『挟まれ屋』という出稼ぎ

 『当たり屋』といえば、どのような人達であるか、多くの人は知っているだろう。自分が被害者になる交通事故を仕組み、事故の加害者となった被害者に、高額な金銭を要求するという行為をする人種である。

 逆に、『挟まれ屋』と聞いてもピンと来ないと思う。内容は大同小異なれど、タクシードライバーを狙った作戦だ。


 手順としてはこんな感じ───まず、お客さまとしてタクシーを停車させ、ドアを開けると、「××まで、大至急だ。急いでくれ、ほら早くドアを閉めろ」と大騒ぎしながら乗り込んでくる。そして、運転手が言われるがままにドアを閉めると、わざとそのドアに挟まれる。慌てる運転手を急がせて発進させ、車中でいかに大怪我をしたかを声高に主張し、それでも急ぐからと目的地に向かわせながら、この怪我が会社にばれるとマズイだろうとか、骨折しているようだから膨大な慰謝料が発生するぞと脅かし、持っている金銭を脅し取るという方法だ。

 これを行っていたのは、堅気崩れではなく、本物のヤっちゃんだったらしい。私が居住している県内ではなく、近隣県から出稼ぎに来るのだそうだ。

 何故、私がこうも詳細を知っているのかというと、タクシードライバーとして新人研修を受けている時には、もう知れ渡っている手口だったからだ。研修の期間に注意喚起されている上、実際の乗務に入ってからも、出稼ぎ軍団がやって来る度に、タクシー協会から御触れが回ってきたものだ。

 それだけ判っていながらも、してやられてしまう同僚がいるのだから、私は不思議な気がしていた。


 或る日、私の直接の上司である営業所長が、「そういえば君は、隔勤(一日交代勤務の事。その頃は二十四時間勤務だったが、現在は労基で二十時間までになっている)で夜も走っているのに、何も言って来ないが、怖い目に遭ったりしていないんか?」と訊いて来たのは、私が入社してから一年前後が過ぎてからだった。

 所長の名誉の為に述べておくが、タクシーという仕事は毎日が嵐のようなもので、クレーム・違反・事故などの三大案件が発生する度に、お客さまの自宅・本社・タクシー協会・陸運局・警察・病院等、各関係部署を複数回り、クレーム対応と当該乗務員の指導と報告書、当該違反者に対する指導と報告書、事故処理に関する多くの交渉───一つの営業所に二~三人しかいない管理職が、一〇〇頭近くいる迷えるおいちゃん子羊達がしでかしたことの後始末に、日々追いかけ回される激務なのである。

 そういうわけで、何をしでかした訳でもない、特に何を相談してくるわけでもない新人を思い出すのに、ちょっと時間が掛かっただけなのだ。

 私自身は、古株の三賢人ともいうべき三爺が、ちゃんと面倒をみてくださっていたので、特に不自由はしていない。


 それを訊かれた時の営業所には、所長と私を特に気に掛けてくださっている三爺の御一人と私しか居なかった為、真面目に記憶を辿り、一つの報告をした。

「そういえば、以前一度だけ、『挟まれ屋』さんに遭遇しました」

「「 はあっ?! 」」

 うむ、見事なユニゾンだ。

「何故、その時に報告しなかった?」

「報告するほどの事にならなかったので~」

 勿論、責任者と大先輩がそれで納得するわけがない。結局、私は事の詳細を報告する羽目になった。


 タクシーに乗り込む過程・足を挟まれてみせて大騒ぎをしつつ待ち合わせ現場に急がせる過程は、情報で聞いていた通りの展開だった。

 「足を挟まれた」と言われた瞬間から、私は病院に行く事を主張した。情報通り、先方は「大事な相手を待たせているから」の一点張りである。仕方なく移動している間にも、「これは折れているかもしれん」とか「脂汗が出て来た。こりゃ、たまらん」などと重傷度を主張し続けた。「お客さま、挟まってしまったのはくるぶしから下ですか? どの辺りが痛みますか?」と問診口調の私。これは私が持つ、一〇八個の特技の一つである。その方曰く、負傷部はくるぶしから下で、痛みで特にどこかは判らないとのこと。

「お客さま、それは大変な事です。どれだけ大事なお相手かは存じませんが、くるぶしから下は細かい関節が幾つもあって、その関節を軟骨や細い骨で繊細な動きを可能にしている精密機械のような器官です。処置が遅れると、歪んだ形のまま癒着して、下手をすると二度と普通に歩けなくなるんですよ。やっぱり病院に行きましょう」

「だから、待ち合わせが───」

「その待ち合わせの方の、お名前と連絡先を教えてください。私が連絡をして事情を話し、謝罪いたします。必要であれば呼んでまいります。お客さまは、どうかこのまま車中でお待ちください。近くに救急受入をしてくれる病院がありますから」

 付け加えるなら、その病院の隣は、この地区の中核警察署だったりもする。

「病院に行ったら、会社に全部ばれるだろう? そしたらあんたの立場が───」

「勿論、お客さまを病院にお任せしたら、会社に全部報告いたします。立場がなんですか。私は、お客さまに怪我をさせて放置するような、非人道的な人間になりたくはありません。会社に報告をすれば、保険が下りて確実な治療と保証が受けられるんですよ」

 実は、立て板に水も一〇八個の特技の一つだ。

 この善意溢れる(フリの)主張に、『挟まれ屋』さんはとうとう折れた。目的地に到着すると、「もういい」と言って自分で車のドアを開け、道路に降り立ったのである。

 そして振り向きざまに、「湿布代」と言って手を出した。

「すみません、私、新人なもので、釣銭用の小銭しか持ってません」

 と、答えると、舌打ちをして普通に歩いて去っていったのである。


 事の顛末を聞き終えると、しばしの沈黙の後、営業所の責任者である所長が気力で訊いた。

「それで、被害は?」

「運賃は貰えなかったので、¥700ほどですかね?」

 答えると、それまで口を挟まなかった大先輩が、落ち着いた声で言う。

「所長、この子は放って置いてもよいのでは? 私も注意は払っておきますから」

「そうみたいだな───未遂に終わった件でも、一応報告するように。それから、手に負えないと思った時は、大事になる前に相談するように」

「はい、了解いたしました」


 この件は、本当にこれだけで終わった。

 そして、何年もしないうちに、出稼ぎの人達は来なくなった。


 一方で私は、それからずっと、報告することがある時以外は、放って置かれたまま現在に至っていたりするのだった。

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