第3話 絶望と救済
これほど起きるのが億劫に感じるのはいつぶりでしょうか。しばらくの間、楽斗さんを見るのが楽しみだった私にとって、起きるのは何も苦ではありませんでした。だって、起きて学校に行かないと彼には会えませんから。
ですが、今日はいつもと違いました。昨日の出来事がいまだに信じられませんでした。夢だったのではないだろうか。だって都合が良すぎる話だ。悪いようにたとえてしまうなら、ストーカーが家まで行ったら結構受け入れられたとかそんなものです。本来なら用事を済ませた時点ではいさようならとなっても何ら不思議はない。むしろそうなってしかるべきなのです。
あんな幸せな夢が見れるなら、別に起きなくてもいいんではないだろうか。
「お姉ちゃん、今日は珍しく寝坊?もう起きないと遅刻しちゃうよ」
それでも起きなくてはならない時間になってしまったようです。目を開けると、妹の葵が私を起こそうと体をゆすっていました。私が目を覚ますと、満足そうに「ご飯できてるよ」といって部屋から出ていきました。葵は中学3年生で、それなりのレベルの高校を志望しているようです。そのために、いつもは昨日のように遅くまで塾で勉強を続けていました。
だからといって、がり勉とかそういった類の雰囲気は彼女からは感じず、年相応というのか、元気で人懐っこい性格で、周りからも慕われていました。そういえば楽斗さんの妹さん・・・美琴さんと似ているような性格にも感じます。
そんなことを考えながら朝食を食べ、準備を済ませて家を出たのは、いつもより20分ほど遅い時間になってました。
朝の時の流れは早いものです。20分なんてあっという間に過ぎるような時間なのに、外の景色はいつもとはまるで違いました。登校してくる生徒も割とギリギリの学生が多いのか、普段の3割増しくらいに見えます。太陽も普段より高く、明るく登校する私を照らしていました。
「・・・」
別に挨拶するような友人もおらず、無言で教室に入ってまっすぐ席に座りました。楽斗さんは既に登校しており、席で本を読んでいました。何か反応をしてくれるだろうか。昨日の一件で距離が近づけたかなと淡い期待を持って彼に視線を向けましたが、彼はこちらに向いてくれるどころか、視線にさえ気づいていない様子でした。
(そんなわけないよね)
わかっていたことではありました。それでも、肩を落とさずにはいられません。結局進展らしいものは感じず、まだまだ彼との関係は今の状態が続きそうです。
自分で思っていたよりショックが大きかったのか、今日の授業は一段と頭に入ってきませんでした。もともと勉強なんてできませんがそれでも変化に気づくほどです。耳から抜けていくというよりは、そもそも先生の声に対して聴覚が機能していないとでもいうような、文字通り頭に入ってこない状態でした。
昼休みになると、楽斗さんは席を外しました。多分ハーモニカを演奏するのでしょう。彼は毎日ハーモニカを吹いているわけではありませんが、昼休みに前のドアから教室を出ていくのはそれだとこの一か月間でわかりました。
すぐにでもついていきたいところでしたが、少し間を置いた方が私の精神上も良いことでした。それに、彼は私が聞いていることを知っているようです。それならもはや隠れる必要なんてないのではないでしょうか。一瞬そんな思考がよぎりましたが、頭を振って振り払う。出来るわけがない。彼は、たぶん拒否しないと思います。昨日のことで、なんとなく確信はありました。それでも、彼と同じ空間で彼の音色に耳を傾けるなんて、想像するだけで緊張してどうにかなりそうです。同じ空間にいないからこそ、彼の音色は私の心を落ち着けているのです。
そろそろいいかなと私も席を立って音楽室に向かおうとすると、担任の先生が私に声をかけてきました。正直なんでこんなタイミング何だろうと不機嫌でしたが、さすがに先生の呼び出しを無視するわけにはいきません。早く終わればまだ聞けるかな、そんなことを思いながら職員室に向かいました。
「先生、なんでしょうか」
先生は中年の男の方です。年齢の割に・・・というと失礼でしょうか。がたいもよく、清潔感のある身だしなみで、おまけに親しみやすい性格をしていて、男女問わず人気のある方です。私は特に興味ありませんが。
「中間まであと二週間だな」
「・・・そうですね」
突然このおっさんは何を言い出したのかと理解に苦しみました。まさかそんなことを言うために私を呼んだのだろうか。軽い殺意を覚えるのと同時に、どこか引っ掛かりも感じていました。一体何だったんだろう。少し記憶を探るだけでそれはすぐにわかりました。先生が口を開いたのもそれと同時でした。
「覚えているだろう?約束のことを」
「・・・はい」
「ならいい、頑張ってくれよ。俺としても本望じゃないからな」
先生の話は期待通りすぐ終わりました。しかし、私は音楽室に向かう気になれず、そのまま教室に戻って突っ伏していました。
先生の言った約束、それは
「1度でも、1教科でも赤点を取ったら留年、退学の代わりに2年への進級を認める」
というものです。ようは、勉強を頑張ると約束するので進級させてくださいということです。実際のところ、この提案をしてきたのは先生の方からでした。そのせいか、楽斗さんに気を取られていた私は完全にその約束を失念していました。
あと二週間・・・残念ながら絶望的、としか言えません。なんたって高校最初のテストの最高得点が国語の23点なのですから。二年に上がって難易度の上がったテストですべて30点以上なんてまさに夢物語、楽斗さんの夢は、あと二週間で終わってしまうのはほぼ確定したと言っていいでしょう。
今までの経験から、無理なことは十分理解していました。馬鹿なことをいつまでも良しとしておけるほど楽観的でもありませんでしたし、何度もペンを取ろうと、教科書を開こうと工夫を凝らしてきました。でも、何をしてもダメでした。根本的な何かが私には足りていない。それが現実でした。
「・・・そういえば・・・」
終盤は頭がいっぱいで先生の話など耳に入っていませんでしたが、最後に一枚の紙を渡されていました。放課後になり、帰る前にその紙を開いてみることにしました。
そこに書いていたのはある教室の地図でした。
場所は第三教棟、学校の図書館です。その二階には自習室としていくつか小部屋が設置されていました。地図にあったのは、その中の一室でした。
「一体何があるっていうの・・・」
まさかここで勉強すればどうにかなるとでもあの先生は言いたいのだろうか。随分と面白い冗談を言うものです。そんな魔法みたいな場所があるなら、皆使うでしょうに。そんなことを考えながらドアを開けるとすぐ、近くの椅子に座って何か準備をしていた人物と目があいました。
「・・・うそ・・・」
「・・・何かわからんが、不思議な縁があるものだ」
そこにいたのは間違いなく楽斗さんでした。一体どういうことなのか。確かに楽斗さんが良く図書館を出入りしていたのは知ってはいましたが、中に入ってまでは見ていないのでそこで何をしていたのかは知りませんでしたど・・・
唖然としていると、楽斗さんは目の前の席を指して座るよう促しました。言われるがままドアを閉めて椅子に座りました。まずは自分から説明しろとでも言うように彼は沈黙を保っていました。
隠しても仕方ありません。どうせ二週間後にはわかることなんですから、遅いか早いかの違いです。私はその約束と、今置かれている状況についてすべて話しました。さすがに約束のことを聞いたときは彼も驚いていましたが、話し終えるころには既に元の表情に戻っていました。
「なるほどな・・・ずいぶんと面白い約束というのもあるもんだ」
「笑い事じゃありません。私は大変なんですから」
興味深そうに何度も頷いていた彼でしたが、今度はこっちの番かと、近くの棚から一枚の紙を取り出しました。
「・・・勉学・・・部?」
「ああ、俺はその部員、兼部長」
聞いたことがありません。そもそも部活に入る気がなかったといのもありますが、それでも今までこんな部は聞いたことがありません。
彼によると、趣旨としては「塾に行きたくても行けない生徒にさらなる学びの場を提供する」そして「みんなで学ぶ楽しさをしってもらう」らしいです。
これだけ聞くと部員が集まってもいいような気はしましたが、すぐにその疑問の一部は消えました。この高校はそもそも頭の悪い自分が通えているような学校なのです。当然、頭を使うより体を使う生徒が大半を占めています。それと同時に体育系の部活動もかなり充実しているらしいです。
そんな中で「勉学部」なんて普通は入りません。毎日は活動していないみたいですが、それでも候補としては入らないでしょう。
そして人気のない原因の一番としては、おそらくは「模試」の受験がほぼ強制されているところだと思います。だって、部活動なら何か結果の残せる「何かが」が必要になってきます。そこで選んだのが模試なのでしょう。しかし、こんな学校で模試なんてまず受けようという人が少数です。進学を考えている人は皆塾のほうが信頼性があるでしょうし、スポーツができるなら推薦でも目指した方が楽な生徒もこの学校には多いと思います。
その結果が・・・そういうことなんでしょう。
「先生から言われて来たんだったな」
「はい・・・」
「お前はどうしたいんだ?この学校に残りたいのか?」
「・・・」
楽斗さんに言われて、改めて思考を巡らせました。この学校を退学になったら、私はどうなるんだろう。一番の生きがいだった彼がいなくなってしまったら、私には何も残っていません。悲しいけど、それが現実です。そもそも、楽斗さんと出会うまでどうやって生きてきたんでしょうか。もう、それすら思い出せない。大事なものがあるとすれば、お母さんや葵・・・家族のことでしょうか。でも、大事だからこそ、退学なんてことになったら、合わせる顔はありません。多分皆励ましてくれるでしょう。一緒に次の進路を悩んでくれます。ありがたいことに、そんな家族なんです。
でも、私は多分その優しさに耐えられない。そうなってしまったら、もう残された道は・・・
「・・・私は、まだこの学校にいたいです。私はまだ・・・・」
そこから先は言葉になりませんでした。だって、言えるはずないじゃないですか。楽斗さんが好きだなんて、この学校を退学になったら、もう死ぬしかないなんて・・・
彼がそれを感じ取ったのかはわかりません。彼はしばらく何も喋りませんでした。何か考えているような、悩んでいるような、天井を見上げながらそんな表情をしていました。
「・・・まずは二週間か」
「え・・・?」
「協力してやると言ったんだ。その覚悟に」
そういう彼の口調にほとんど変化はありませんでした。それでも、彼の言葉に思わず涙が出てきそうになりました。今まで何をしてもダメだったのに、彼なら、彼と一緒なら出来るかもしれない。そんな期待が、彼から伝わってくるようでした。
一体何が彼の心を動かしたのかはわかりません。
それでも、こうして私と彼のテストに向けた猛勉強が始まったのです。
テスト本番まで、のこり二週間
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