恋愛未満の攻防

 おしゃべりドライバーを自認する私だが、お客さまをひとときのおしゃべりに巻き込めない時期がある。それは、忘年会が始まるシーズンから年が明けて二月十四日までの期間、男女の組み合わせのみに適用されるルールだ。


 飲食を伴う個人的ではない飲み会で交流を深め、あわよくばクリぼっちを避けたい・二月十四日には決めたいと思っているのは、男性も女性も同様のようだ。敢えて多少の違いを述べるなら、クリスマス前は男性の方が、バレンタインデー前は女性の方が、勝負に賭ける気合いの度合いが強いように感じる。まあ、大同小異ではあるが。

 また、年齢差のある組み合わせ(男女のどちらが上でも)で、『この組み合わせで勝負が入っていることはないだろう』と思い込むのも危険。どこからどこまでが真剣な恋愛なのか、通りすがりの門外漢である私には知りようがないが、西日本最大の歓楽街を擁しているが故の男女の攻防があるのもこの時期のようだ。下手に話し掛けたり、話しに乗っかったりすれば、勝負を賭けている方から、視線で射殺す勢いの圧を後頭部に浴びる羽目になる。


 なので、このシーズンに男女のお客さまに乗車いただいた場合、私は貝になるのだ。


 けれど、ゲームのNPC並みに貝になったとて、後部座席では各種のドラマが展開する。

 忘年会シーズンで最も多いのが、二次会・三次会と進むにつれて、徐々に人数が減って行くと思うのだが、その時に男女二人組・相乗りで帰宅するパターンだ。基本的なセオリーとして、女性を先に送り、男性があとに残る。私に出されるオーダーは、「◎◎経由、▽△までお願いします」だ。

 女性の自宅に着くまでの会話は、無難な話題が多い。本日の忘年会に出席した同僚や上司の話題、お互いが住んでいる場所の話題や趣味の話等々。その会話から察するに、相乗りをするのだから、お互いに興味を持ってはいるのだろうが、まだ一歩を踏み出せていない状態なのだろう。このパターンの勝負は、女性の自宅に到着した時に訪れる。文字通りワンチャンスだ。

 自分の自宅までの料金を出そうとする女性と、それを固辞する男性。

 「やぁだ、そんな水臭いことしないでよ」と、ジョーク混じりに相手の気持ちの負担を軽減しようとする人。「どうせ通り道だったし、オレも楽しかったから」と、正攻法でやんわり辞退する人。言い回しは様々だが、男性側がお金を受け取ることはまずない。ほろ酔い気分で申し訳ないという女性に、「じゃあさ」と彼らは言い出す。「今度、二人で一緒にランチ(もしくはお茶)しよう? その時に御馳走してよ」と。それで次の約束が得られれば、彼らの各種の努力も報われるのだ。貝になっている私からも、第一歩の踏み出し成功のお祝いを心の中で申し上げる。

 ───が、その後がいただけない。

 最初の「◎◎経由、▽△まで」の後半のオーダーが、五割以上の確率で変更されるのだ。実のお姉さんの家に泊まると言っていたある人は、行き先を変更して別のマンションに帰る。ある人は、女性の自宅が見えなくなった時点で、どこぞのお店に電話を掛け、「あ、ママ? アイちゃん、今日居るかなぁ」と問い合わせている始末。更に酷いと、ラブホに直行して、別の女性と待ち合わせ。

 貝のままでいる私に、「男はしょうもない生き物なんです」と訊きもしない言い訳をする人はいい方で、無言で何の罪悪感も持ち合わせていないふうの人も居る───普通の恋愛や純愛は何処に行ったのだろうか?

 まあ、普通の恋愛や純愛は、残りの五割未満の男性陣の中に存在するのだろう。彼らは、行き先を変更することなく、そのまま帰っていくのだから。

 それに、潔白でないのは男性ばかりでもない。女性の方も色々あったりもする。


 女性の方からのアプローチでインパクトがあった一件。───「わたし、酔っ払っちゃたの。一人で帰れない。◇◇くんに送って欲しいな。他の人じゃ嫌なの」という、百年も前からある伝統的パターンである。

 男性陣には判別がつかないかもしれないが、女性同士だと否応なく判ってしまうのだ。鼻にかかった作ったトーンの高い甘え声や、酔っているふり、ふらついているのを装って繰り返されるボディ・タッチ。

 しかし、これは作戦ミスだった。

 一次会が終わったばかりの早い時間で、男性の方は限りなく素面に近い状態。彼女が「彼に送って欲しい」とごねるので、仕方なく送っていく事になったという状況が、私にすら判った。『恋は盲目』状態に入っている女性には、それが判らなかったようだ。

 「それで、家はどこ?」と事務的に訊く彼に、彼女は言った。「帰るの?」と。

 「君が帰るって言ったんだろう? 明日も仕事だし、帰ろう」と彼が答えると、「一緒に居たいの。ラブホ行こ? ◇◇くんじゃなきゃ、嫌なの」と彼女。

 貝になっている私にすら、彼の怒りのボルテージが上がって行くのが判った。

「あのな、君が酔って帰りたい・オレに送って欲しいっていうから、オレはこうしているんだよ? 久しぶりに会った奴も多かったし、オレは本当はもう少し残りたかった。友達でタクシー運転手をしている奴がいるから、遅くなったら彼を呼んで、順番に送って貰えば売り上げの足しになるだろうって、そうするつもりだったんだよ?」

「でも、わたし、◇◇くんと居たいの。ラブホ行こ?」

「オレの言っていること聞いてる? とにかく送って行くから、家の場所を言って」

 惨敗とは、このことだろう。相手の気持ちを考えずに行動すると、確実に失敗するという典型的な例だ。

 完全にしくじったと理解した女性は、妙に明確な声で「降りる」と言い始めた。口調もすっかり変わっている。

 二人が乗車してから数十メートル。男性の方ばかりが恐縮しながら、二人は降りて行った。まあ、この恋が実ることはないだろう。



 およそ¥700程の、繁華街を抜けるに至らなかった移動時のお話。

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