第30話 救いの手
「ぅ…う〜ん………」
うめき声とともにリタの瞼がふるふると揺れ、開いた。薔薇色の瞳がうっすらと姿を見せ、あたりを見渡す。
「ここは………?」
「ここは五十一階層へ向かう階段だ。……それより身体の調子は?」
「え? あ、特に何ともない、わ…………………」
上体を起こしたリタと目が合う。そのままピクリとも動かなくなったので、俺はまだ毒が残っているのかと声をかける。
「おい大丈夫か? まだ毒が」
「いやぁぁぁぁ!!!!!!」
「うおぉっ!?」
リタが叫び声をあげながら俺の顔面めがけ殴りかかってきた。その細腕からは想像もつかないほど速く鋭い右ストレートをギリギリで受け流した。日頃から鍛えていた『流水の型』のおかげで反射的に受け流せたと言うべきか、それとも見た目からは想像もつかない拳を放ったリタを賞賛すべきか。いや、そんなことはどうでもいいんだよ。目の前の恩知らずに抗議しなくてはならない。
「あ、危ないだろうが! あれ当たってたら骨折れる威力だったぞ!」
「知らないわよそんなこと!!! というか、何であんたがここにいるのよ!!」
「そりゃ、俺だって参加者なんだからここにいて当たり前だろうが! それより助けてやった恩人に向かって感謝もせず殴りかかってくるなんて、恩知らずにもほどがあるだろうがっ!」
「助けてやった? 恩?」
そこでリタは自分がどんな状況だったのか思い出したようだ。顔を青ざめキョロキョロと周りを見渡しホッと息をついている。
そうだそうだ。俺が助けなかったらムカデに食われていたんだぞ? 少しは感謝する気に
「この変態!!」
「何でそうなるっ!?!!」
「だって、あんな、無理やりだなんて………し、舌まで激しく絡めて……………私、初めてだったし……っ!!」
頰を紅潮させたリタがキッと俺を睨む。いや、涙目で睨まれても怖くないしむしろ可愛いというか。それに、そんなに言われたら、唇の柔らかさだったり甘い匂いだったり色々思い出して赤面しそうになるからやめてほしい。抗議して赤面をごまかす。
「いや、それを言うなら俺だって初めてだったわ! それに、お前が自力で飲めそうになかったんだからから仕方ないだろうが!!」
「はっ! まさか、私が眠っている間に変なことしてないでしょうねっ!?」
「する訳ないだろうがっ!!!」
リタが身の危険を感じたかのように自身の肩を抱く。確かに呼吸のたびに上下する大きな双丘に目がいってしまったのは認めるし、寝返りを打つたびに白磁の太腿を凝視してしまったのは仕方ないだろう俺も健全な男子高校生なんだから。
が、眠っている女の子を襲うほど性欲に抗えないなんてある訳ないだろうが! 仮に手を出したらそれこそ魔王夫妻が許さないだろう。ガリオスよりエクタナの方が怖い。
ジトッとした目を向けられる。
「本当でしょうね………?」
「仮に、俺がそんなことしていたとしたら?」
「ちょん切って灰すら残さず燃やし尽くす」
どこをとは聞かない。俺の分身がひやっとしたのは気のせいだと思いたい。
「とにかく、俺は何もしていない。証拠はないが、俺がお前に手を出す理由がないし、迷宮内でそんなことおっぱじめる訳ないだろう。そこまで飢えてねぇよ」
「…………今日のところは見逃しておいてあげる」
おいおい今日のところはってどう言う意味だよ、と聞く間も無く、リタは立ち上がりスカートをパタパタと叩く。
「けど、勘違いしないで。変態に感謝なんてしないから」
「変態じゃねぇわ!! 命の恩人に言う言葉じゃねぇだろ」
「変態に助けられるなんて屈辱よ。あのまま食われて死んだ方がマシよ」
その言葉に俺は思わず押し黙ってしまった。そんなに俺のことが嫌いか、とか思うが、それより簡単に自分の命を投げ出すような発言をして欲しくなかった。
何も言わなくなった俺には見向きもせず、リタが背を向け階段を降りていく。その背中が離れて消えるのを、ただ黙ってみていられなかった。
「おい。ちょっと待て」
「………………何? もう用は、っと」
鬱陶しそうに振り向いたリタに、残っていた果実を投げ渡す。少し慌てていたが、ちゃんとキャッチしてこちらを訝しんだ目で見上げてくる。
「上の階層にいた魔物の果実だ。美味いから分けてやる」
「……確かにあれは美味しかったけど…………まさか、私が必死になって探したのにたった一匹しかいなかったのって」
「……………そんなことは置いといて」
「本当に乱獲したの!?」
「だから今は関係ないだろうがっ」
俺が食い意地はっているみたいになっているが、ただ迷宮内で美味いものをたくさん食いたかっただけだ…………食い意地張っているな。うん。気のせいにしよう。
今はそういうことを言いたいのではなく………俺は瞳に真剣さを込め言葉にする。
「お前が俺を嫌うのは勝手だし、お前が認めないのは別に構わない。どこの世界でもみんなに理解されるなんて不可能だからな」
「何の話をして」
「だが…………いくら俺のことが嫌いだからとか、認めないと言って、簡単に自分の命を捨てるな」
リタが俺の言葉に虚を突かれたような顔をする。そして不機嫌そうに言う。
「何? まさか私の心配してる? 飛んだお人好しね」
「いや誰がお前なんかを心配するかよ。自意識過剰か」
「なっ!? あんたが命を捨てるな、とか言うからでしょうがっ!」
「俺が心配してんのはお前じゃなくて、お前が死んじまったことを知ったガリオスとエクタナだ」
「っ……」
「お前が死んだ時、あの二人はどう思う? 必ず悲しんで、後悔して、自らを責める」
ガリオスは自分の娘が望んでも、選別には参加させないと言っていた。エクタナもガリオスと同じ考えだった。だから、参加させないようにしていた選別に、リタがいつのまにか参加していて、もし迷宮内で死んだら、二人は『どうして止められなかったんだ』と後悔して、自分を責める。
「よく『時間が解決してくれる』なんて言葉があるが、あれは嘘だ。そのば限りの冷たい言葉だ。最愛の人間が失った辛さは、そう簡単になくならない。ふとお前の写真を見た時。ふとお前の私物を手にとった時。幸せな笑顔を浮かべて囲んだ食卓。その度に、あの優しい二人は悲しんで後悔して、自分を擦り切れるほど責める。呪いだよ。心に刃を突き立てられ、直接抉るように刻まれるんだ。その呪いは死なない限り逃れることはできない」
「……………あんたにはわからないでしょ。子供を失った親の気持ちなんか。何を根拠に」
「確かにそうだが、最愛の人を失う辛さはわかる。俺は自分を責めるんじゃなくて閉じこもったが、いつも思い出していた。………あの二人なら必ず自らを責めるさ。根拠なんて必要ないくらい確信できる」
ガリオスは残念で馬鹿でとても魔王に思えないが、親友のように思っているし、エクタナは時々背筋が震えるほど怖いが、親友の愛した人だし頼れる人だ。そんな二人には俺みたいに、両親との幸せな思い出が色褪せた悲しい思い出にして欲しくない。同じ呪いに苦しんで欲しくないんだ。
「だから--死ぬな。二人のお前との幸せな思い出を、悲しい思い出にさせるな。俺と同じ呪いを刻ませるな」
俺の言葉をリタがどう受け止めるかはわからない。長い沈黙が二人の間に流れる。先に沈黙を破ったのはリタだった。
「……………ふんっ。私が簡単に死ぬわけないでしょ。舐めないでくれる?」
「お前………さっきの話を聞いて返す言葉がそれかよ」
「嫌ってる奴の身の上話なんて知らないわよ」
それだけ言ってリタは背を向け歩き出す。まぁ、真正面から受け止められるとは思っていないが、そんなあっさりされるとな〜「でも」………気づけば、リタが背中を向けたまま立ち止まっていた。
「…………忠告は素直に受け取っておくわ。死なないようにする。………………それと」
「ん?」
背中越しのリタの言葉が耳を打つ。
「---あんたの呪い、いつか解けるといいわね」
顔を見せることなく放たれた言葉は、銃弾のように一直線に俺の心を貫いた。その言葉を最後に、今度こそ立ち止まることなく、リタは階段を降りていった。
「………………我ながら単純だな」
---救われたと思ったのは、いつぶりだろうか。
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