチャーを強制的に受けることになってしまった。
どちらも、およそ¥800程のの移動時のお話。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます