第10話 ラストスパート

 翌日、私は奇跡的と言っていい回復を果たしました。夜の内には熱は下がり、もう朝には平熱になっていました。楽斗さんのハーモニカが私の免疫に良い影響をもたらしたのでしょうか。不思議としか言えませんが、私は普通に登校することが出来ました。


「おはようございます。楽斗さん」

「・・・治ったんだな」

「はい、ご心配をおかけしました」

「病み上がりなんだから、今日はまだ無理はするなよ。また体調を崩される方が面倒だからな」

「はい、もうご迷惑はかけません」

「ならいい」


 少々つまずきがあったものの、勉強は無事再開されました。テストまで残り四日、もうラストスパートの時期に入っていました。既にテスト範囲の勉強は済んでいました。残りは復習のみです。

 楽斗さんの見立てでは、やはり不安が残るのは数学、化学基礎は計算問題こそあるものの、単語系統の問題も多いのでそこで点数を稼ぐことが可能です。

 他の科目は感覚を忘れないだけにとどめ、残り時間はひたすら数学の時間に充てることにしました。


「この問題はこっちの本に書いてある方が分かりやすいだろう」


 さすがは勉学部と言うべきでしょうか。複数の本から良い解説を比較することが良いことは聞いたことがありますが、まさかこんなにそろってるとは思いませんでした。そもそも、ここまでそんな解説を選べるほど理解が及んでいないのもありましたが。

 問題一つ一つを確実に理解するため、この方法で勉強を進めていました。

 それと、もう一つ特筆することもありました。


「楽斗さん、本当にいいんですか?」

「その方がいいなら、協力してやると言ってるんだ。素直に聞け」


 平日の残り二日、昼休みに私は楽斗さんに連れられて音楽室に来ていました。ハーモニカを吹いたとき予想以上に私が速く寝たことでその方が疲労回復になるとのこと。

 そうして二日間だけ、彼は私のためにハーモニカを吹いてくれたのでした。

 出来るだけのことはすべてやった。

 こんなに勉強したことはおろか、こんなに真剣に何かと向き合ったことすらなかったかもしれません。その熱意を、楽斗さんは私にくれました。

 結局は彼がいなければ、私はどうすることもなく、この生活を終えていたことでしょう。私という存在は、どこまでも彼に救われていました。

 この想いを、私は伝えることが出来るでしょうか。彼にとっては悩みの種にしかならないような私の想いを。そう思った時、私は一つの約束のことを思い出していました。

 

「無事残れたら、こうして勉強に付き合ってる理由を教える」


 彼の気持ちを聞き出せる。唯一の機会になるでしょう。それで、私の想いも変わります。彼に伝えられるか、諦めて一生彼のことを追いかけ続けて終わるか。

 そのためにも、こんなところでつまずくわけにはいきません気合を入れなおし、私はさらに知識を詰め込んでいきました。


「張り切るのはいいが、土日はそんなに長くはやらない。前も言ったが、ちゃんと知識を引き出せるように頭のなかの整理が重要だ。あとは体調管理。ラストスパートてのは本番の最後だ。いま頑張って倒れても、誰も褒めてくれないからな」

「・・・わかりました。あやうく同じ間違えを起

 こすところでした」


 土日は学校には行かず、先週のようにいろいろな所を巡りながらたまに勉強を挟んで感覚を保つことに努めました。


「こんなことをしてると、やっぱり不安です。葵も中間前だから範囲を抑えておかなきゃって頑張ってましたし」

「少なくともお前には向かないな。そもそも一夜漬けなんて効果が短い。妹さんみたいな既に広い基盤を持っている人間が一時的にその範囲の知識に対する頭に切り替えるために使うならまだわかるが、そもそも井川の頭は最初からその範囲に絞ってるし、なおさら意味がない」

「そんなに意味がないと言われると今までのやり方を全否定されてるみたいです」

「今までのやり方で成功してるなら謝罪の一つでもするが、どうだ?」

「ごめんなさい」


 楽斗さんがいないとまともに勉強は進まないんです。その彼がやらないと言えば、私にもやる選択肢は残されていません。

 自分を信じるなんてしばらくしたことありませんでしたが、いまなら、それが出来るような気がします。楽斗さんが、私のことを信じてくれている、そう感じるから。

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