第2話 異世界召喚

 玄関に鍵をかけ、乱れた呼吸を整えようと身体を玄関に預ける。が、すっかり疲弊した俺の身体は立つことも億劫で、ズルズルと床に座り込んだ。


「…………ははっ。何やってるんだろうなぁ。俺」


 誰に問うた訳でもないつぶやきは誰もいない家に広がる闇に飲み込まれていった。そのことに悲しく思いながら、立ち上がり自室へ向かう。汗で濡れたシャツが気持ち悪い。ボタンを外すことにさえ面倒くさく思いながら、シャツを脱ぎ捨て着替えを用意。シャワーを浴びる。

 排水溝へ流れて行く水を見て、このまま溶けて消えれば楽になれるだろうかと。そんなくだらないことを考える。


 俺にとっては失恋した相手は男女問わず人気な美少女で、その朝日のような笑顔から『太陽の女神』なんて呼ばれている。そんな渚とはそれこそ、ラノベの世界でしか会えないような存在で、俺のもう一人の家族…………いや。だったんだ。


 俺の両親は俺が小学生の時に他界している。二人とも刑事だった。帰りが遅くなることが当たり前だったが、それでも両親は俺を愛してくれたし、俺も正義感溢れる両親を尊敬していた。


 その二人は、当時追っていた凶悪犯に殺された。テレビは両親の犠牲によって犯人を捕まえることができたなんて報道していたが、俺にとってはそんなもん関係なかった。何が尊い犠牲だ。俺には両親は二人しかいないのに。


 詳しくは長くなるから省くとして、その時に俺に寄り添ってくれたのが、渚だった。誰もが俺を腫れ物として扱う中、俺は渚という存在に救われた。そんなことされたら、誰だって好きになるだろう。

 でも、あいつは俺より数十倍も輝いていて、俺は彼女の隣に立てるよう自分を磨いた。ちょうど渚の祖父さんが道場をやっていたからそこに通った。そうやって、出来ることはなんでもした。

 

 だけど、いつしか俺の気持ちは歪んでしまったのかもしれない。渚を守れるのは俺しかいないと、俺が渚を守るんだと。


 シャワーから上がり部屋着に着替えた俺はベッドに身を投げ出す。そのまま何もすることなく、この出来事は一週間ほど前のあの日を思い出す。最近はこれが俺の日常となってしまっていた。




 高校二年になって転校生が来た。天川結城あまがわゆうき。そいつはラノベに出てくる主人公みたいにイケメンで運動も出来て頭も良くて、あっという間にクラスに馴染んでいった。当然渚とも親しくなった。

 でも、俺はそいつが魅せる笑顔がどうにも気味悪かった。嫉妬も多少混じっていたのかもしれないが、あいつの見せる笑顔が、両親が死んですぐ俺が作っていた笑顔とだったから。


 だから、俺の出来る範囲で調べた。たかが子供がすることだが、俺はやっとそいつの裏を探り当てた。


『女を道具のようにしか思っていないクズ』

『彼女があいつに寝取られた』


 本当にラノベの主人公みたいな奴はそんな噂なんて立たない。確信した。そいつは危険だと。

 その時の俺はただ渚を守るために動いた。渚に『そいつは危険な奴だ。近づかない方がいい』って伝えた。



 初めて渚に殴られた。現実じゃないと思いたかったが、頰に走る痛みが俺の目を覚まさせる。


『そんな酷いこと言う蓮なんか、大っ嫌いっ!!!!』


 それだけ言って、渚は去って行った。そこで俺は勘違いをしていたんだと気づいた。


 俺のような冴えない隠キャが幼馴染と結ばれるのはラノベの世界だけ。俺が生きるのは現実だ。そして、現実での渚と俺の関係は、(それも、今となっては変わったが)。

 小さい頃から一緒にいて、俺が家族同然に思っていても、お互いの交友関係に口出しなんて出来ないのだ。

 そう思い至った時、北極なんて生ぬるいほど俺の心は冷えて行った。渚に連絡を入れるも何も返事は返って来ず、学校では避けられ、学校外でも避けられる。明らかな疎遠状態。

 気づいた時には遅く、俺は渚に失恋したと同時に、唯一無二の家族を失ったのだ。

 


 部屋の窓から夏の太陽が差し込んでいる。蝉の鳴き声をうるさく感じると同時に、たった一人の空間の寂しさを紛らわしてくれる。寝返りもせず、ずっとベッドから離れていなかった。スマホを取りラインを開く。


『話し合いは終わったか?』


 いつもならすぐに既読がつくはずが、一時間がたった今も一向に未読のまま。まだ話しているのか。スマホを放り投げる。


 今では天川はクラスの中心人物。渚と変わらず接し、親友である深雪とも親しくしていた。

 それに比べ、俺はあの時のように部屋に閉じ篭るようなことはないが、ほとんど一緒。親友の深雪とはたまに話すが、それも天川を含めたグループがいない時だけ。もう俺の居場所は、この一人だけの暗い家の中だけ。


 すでに時間は結構経っているのに、未だ失った恋を引きずっている俺は、傍から見れば情けないだろう。

 でも、おそらくこの損失感は拭えないだろう。クラスも一緒。通学路も一緒。窓から隣を見れば、道場と併設された一軒家が見える。普通に生活をしていても、どうしても渚の姿が視界に入る。その度に胸が締め付けられる。


 そして、渚と天川が仲良く話しているのを見ると、自分の中にドス黒い感情が溢れる。

 どうして俺よりあいつを選んだのか。どうして俺を避け続けるのか。どうして俺だけが辛いのか。どうしてあいつの方が幸せそうにしているのか。どうして俺の居場所はないのか。

 渚に対して憎しみ、天川に対して妬み、この不条理に対して怒り、未来への絶望。それらの獣が自分の中で暴れだし、また何かを失いそうで恐怖を抱く。


 この世界がこんなに辛いのなら、いっそ全てを放り出して逃げ出したい。

 


 そう思った時、視界が真っ白に弾けた。身体を襲う浮遊感。

 突然のことに頭が痛みを感じるほど混乱する。無我夢中で身体を動かすも、平衡感覚が狂っているように頭がぐるぐるして浮遊感がなくなった。


「痛っ!!」


 落ちたような衝撃。頭と背中がジンジン痛む。


「なんだよ………一体何が………………………は?」


 背中をさすり頭を振りながら上体を起こして………絶句した。


 視界に映ったのは慣れ親しんだ部屋ではなく……………洞窟を思わせる石の部屋だった。

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