第36話 親玉

 外から挟まれないようにリタに亀裂を塞いでもらい、足を踏み入れる。光を発する鉱石が壁にあるが、蜘蛛の巣で覆われて薄暗く、所々何かの骨が転がっているのでなかなか不気味だ。リタをゆっくり下ろすと、裾を小さく掴まれる。見ると、リタが少し顔を青くしていた。


「おいどうした? まさか『蜘蛛多すぎマジ無理』なんて駄々こねないよな?」

「そそそそんなことするわけ(カサカサ)---ひぃぃっ!?」


 音の発生源は指先ほどの小さな赤い蜘蛛であった。それがリタの肩に落ちてきて、驚きのあまり飛び跳ね俺に思い切り抱きついてくる。いい匂いと共に柔らかい何かが俺とリタの間で押しつぶされ形を帰るのがわかってしまった。平静を装い言葉を発す。


「おい」

「な、何よぉ。いい今のは仕方ないでしょ不意打ちなんだし文句ある!?」

「いや、そんなにキレられても…………このままだと動きづらいんだが?」

「…………」


 リタの頰が少し赤くなった。自分から抱きついてしまったことに気づいたようだ。スッと離れる。

 が、右手は俺の裾を握ったまま。正直動きづらい、と言いたいのだが、涙で目を潤ませ上目遣いにこちらを見ているリタの、少しだけ震えている手を振り払えなかった。


「はぁ…………普段からこれだったら可愛いんだが………」

「ちょ、ちょっと。ボソボソ話さず聞こえるように話してよ」

「ほら。とっとと行くぞ」

「無視するなぁっ」


 "気配感知"と"魔力感知"を発動していても何の反応もない。"魔力感知"に至っては周りの蜘蛛の糸に魔力があるらしくほとんど使い物になっていない。


 しばらく蜘蛛の巣を払いながら進んで行くと、広い空間に出た。広間の奥は縦に割れていて、おそらく下層への階段があるのだろう。"気配感知"を全力で発動。今のところはやはり何も反応ないが、感覚を研ぎ澄まして警戒を怠らない。気配をごまかせる魔物など迷宮内にはうじゃうじゃいるのだ。


 そうして部屋の中央までやってきたとき、隣にいたリタが俺に抱きついてきた。驚愕と、こんな状況で何やってるんだと言う怒りで声を荒げる前に、リタが口を開いた。


「……はぁ……はぁ………なん、か………変……はぁ…はぁ……身体が熱い…………」

「っ!?」

 

 リタの息が荒い。瞳を潤ませ、こちらを見上げるリタ。頰は上気し、チロチロと舌をいやらしく覗かせる唇からは火傷しそうなほど熱い吐息が漏れる。触れている身体は、いくら前の階層で服が溶け外套一つ纏っているだけと言っても熱を帯びていた。上気した白磁の肌に浮かぶ汗が髪を濡らす。明らかに発情していた。

 異常な状態のリタ。原因は一体なんだと考え、入り口で小さな蜘蛛が落ちてきたことを思い出した。その蜘蛛の毒だろう。否応に発情させる毒なんてどこのエロゲだよと思わなくもないが、とにかく苦しそうにしているリタを見て、薬を渡そうとした。


 "気配感知"に反応があった。場所は………真上!


「っ!?」


 とっさにリタを抱え飛び退いた瞬間、頭上から赤い蜘蛛が降ってきたのだ。外にいた蜘蛛よりも二回りほど大きく、脚の先は鋭く鈍い輝きを持った刃になっていた。それが一匹二匹と頭上から落下してくる。その数、十匹。外にいたのと比べれば大したことのない数だった。


「「「「イ゛イ゛イ゛イ゛」」」」


 耳を引っ掻くような赤蜘蛛の鳴き声と同時に剣を抜き放つ。そのまま剣で切りつけようとしたとき、そいつは現れた。

 

 人の形をした魔物。明らかにこいつが親玉だろう。赤い眼が八つ頭に並んでいて、手足は人族のそれだが背中から生えている八本の節がついた脚は蜘蛛の物。鋭利な牙が並んだ口が開いた。


『発情シたメスは番にすル。オスのお前、いらない。けド、メス置いてくなラ見逃す。どうすル?』


 言葉を話せる魔物がいるとはマガレスから聞いたことがある。言葉を話せると言っても本質は魔物なので会話の余地はない。

 そのはずなのに……………身体から怒気と共に漆黒の魔力が放たれた。


「ふざけるなよ虫けらが。この手を離すつもりはない」

『っ…………殺セっ!!!!!』


 動きを止めていた赤蜘蛛が襲いかかってくるのと、リタを覆うように"魔力障壁"を展開したのは同時だった。障壁に赤蜘蛛は体当たりを仕掛けたり刃の脚を振り下ろしたりするが、障壁を貫くどころか傷一つ付けることすら叶わない。その間にも魔力はゴリゴリと削られる。


 魔力を障壁に割いているため今は全く魔力を使えないが、身動き取れなくなったリタを守るためなら、そんなことただの些事だ。

 振り下ろされる脚の刃を流れるように躱して反撃に一閃。頭部を両断したのち、背後から飛びかかってきた一匹を回し蹴りで蹴り飛ばす。蹴り飛ばされた一匹は他の二匹を巻き込み床を転がる。その際、運よく脚の刃が二匹に突き刺さり絶命。残った一匹が起き上がろうとしたが、すでに間合いを詰めていた俺に切り刻まれる。


『バ、化け物ガ』

「化け物に化け物と言われてもなんも響かねぇよ」

『っ!?』


 蜘蛛人間が息を飲み振り返った時にはすでに遅く、目が連なっている気持ち悪い頭を落としていた。途端に叫び声をあげ動きにキレがなくなる赤蜘蛛。どうやら親玉が蜘蛛どもに指示を出していたようだ。


 統率者のいない蜘蛛などただの虫である。何の苦もなく残った虫を始末し、横たわっているリタへ歩み寄る。


「はぁはぁ………なんで………見捨てなかった………のよ………」

「そんな潤んだ目で睨まれても痛くも痒くもないんだが。言ったはずだ。お前が危なくなれば俺が助けるって。それに、お前を見捨ててまで手に入れた『魔王』なんざその辺の石ころと何も変わらない。ゴミ箱行きだ」


 回復薬を取り出しリタの唇へ運ぶ。コクコクと喉を鳴らして回復薬を飲み干した。すぐに効果が現れるはずが、リタの呼吸はまだ荒い。身体の火照りも治らない。どういうことだ?

 

「はぁはぁ……多分……魔力、異常の………せい……だから…………はぁはぁ……薬じゃ、治らない……」


 聞いたことのない単語だ。試しに"魔力感知"でリタの魔力を見てみる。いつもは波一つない水面のようだった魔力が荒れ狂っていた。おそらくこの状態のことを魔力異常と言うのだろう。なら、この魔力を落ち着かせればいいはずだが。


「はぁはぁ……ぅう……」


 玉のような汗をかき、駆け寄った俺の袖を強く掴んでいる様子から、自分で魔力を落ち着かせられる状態ではないことは明白だ。なら俺がどうにかしなければならないのだが、一体どうすれば………いや一つある。ユーグを相手に試した時は失敗したが、今は必ず成功するはずだ。

 胡座をかきリタを正面から抱きしめる。柔らかくて火照った身体を否応に感じるが無視。耳元にリタの火傷するほど熱い吐息がかかって頭が沸騰しそうになるが堪える。


「あ………何して…」

「不快だと思うが我慢しろ。説教なら後でいくらでも聞く」

「何言って---っん!」


 俺はリタの背中をぎゅっと抱きしめ"魔力支配"を発動。途端に甘い声を出しリタの身体がビクッと震えた。

 一定範囲内の魔力を思うがままにできるこのスキル。そのスキルの効果を知った俺が一番疑問に思ったのが、"他人の魔力を支配することはできるのか"と言うこと。倫理的にそんなことしてはならないしする気もないが、甘く見ていれば簡単に死ぬような世界だ。に対して有効かどうかを知りたかった。

 頭を下げユーグに試させてもらったところ、相手の魔力に触れることはできた。だがそれだけだ。当然相手も抵抗する。まだ発現したばかりだったのもあるが、やはり対人にはほとんど無意味だとわかった。


「んっ………やぁっ…………っ〜〜〜!」


 が、今のリタは自力で魔力を操作できない。つまり、抵抗などほとんどないのと同じで……………ゆっくり荒れ狂う魔力を落ち着かせていく。リタが俺の背中を爪を立て痛いほど掴んだ。肩に噛み付いた瞬間、身体を痙攣させると共に押し殺した声をあげた。収まっていく魔力。どうやら成功したみたいだ。疲れた。主に理性と戦ったため。

 荒い呼吸を繰り返すリタ。どうやら相当疲れているみたいだ。リタの背中と膝裏に腕を通し持ち上げた。いわゆるお姫様抱っこ状態で奥へ進む。


「ちょっ。何して」

「疲れてんだろ。素直に甘えとけ」

「うぅ〜〜〜」


 胸板に顔を埋めポカポカと殴ってくる。いつものツンデレに戻って良かったと安堵の息を吐いた。あぁ。まだ安心できないな。この後に待っているのは最強の魔法使いによる地獄の説教


「その……………ありがと」

「…………………………………」


 小さく溢れた言葉はしっかりと耳に残り、今は顔を見られなくて良かったと思う。絶対、真っ赤になっているだろうから。暴れる心臓の音を聞こえないことを願う。

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