第5話 猛勉強2

 莉彩との電話が終わった後、楽斗はスマホを置いて一息ついた。そして少し考えた後に銅鑼の表をたたいた。


「キング、用事はお済みになったようですね」

「ああ、食事の準備をしてくれ」

「承知しました。しばしお待ちを」


 ルークは一礼して足早に去っていった。待っている間、楽斗は莉彩に思いをはせていた。

 あんなに頭の悪い・・・と言うより、学業に不向きな人間は見たことがない。勉強を死ぬほど嫌がる美琴でもちゃんと平均点を取って帰ってくるのだ。一体どういう頭のつくりをしていたらこんなことが起こるのか。一周回って面白いと感じるほどだ。

 先ほどまで読んでいた教科書に目を落とす。明日から彼女とテスト対策への勉強の日々が始まる。受験とか模試とかそんなものでもないのに、ここにかける思いはそれよりもはるかに重い。なんたって彼女の存続に直結しているのだから、それはもう一大事だ。


「ねえルーク」

「クイーンですか、どうかされましたか?」


 ビショップ・・・鏡花は別の仕事をしているため、霧矢は一人で食事の準備をしていた。他は全員食事を終えているので、作るのは一人分だ。美琴はその様子を面白そうに眺めながら彼に話しかける。


「お兄ちゃん、莉彩さんとこれからたくさん勉強するんだよね」

「はい、二週間ほどとのことです。既にスケジュールの調整も済ませています」

「・・・私にもあんな友達が出来ないかな」

「クイーンにも素晴らしい友がたくさんおられると思いますが」

「そんなんじゃないの。なんだか、もっと奥深くでつながってるような・・・上手くいえないけど、あんな関係、うらやましいなって」

「・・・本人は気づかれていないようですが、確かにそれには同意できます。おそら

 く、キングが莉彩様のことをお気にかけているのも、本心はそこでしょうね」

「莉彩さんが楽斗さんのお嫁さんになるのかな。私は大賛成だな。あの人のこと、私

 好きだもん」

「あまりせかすものではありませんよ。あのお二人の関係は、繊細なものでしょうから。私たちは、急がすことも、邪魔をすることもなく、静かに応援するのが一番です」

「はーい」

「もうご飯の準備が出来ますので、そろそろお部屋にお戻りください」

「わかった」


 莉彩は満足したように部屋に戻った。霧矢も楽斗の部屋に戻って彼を呼んだ。


「キング、莉彩様のことを随分と気にかけておられるのですね」

「・・・そうだな。あいつは、俺の大事なファンだからな」


 なるほどな、霧矢は内心頷いた。昨日美琴も言っていたように、楽斗はハーモニカの腕前を表に出すのは嫌っていた。ただ静かに自分の心を落ち着けるためだけに、彼の目覚ましい腕前は存在していた。実にもったいない話だ。

 しかし、莉彩は楽斗の嫌っているものとは違っていたのだろう。彼女は、ただ影で静かに彼の音色を聞いていた。ただ静かに彼の奏でる世界に身を任せていた。

 それは、楽斗にとっても心地よい時間だったのだろう。自分の世界に共感し、静かにその世界を共有できる相手。

 井川莉彩という少女は、楽斗にとってまさに運命的ともいえるような存在だったのだろう。

 だからこそ、彼も恐れているのだ。莉彩という少女の喪失を、たった一人の大事な「ファン」の喪失を。

 随分と回りくどい関係だ。彼らは内面距離と外面距離があまりに離れすぎている。だからこそ、美琴の言うように、深いところでつながっているのにあんなにぎこちないのだろう。


「ルーク、どうかしたのか?」

「いえ、なんでもありません。それより明日の予定ですが・・・」


 しかし、それは今楽斗に話すことではない。今はなせば、その関係に不適切なひびを入れることになりかねない。見守る立場として、それは本意ではない。


・・・


普段なら休みの日なんて長ければ昼間で寝てるような生活でした。楽斗さん以外の楽しみのなかった私は、ただじっと土日をやり過ごして彼と会える学校の時間を待っていた。思えば変な話です。

 しかし、今日は、これからは違います。朝から楽斗さんと会って一緒に勉強するのです。そんなことをしているわけにはいきません。7時には起きて下で朝食を食べて準備をしていました。


「あら、今日は随分早起きね」

「お母さん、うん、これから学校で勉強するから」

「そうだったわね。お母さんも応援してるわね」

「ありがとう、じゃあ行ってきます」


  ご飯の最中、物音を聞いてか、お母さんもおりてきました。私の早起きに嬉しそうにコーヒーの準備を始めましたが、もう出る時間だったので私は一言声をかけて家を出ました。


「せっかちな子ね。もう少しゆっくりしてもいいのに」


・・・


「おはよう、井川」

「・・・おはようございます、楽斗さん」


 教室に来ると、既に楽斗さんは到着していました。窓際の席に座って日の光を浴びながら本を読むのその姿は、ハーモニカを演奏する姿とはまた違った美しさのようなものを持っているように感じてしばらくその姿を眺めていました。 

 しかし、彼の方は既に私の存在に気付いていたようで、しばらくすると本を閉じてこちらに向き直る。あわてて挨拶を返して教室に入りました。


「土日は理系と文系科目に分けよう。特に数学ⅠAと化学基礎は応用範囲が多く含まれている。そこがまったくわからないと点を取るのは厳しい」

「・・・わかりました」


 逆に言うと、他の科目は範囲分を覚えていれば少なくとも赤点を回避するのに十分な点が取れる。ということで、この二科目については多めに時間を取って勉強するらしいです。

 特に難しいのは計算問題です。まずは公式を修得するべく勉強を開始しました。


「ひつようじょうけんて何ですか?」

「そこは今やっても仕方ない。直前で詰めるくらいでも多少点は取れる。知らなくてもどれか答えるだけの運ゲーでもいい」

「わかりました・・・次は・・・」

「待て、時間だ。次の科目に映ろう。次は化学基礎だ」

「あの、まだ途中ですけど」

「いいから、途中でも切り上げるんだ」

「・・・わかりました」


 楽斗さんの意図は全くわかりませんでしたが、とにかく彼の言葉に従いました。30分ごとに教科を切り替えながら勉強を続けました。二時間ほど経った頃、一度気分転換に外に出て散歩をすることにしました。

 休みの日でもいたるところで部活動の練習が行われており、そんな中二人で歩く私たちは少し場違いなような気がしてしまいます。校庭や体育館の周りはその喧騒で落ち着かないので、少し離れたところにある自然広場に来ました。ここは普段はお昼弁当を持った生徒でにぎわっていますが、休みの日だけあって今日は静かな空間が広がっていました。

 私たちはベンチに座って自然に囲まれて少し気分を落ちつけました。


「15分ほど寝るといい。仮眠は脳に良い。昼からも忙しいから、頭をすっきりさせておいたほうがいい」

「えっと・・・」


 いきなりそんなことを言われて戸惑う私でしたが、楽斗さんはどこかから本を取り出して読み始めました。完全に私の睡眠を待つ態勢でした。

 眠れるはずない。そう思いつつも私は目を閉じて気持ちを落ちつけました。

 いざ目を閉じると、五月という丁度いい気温と自然によって抑えられた日の光が心地よく、すぐに睡魔が襲ってきました。


(いまなら、怒られないかな・・・)


 実際はっきりと意識があったわけではありませんが、私は彼の肩に寄りかかったまま眠りに落ちました。楽斗さんがそんな勝手な私のことをとがめることなく、ずっとそのままの姿勢で私の起床を待ってくれていました。


「・・・井川、起きろ。時間だ」

「ふにゃ・・・!!すみません。もたれかかっちゃって・・・」

「そのほうが寝やすいなら別にいい。想像より重くなかったしな」


 うれしいのかうれしくないのか、なんだか素直に喜べない言葉をかけられ、私たちは教室に戻りました。すこしまだまどろみがありましたが、歩いて教室に戻って勉強を再開するとすぐに頭は冴えてきました。思わず寄りかかって寝てしまった照れ隠しのように、私は無限のように思える公式の羅列を頭に入れていきました。

 二時頃になると、ルークさんがお弁当を持ってきてくれました。ルークさんもお昼を一緒にしましたが、ご飯を終えると、からの弁当を回収して私たちの邪魔をしないようにと教室から出ていきました。

 そこからは教科を変え、国語や英語といった文学科目に切り替えて勉強をつづけました。二科目に関しては、範囲の文章内の語彙の確認や文そのものの理解をするしかありません。

 できるだけ効率よく頭に入れるには、文章の意味と語彙を結び付けた方が良い。一気にはやらず、一文ずつ丁寧に確認していきました。


「そのbookは名詞じゃなくて動詞だ」

「でも、これってあのbookじゃないんですか?」

「予約するっていう動詞の意味もあるんだ。意味もそうだが、文の構造の理解も多少頭に入れておいた方がいいな」

「予約・・・それなら意味がとれますね。すごいです」

「・・・まあ、それならいい」


 文を覚えればいい科目ではありますが、それは文を覚えられればの話です。そもそも覚えられない私にしてみれば、こうして一つ一つ確認するしかありません。

 六時頃にもう一度軽食を取り、もう一度科目を切り替えてラストスパートをかけました。

 最初にやった公式を再度確認し、それが済んだら文学科目に移って同じように確認する。

 すべて終わると丁度時間も来たようで、ルークさんが迎えに来ました。


「キング、莉彩様、お迎えに上がりました」

「ああ、助かる」

「あの、別に送っていただかなくても」

「あんまり夜一人で出歩くものじゃない。一気に知識を入れて疲れただろう。こういう時は言葉に甘えるものだ」

「わかりました。お願いします」


 こうして私と楽斗さんの休日一日目の勉強が終わりました。確実に進歩している。時間の質も、長さも、全てが圧倒的に違いました。これならどうにかなるかもしれない。まだ二日ではありますが、私はそんな希望を持てたような気がしました。

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