第37話 照れる二人

 第百階層へ向かう階段。普段と変わらず凹凸のある坂道は"暗視"を使っても真っ暗である。四方は岩の壁に囲まれ一歩も動くことは叶わない状態。そして、わずかに聞こえる水の音が、俺を再び理性と煩悩との戦いを招いた。いやどうしてこうなった。


 ことは数分前に遡る。

 蜘蛛の毒により発情したリタを"魔力支配"で治し、下層への階段へ踏み込んだ時に、発情により大量の汗をかき、頰に髪が張り付いていたリタを下ろしたら一瞬にして地面から岩壁がせり上がり俺の身動きを封じた。そして一言。


『汗で気持ち悪いから』


 そして今に至る。どうやら魔法で生成した水で身体を洗っているようなのだが、視覚を封じられはしたが聴覚は残っている。そしてここはよく音が反響する。

 そのため、身に纏っていた服代りの外套と肌が擦れる音だったり水が流れる音だったり、時折聞こえるリタの吐息だったりが、否応に壁の向こうを想像させる。その度に羊が一匹羊が二匹身体柔らかかったなぁ〜って違う! 

 もう変態だと罵られても反論できない。いやでも、こんな壁を挟んだ向こうで水浴びされちゃ男としては想像してしまうだろ? そうだ無防備すぎるリタが悪い。俺は何も悪く…………水の音が止んだ。どうやら終わったようだ。そしてまた俺は自己嫌悪に陥る。なんとか"魔力支配"を応用して男の生理現象を抑えてはいるものの、頭はもう熱に犯され爆発しそうである。


 布が擦れる音がし思わず耳を塞ぐ。こういう時は魔王城にいた時のことを思い出そう。料理うまかったな。訓練きつかったな。ユーグ元気にしてるかな? あいつ心配症だからな。また膝枕してほしい…………何を考えている俺はっ!?

 岩壁に思い切り頭をぶつける。鈍い音と共に煩悩を追い払う。めちゃくちゃ痛い。


「何してるのよ」

「………………止めるな。これは、俺の戦いなんだ」

「何訳の分からないこと言ってるのよ……………もう終わったから」


 そう言って指を鳴らすリタ。岩壁が音をたて地面に吸い込まれて行った。リタを見ると汗で濡れていた髪はサラサラに戻っていた。まっすぐに見るとピンク色の想像をしてしまいそうになり目を逸らす。


「……なんでおでこ赤くなってるの?」

「……………戦いに勝った証だ」


 実際は負けたも同然であったが、何故かリタはクスッと笑い


「どうせぶつけたんでしょ。意外とドジよね」


 手を伸ばして前髪をかき分け俺に触れてきた。少し冷たいリタの手のひらが気持ちいいが、至近距離まで迫ったリタの笑顔がいつにもまして綺麗に思えて、思わずドキッとしてしまった。なんとか声を絞り出し手を払いのける。


「……ぁ」

「そ、そんなことより。おそらく次が最奥だと思うんだがどうする?」

「どうするって?」

「いやだから、このまま一緒に攻略するか。それとも別れるか。最奥までって話だっただろ?」

「……そういえばそうだったわね」


 リタが思い出したように呟く。十中八九ここで別れることになるだろう。もともと俺が無理やり押し付けた提案だった。リタからすれば、やっと嫌っている俺から離れることができるのだ。

 ………………そのことを淋しく思っている俺がいることに驚きを隠せない。いや違う。魔法の援護があればすごく助かるからとか、今まで当たり前に隣でツンツンしていた存在がいなくなるからだ。当たり前がいなくなることを経験している俺が寂しく思うのは当然のことだ。何故俺は言い訳を並べているのだろうか。

 まぁそんなことは置いておいて、最後に選ぶのはリタだ。俺がとやかく言って引き止める権利などない。


「まだ別れる必要はないんじゃない?」


 なんて思っていたのに、リタのその言葉に俺は驚きを隠せなかった。


「え?」

「いやなんでそんなに驚いた顔してるのよ」

「い、いやだって、最奥までって話だっただろ?」

「百階層が最奥だなんて分からないじゃない。もしかしたらまだ先があるかもしれないし」

「そ、それはそうなんだが」

「それに、あんたが言ったんじゃない。『『魔王因子』の手前まで』って。まだ『魔王因子』すら見つけてないのに別れる必要ないわ」

「確かにそう言ったが………」

「な、何よ……」


 まるで、お気に入りの玩具を取られないように次々と理由を並べるリタを思わず凝視してしまう。あんなに俺を嫌っていたはずのリタがここで別れないなんてありえないはずなんだが………と思っているとリタがもじもじしながら口を開いた。


「そ、その………私の魔法だって、万能ってわけじゃないし………もうミスなんてしないし……………け、けど。けどよ? やっぱり前衛がいると戦いやすかったのも事実で……………うぅぅ〜〜〜〜!!!」

「わ、おい殴るなっ!」

「誰のせいよっ」

「少なくとも俺のせいじゃないだろ」

「…………………ま」

「ま?」

「まだ、一緒に………行動してください……………」

「りょ、了解しましたですはい」


 リタの言葉に俺ももう何を言っているのか分からないが了承した。リタが上目遣いで俺を見る。お互い顔がこれでもかと真っ赤だ。


「……………変な口調」

「し、仕方ないだろ。お前が変に緊張してるんだから…………」

「「………………」」


 その後、第百階層へと足を踏み入れるまでに三十分もかかった。


◆◇◆◇


 第百階層は、一言で言えば異様であった。


 これまでは洞窟だったり広い荒野や森林だったりと階層ごとに特徴があり、その特徴を利用した厄介な能力をもつ魔物が立ちふさがっていた。


 しかし、この階層は神殿のような作りだった。広大な空間には無数の太い柱が天井を支えており、その一つ一つに螺旋模様が彫られている。床も小さな凹凸など触って見ても全く分からないほど平らで綺麗であった。

 まるでと思ってしまうほど荘厳な作りだった。


 迷宮内であるにも関わらず、俺とリタはしばし見惚れてしまった。が、いつまでも立ち止まっているわけにもいかないので先へ進む。

 柱は規則正しく、一定間隔で並んでおり、俺達が通ると淡く輝いた。感知系のスキルをフル活用し奥へ進んでいくと行き止まりを見つけた。いや、行き止まりではないな。巨人でも通るのかと思うほどの巨大な扉だった。両開きの扉には、黒髪の美女と金髪の美男子が彫られていた。なんというか、神話の壁画みたいだな。


「これ、破壊神と創造神ね………」

「破壊神って、ガリオスの母親だったよな」

「正確には、破壊神の権能のほんの一部を受け継いでいるだけだから、厳密には母親ではなく継承者の方が近いわね。その点、私は権能を受け継いでないけど血は繋がっているから、正真正銘親子ね」

「この創造神ってのは?」

「神話によると、原初の神って言われてるわ。破壊神と夫婦の関係にあったけど、創造神が他の女神とセック………イチャイチャして、それで破壊神が怒りで世界を滅ぼそうとしたって伝えられてるわ」


 こんな美女じゃ足りないって? 天川もこの創造神も、どれだけ女を抱けば気が済むんだよ。いや、自分が他よりイケメンだから、大勢の女性を抱く権利があるとか思ってるのかもしれない。どのみちクズはクズだ。

 あとリタ。平然としているが耳が真っ赤なのバレバレだぞ。それにそこまで言ったのならもう誤魔化しは効かないと思うぞ?


「う、うるさいわねっ。さっさと行くわよ」

「なんで心読めた………」


 ユーグに引き続き、心が読まれたことに顔が引き攣りそうになるもリタが扉に触れた瞬間、扉が独りでに開いたのを見て気を引き締める。明らかにこの階層だけ様子が違いすぎる。ここが最下層なのだろう。なら、お約束的にラスボスなんかがいるはずで……………部屋の奥へ進んで行くと扉が勢いよく閉じる音が響いた。思わずリタと二人背後を振り返り---絶句した。


 扉の裏側に大きく描かれているのは、先ほど見た黒髪の女性の後ろ姿。そこだけ見ればあまりの美しさに息を吐くだろう。しかし----女性の眼下は、漆黒の炎に覆われ、先ほど隣にいた美男子は無残な肉塊となり果て、流れる大量の血が川となり流れていた。大地を飲み込む炎の中には数え切れないほどの動植物。当然、人族はもちろん魔族、獣人族、亜人族もいる。身体を焼かれ、炎が広がっていない空へ必死に手を伸ばすその姿を描かれた扉を見て、俺は思った。地獄の始まりを描いた物だと。


 そして、低い喉を鳴らす唸り声に我に帰り、前方を見上げた。


 先ほどまでいた広い空間と同じように無数の柱が並ぶ広大なドーム状の部屋。その部屋に堂々と佇む巨大な魔物。五つの鎌首と鋭い牙。縦に割れた瞳孔が俺とリタを睥睨していた。例えるなら、神話の怪物ヒュドラ。


「「「「「ガァァァァッ!!!!」」」」」


 猛々しい咆哮が空気を震わし、常人なら既に死んでいるであろう壮絶な殺気が襲いかかった。それを感じた俺とリタは同じ考えだったのだろう。


 ----本当の地獄の始まりだ。

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