第18話

 食べ終わってホテルの外に出た時、真里子が階段をダイナミックに踏み外す。瀬田君は、真里子の姿を常に視界に入れており、瞬間を見逃さなかった。あっという間に真里子は、瀬田君の腕の中に抱きとめられていた。場の空気が静止する。あまりに素敵なワンシーンだ。まるでドラマのよう。そのままキスすればいいのに。瀬田君に身を預けて、真里子は恥ずかしがりもせず、フワフワと笑っている。食べ過ぎて気が遠くなっているらしい。というよりも、眠くなったというのが正しいか。大量に食べて寝て。さすが巨人族。他の人は食べ過ぎて、グロッキー状態だというのに。

「ここからはそれぞれ別行動にしましょう。せっかくのデートですから。男子は責任を持って、女子を家まで送り届けてください」

 そう言った門脇さんも、お腹いっぱいで苦しそうだ。山岸先輩に寄りかかってフゥフゥ言っている。羨ましい。門脇さんの熱い視線が、僕に注がれている事に気がつく。分かってますよ……。

「じゃあ僕らも、腹ごなしに散歩でもしましょうか」

 僕は深山先輩の肩に触れた。

「え? みんなで帰ればいいじゃん……じゃねえや。そうだった。私もちょっと買い物がしたいから、別行動にしようぜ」

 先輩がギリギリで空気を読んだ。頑張ったな。

 今日はクリスマス。これから海の見える公園なんて行ったら、見渡すかぎりのカップル群に遭遇する。人混みが嫌いなのは深山先輩も同じ。僕らは中華街でおみやげの買い物を素早く済ませ、たぶん一番乗りで帰りの電車に乗った。まだ早い時間帯なので、電車も混んでない。

「……人混みはイヤなんだよ」

 深山先輩がボソッと言った。

「僕もそうです。長い列に並ぶくらいなら、諦めるタイプです」

「せっかくのデートなのに、悪い」

 先輩が小声で言った。僕は微笑んだまま何も言わない。電車の窓から、横浜の夜景が流れて見える。心がしみじみとする。こんなに清々しいデートは初めてだ。中学の時は失敗ばかりしていた。

「佐藤、竹刀買ってくれてありがとう。お返しがなくて、ゴメン」

「いいですよ。喜んで貰えて嬉しいです」

「でも、本当にお返しは無くていいのかな……」

 深山先輩は義理堅い。

「じゃあ、また今度デートして下さい。今度は二人っきりで」

 勢いで言った。でも、きっと楽しいデートになると思った。先輩が無言で頷いてくれた。

「あのさ、私、春の大会で剣道部引退するんだ」

「マジですか? なんで」

「わたしんち、薬局なんだよ。だから薬剤師になろうと思って。でな? 親が言うには、千葉大か慶應か、理科大に入って欲しいんだって。そうすると、猛烈に勉強を頑張るしか無いんだ。ムリかもしんないけど」

 ゲ。それは本当にムリじゃないの?

「深山先輩、模試とか受けてます? 偏差値はどれくらい」

「先月の模試で六十三だった」

 マジか。バカだと思ってたのに。

「部活頑張ってるのに、その成績はすごいなあ」

「でもさ、高二の模試はあんまりアテにならないらしい。担任にも、確率は五十%って言われてる。浪人は嫌だから、一発で決めたい。だから春で引退する。百%(ひゃくぱー)になるまで勉強するつもり」

 何故か恥ずかしそうに先輩が言う。

「先輩が本気なら大丈夫だと思います。絶対大丈夫ですよ」

 僕は心からそう思った。先輩はうつむいて、じっと考えるようにしている。

「春の大会で私が結果を残せたら、佐藤。あの、ご褒美的ななにか、もらえない? ……最後の大会だし」

 ドキドキした。切れ長の目で、じっと見つめられて息が止まった。

「ベスト4に入ったら、一つだけ何でも言うことを聞きます。それでどうですか」

「マジで? やった!」

 深山先輩が小さくガッツポーズした。普段だったら絶対に見せない可愛らしさ。仕草に色気がある。ヤンキー嫌いと言いながら、僕はかなり惹かれている。


 途中の駅で先輩と別れて、僕は気分よく家に帰った。なんだろうこの感じ。とても楽しんでしまった。瀬田君の計画が素晴らしかった。金を出さないで済んだというのも大きい。竹刀の代金を含めなければ、交通費しか使ってない。余った金で、肉まんをお土産に買った。家族にお土産を買ったのは、修学旅行の時以来だ。一個百円のミニ肉まんだけど、割りと喜んでもらえた。姉が特に喜んで、僕はかなり驚いた。お土産はポイント高いな……。

 今日は食べ疲れた。口を動かしすぎてアゴが痛い。顔が筋肉痛になりそう。そう考えると真里子とか瀬田君は、顔の筋肉も相当鍛えられているんだろう。普段表情が乏しいくせに。

 僕が帰宅してから三十分ぐらいして、家のチャイムが鳴った。家族は居間で、肉まんを食べながらテレビを見ている。それで僕が玄関へ向かった。ドアを開けたら真里子だった。表情がしこたま暗い。

「どうしたんだよ。瀬田君に送ってもらわなかったの?」

「送ってもらった」

 真里子が無表情で答える。

「何かあった?」

「何にもない」

 とにかく上がれよ、と僕は言う。

「お姉ちゃんに相談があるの。お姉ちゃんのお部屋に行きたい。宗ちゃん、お姉ちゃんを呼んで下さい」

 切羽詰まってる感じ。要望通り姉を呼びに行く。姉が居間から飛び出してきて、真里子を伴って自分の部屋へ向かった。僕も自分の部屋に戻る。これはただ事じゃない。瀬田君の携帯に電話しようかと思った。

 

「宗ちゃん!」

 またノックも無しに、姉が部屋に入ってきた。

「クリスマスデートは上手く行ったんでしょ?」

 姉が思案顔で言った。

「上手く行ったと思うよ。ただ、夕食の後は別行動になったんだ。男女一組づつ。だから後は知らない」

「真里ちゃんね、瀬田君に告白されちゃったんだって」

 マジかよ!

「それで真里子はなんて答えたの」

「瀬田君に好きですって言われて、付き合って下さいって言われてね。真里ちゃんは、とても嬉しかったのよ? でもとても緊張していて『ごめんなさい』って、とっさに言っちゃったんだって。断わるつもりなんて無かったのよ。むしろ瀬田君の事は好きなの。真里ちゃんはすごく後悔してる。可哀想に……」

 姉が涙をこぼしながら話した。義理の妹には優しい姉。

「分かった。すぐに対策をする。大丈夫。真里子がOKを出してるなら、なんら問題は無い。ハッピーエンドしかあり得ないから。僕に任せて」

「ホント? 宗ちゃん大丈夫ね? 瀬田君はいい子なんでしょ?」

「いい子もいい子。真里子と同じくらい繊細で、優しい人だから。断られた瀬田君の方が心配だよ。電話するから、ちょっと姉さん部屋を出ていてよ。結果はすぐにお伝えします」

 僕は言った。姉がせつなく微笑んで部屋を出て行った。真里子に対するこれほどの愛情が、何故弟達には向けられないのだろうか。


 瀬田君の携帯に電話をしたけど繋がらない。瀬田君の性格上、僕からの電話を永久に無視出来るはずが無い。案の定、四回目で電話が繋がった。瀬田君は無言。

「瀬田君は答えなくていい。重要な事を話すので、しっかりと聞いてください」

 瀬田君のショックも大きかっただろう。

「真里子の事だよ。真里子が今、ウチに来て姉さんと話してる。急に告白されて、ビックリしちゃったんだって。ごめんなさいって言ったのは、慌ててしまっただけだから。本人はとても後悔してる。真里子は、瀬田君の事が好きだって! 瀬田君、これから真里子に電話を代わるよ? いいよね」

 僕は訊いた。

「あの、是非お願いします。あの、本当に川崎さんは僕の事を」

「とにかくお話しをしましょう」

「はい」

 落ち着いた、瀬田君の声だった。しかし本当にフラれていたら、瀬田君は死んでただろう。ああ恐ろしい。

 僕は電話の子機を姉の部屋に持っていく。子機を真里子に手渡して部屋を出ようと思ったら、姉に袖を掴まれた。

「なんでだよ。そこまで介入しなくてもいいでしょ」

 僕は言った。

「真里ちゃんの幸せは、私たちの幸せなのよ。宗ちゃんはよくやってる。私も真里ちゃんをコントロールするつもりはない。ここがギリギリのラインなの。もう少しだけ見守ってあげて」

 姉の抽象的な言葉が、なぜかしっくり来てしまう。姉は大学で哲学と宗教の勉強をしている。ちょっと危ない。

 真里子が瀬田君と電話で話す。

「うん……。ううん! 大丈夫……。ゴメンね。あ……、ありがとう。そうなのゴメンね。ハイ。うん、私も嬉しかったの。そうだね、うん。ありがとう。ううん大丈夫」

 聞いているコチラが、恥ずかしくなるような受け答え。真里子の顔に血の気がもどって来た。それを見て、姉が満ち足りた表情をしている。僕は本当に、この会話を聞く必要があったのだろうか。馬鹿らしい。真里子が電話を切って、大きく息を吐いた。

「瀬田君が付き合ってくれるって! また今度、デートに誘ってくれるって!」

 姉に抱きつく真里子。姉は涙を流して喜んでいる。僕は薄笑いして、姉の部屋を出ようとする。

「宗ちゃん……」

 真里子にガッチリ肩を掴まれる。痛い痛い。

「本当に本当に有難う。いつもゴメンなさい……」

 泣き笑いの顔が美しいから困る。そして僕の心はとても満たされている。姉の言うとおり、真里子の幸せは僕らの幸せなのか。僕が中華街で買ってきたお土産、ミニ中華まんの残り四つ。あっという間に平らげて、真里子は足取り軽く自宅に帰って行った。

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