第16話 傍にいてほしい
悪魔だったものが闇色の小石となったのを確認したら、全身が鉛のように重く感じた。自分が立っているのか一瞬分からなくなるほど。
「っ、レン様!!」
思わずよろめいた俺をユーグが支えてくれる。
心配かけまいと襲いかかってくる疲労感を必死に取り繕ってユーグを見る。何故かワナワナと震えていた。
「お、おい、どうした…………」
「どうしたじゃありません。この馬鹿!!!」
「は、はいっ!」
俺は即座に土下座の体制に移ろうとした。が、ユーグに胸ぐらを掴まれぐいっと引き寄せられた。
殴られる! そう思った俺は目をぎゅっと閉じ、衝撃に備えた。
「………?」
しかし一向に殴られない。俺はそっと目を開ける。
ユーグは琥珀色の瞳を潤ませていた。
「………私、怒ってます。理由はわかりますか」
「えっと、俺があの悪魔と契約すると思ったから?」
そう答えるとユーグは静かに首を振った。そうしたことで今まで溜まっていた涙がこぼれた。それを気にせずユーグは真っ直ぐに俺を見ている。薄く膜を張った琥珀色の瞳に、俺が映っている。
ユーグが静かに答えた。
「………私には両親がいません」
「!?」
俺は驚いた。彼女の父親が四天王で、すでにこの世を去っていることは知っていたが、まさか母親まで失っていたなんて。ユーグは静かに続けた。
「母は病気で死んでしまいました。レン様も聞いているとは思いますが、父は四天王と呼ばれ、とても強かったです。そんな父に憧れて私も所属は違えど近衛騎士になりました…………父はその後、勇者に討たれました」
「………………」
「悲しかったです。ルーザは確かに私の弟でしたが、ルーザが私と比べられて劣等感を抱いているのはなんとなく察していて、だから傷ついた心の穴は埋まりませんでした。なのでその痛みを忘れようと私は仕事に没頭しました。それでも忘れられず、夜は一人で静かに泣いていました。こんな辛いことがずっと続くと思いました…………そんな時に、貴方が来ました」
そこでユーグは少しだけ微笑んだ。
「最初はとても戸惑いました。人族なのに私たち魔族を嫌な目で見ず、むしろ明るく接してくれた………嫁にしたいと言われた時はさすがに驚きましたけど」
「………あれは、ガリオスが勝手に………」
「はい、分かっています。でも、貴方が父へ祈りを捧げてくれていたことを陛下が嬉しそうに話していたのを聞いて、貴方はとても心優しい人なんだと思いました」
あの残念魔王……! 無性に恥ずかしくなってきたじゃないか。
「今朝も、私と親しくなりたいと、そう言って愛称をくださいました…………私、その言葉に救われたんです。この人なら命をかけてもいい、この人となら私は家族以上になれると。この人になら一生傍にいたいと初めて心から思いました」
俺はこんな状況にもかかわらず、ユーグの言葉に赤面してしまう。そんな俺にユーグは微笑みを浮かべるも、すぐに頰を濡らしてしまう。
「でも、先ほどのレン様は何をしましたか。ただ無茶をしただけじゃないですか………………怖かったんです私。この世のどんな恐怖よりも、貴方を失うことが怖かった。だから、無茶をした貴方に怒っています」
「………………」
目の前のユーグが、いつかの渚に重なった。俺が自暴自棄になって泣かしてしまったあの時の渚だった。
俺は自分を思い切り殴り飛ばしたくなった。顔中腫れ上がるくらいにボコボコにしてやりたかった。
親しい人を失うことの辛さを、俺は誰よりも理解しているつもりだった。それはあの時の、涙を流した渚が教えてくれた。
それなのに俺は今、目の前の少女にあの時と同じことをさせている。目の前の少女を泣かせてしまっている。
何が同じ轍を踏まないだよ。何が誓いを立てるだよ。俺は最低な奴だ。目の前の少女を悲しませてしまっているのに、よくそんなことが言える。
「…………ごめん」
ユーグの涙を手で拭いながら、そう言った。
とても無責任な言葉だ。俺に彼女の涙を拭う資格はない。
「…………ごめんなさい」
「………………本当です。反省してください」
「反省する。けど、俺は弱いから、また同じことをしてしまうかもしれない。」
俺は、とても弱い。それは剣の実力とか身体能力とかの話ではない。
弱いのは俺の心だ。
心はすぐに強くなれない。だからあの日のように誓いは立てない。
「だから、俺が間違えそうになった時は、俺の傍で俺を引き戻してほしい。俺が自分自身で間違えなくなるまで傍にいてほしい」
「…………………それは、都合が良すぎる話ではないですか?」
俺は自嘲な笑みを浮かべ「そうだな」と肯定した。
そうだ。これはただの甘えだ。我ながら最低だと思う。こんな奴の傍に、一体誰がいてくれるのだろうか。
でも、俺は誰かに頼らないと結局何もできない弱者なのだ。力を持つ強者だが、心はとても小さい弱者。これじゃ、ルーザにも顔向けできない。だから、真の強者になるために誰かに見てもらう。
でも、誰でもいいわけじゃない。ユーグじゃないとダメだと思った。だから、ユーグに頼んだ。
「レン様は本当に情けない」
「悪かったな、情けない男で。幻滅しただろ」
「いえ、むしろもっと傍にいたいと思いました…………仕方がないので、私が見ていてあげます。間違えそうになれば、引っ叩いて正しい路へ引っ張り上げます」
「はは、ほんと頼りにしている」
「はい!お任せ下さい!」
そう言ったユーグの笑顔は涙で濡れていたが、俺はとても綺麗だと思った。
「お二人とも。この私もいることをお忘れなく。老人を無視するとは、少しは老体を労わって欲しいですな〜」
「「…………………」」
「それにしても、お互いにプロポーズをするとは実に微笑ましい。私は家内へした時は泣いて喜ばれましたからな〜。成功してよかったですな。レン殿」
「プ、プロポーズな訳ないだろうがっ!!! この色ボケジジイがっ!!!」
二人で羞恥心で身悶えたのは、言うまでもないだろう。ユーグは頰を赤く染めていた。からかわれて恥ずかしいのだろう。あとでしっかり謝っておこう。
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