もしもし移動相談室・その三
これは少し前のお話。私が日勤で勤務していて、自己紹介表に『介護福祉士資格保持者』と表示してあった頃の事。
『介護福祉士資格保持者』の表示に反応するお客さまは、意外なほど多かった。自分は、母方の祖母→母方の義理の伯母→ヘルパー→介護福祉士と歩んで来たが、多くの人々は、家族の誰かが、あるいは自分自身が介護状態になって、初めて介護というものに直面するのである。
だから、必要になった介護サービスをどうやって受けたらいいのか・どこに相談すればいいのかも判らないし、どのような支援が受けられるのかも判らない。ましてや、介護状態にまでは至ってないものの、各種不安要素が出て来ただけの状態では、なおどこに相談すればいいのかわからず、途方に暮れている人は多い。
そんな時、たまたま乗ったタクシーの乗務員が、通りすがりの介護福祉士だった場合、日頃の疑問を気軽に訊けるというのは、かなりいい事なのだと思う。これは、そんなお話。
買い物帰りの御婦人にたまたまご乗車いただき、自宅までお送りした。高齢と呼ぶにはまだまだお若い、私よりお姉さまなご婦人。彼女もまた、『介護福祉士資格保持者』の表示に強く反応した。
最初は、近年は少しずつ体の不調が出て来て、いつかは介護サービスのお世話になるだろうから、その時はどうしたらいいのかという話だった。───が、よくよく話を聞くと、現在の問題はそこではないらしいと判った。
お姉さまは、先にご主人を亡くされ、自宅でしている商売を受け継いだのだという。一人では大変だから、近くに住んでいるお嫁に行った娘さん二人が手伝ってくれているのだそうだ。そちらは、女三人でなんとかやっているが、問題は自宅の状況なのだという。「住む所が無くなるかも」というのだから、ただ事ではない。
「ご商売ということは、お店ですか? ご自宅兼お店の状態なのでは?」
と、訊くと、道に面してお店兼事務所があって、自宅は同じ敷地内の裏にあるのだそうだ。その自宅に、ここ数年で息子一家が同居するようになったのだが、それで困った事になっているとのこと。
はっきり言えば、一対四の家族構成の為、息子家族の荷物が多く、自宅が占拠されつつあるのだという。
人数が違うから仕方ない───と思う人も多いだろう。相談しているご婦人本人も半ばそう思っていた。けれど実は、仕方ないで済ませてはならない問題なのである。そうやって徐々に家を占拠され、持ち家があるのに住むことが出来ず、帰る事も出来なくなる人を、私は知っているのだ。
「アドバイスは出来ますが、方向性を間違ったらいけないので、詳細を質問させてくださいね。言いたくないことは言わなくて構いませんので」
私が確認したのは、以下のことだ。
一.お店と自宅は誰の名義になっているのか(ご主人が亡くなった時点で、相続が 行われている筈なので)。
二.息子さんの職業とお嫁さんの職業。そして、同居の理由。
三.同居にあたって、家賃等を払って貰っているか。
四.お姉さまが使いたい部屋と、息子さん達に使ってもらって構わない部屋。
答え一.相続はきちんとしたが、お店も自宅も名義は奥様であるご婦人の物。
答え二.息子さんは一般企業にお勤めで、お嫁さんは在宅ワークの共働き。夫婦の 収入はほぼハーフ。家賃が高騰し、お子さん二人が小学生になってお金が 掛かるようになり、家賃節約の為の同居。
答え三.家賃も貰っていないし、光熱費等も貰っていない。食事は別になってい る。
答え四.基本的には茶の間と仏間が使えればOK。しかし、門から玄関までの通路 に自転車等置いてある為、買い物荷物を持っては通りにくい。同じよう に、廊下に荷物が出て来ている為、通るのが怖いし、お友達を呼ぶことも できなくなった。
と、いうことだった。
「最後に大事な事を一つ確認します。同居をやめたいですか? それとも、このまま仲良く・上手くやって行きたいですか?」
「上手くやって行きたいです」
ご婦人の答えは明白だった。それならば、アドバイスもしやすいというもの。
「まず、家族会議を招集してください。この場合、子供達を除いた関係者全員の招集が望ましいです。絶対してはいけないのは、奥様と息子さんご夫婦の一対二の会議と、奥様と娘さん二人対息子さんの三対一の会議です。最初から数の優劣をつけると、少ない方が必ず責められる側になり、不満を残します。奥様と娘さん二人、そして息子さんご夫婦で話し合うのがベストです」
加えて私は、娘さん二人は奥様の味方であり、普段の状況を知っていることを再度確認した。
「それから大事なことが二点。家族会議の前に、娘さん二人ときちんと意思の疎通を図っておくこと。喧嘩をしたいわけではない。これから仲良く・上手くやって行く為の決まり事を作りたいのだと、まず娘さん達に理解していただく必要があります。その上で、娘さん二人には、話し合いの証人になってもらうのです。公文書まで作れれば良いのですが、そこまですると角が立つでしょうから。そして、二点目、直接息子さんにも同じことを、会議の何日か前に手紙でもいいですから伝えてください。いきなりだと宣戦布告と取られかねませんから、心の準備を兼ねて『仲良く・上手くやって行きたいと思っているのだけれど、今・現在、困っている事があるので、関係者全員でどう解決したらいいのかを話し合いたい』と」
ご婦人が、メモをしたいのだが書くものがないというので、私が説明しながらメモを作った。
「奥様の要望としては、通路や廊下に荷物を置かないで欲しい。置く所がないと言われたら、自分たちのスペースがあるのだから、工夫して置けるようにしなさい、出来ないのなら減らしなさいと。もう一つは、奥様の居住スペースを確保して欲しいということ。基本的には言ってはいけないことですが、いよいよもってごねるようでしたら、『ここは私の家だ』とまでは言ってもいいです。『家賃無しで住ませてやっている』はやめた方がいいですね。そして、和やかに話が進むようであれば、光熱費ぐらいは貰ってあげた方がいいです。本当に奥様に寄り掛かった生活をしていると、負い目が出来る場合もあるし、今は大丈夫でも今後の奥様の生活に支障が出る可能性があります」
出来るだけゆっくり説明をしたつもりだが、ご婦人はいっぱいいっぱいの様子だったので、走り書きのメモに実行する順番のナンバーを振りながら、もう一度説明した。
「今直ぐに実行する必要はありません。とにかく、奥様がするべきことを納得されて、娘さんたちとよく話し合って、それからのことです」
お姉さまの奥様は、私の乱筆なメモを読み返しながら、安心したように何度も頷いてくれた。おそらく、誰からもアドバイスが貰えずに、本当に困っていたのだろう。
実は、これらの話をする間にとっくに目的地には到着していたのだが、これから深刻になりかねない相談だった為、邪魔にならない所に車を停車させて、問題解決の糸口を探す為のヒアリングをしていた。
私が、「では大丈夫ですね。くれぐれも仲良く暮らしたいを強調してくださいね」と念を押してドアを開けようとすると、お姉さまから「ちょっと待った」が入った。
「どうかしましたか?」と訊くと、「相談料は?」と訊かれる。
「う~ん、実は無料相談なんです。私はキャリアが長いだけでケアマネでもないし、この手の相談はうちの会社の業務には入っていないので」
と、答えると、お姉さまから怒られた。これだけ親身になって・時間を掛けて相談に乗ってくれて、無料はいけないと。
と、いうわけで、¥1600の移動料金の他に、初めて相談料を先方のお気持ちで頂いてしまいました───というお話。
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