第17話

 三十分もすればもう腹一杯だ。我ながら胃の容量が少ないと思う。門脇さんもデザートに移行した。山岸先輩はまだまだ食べられそう。深山先輩も頑張って食べている。カラダ細いのに。

「先輩食べますね。太りますよ」

 深山先輩が北京ダックをむさぼり食っている。確かに北京ダックは凄まじく美味しかった。僕は初めて食べた。

「あんた。食べないと部活でやっていけないでしょうが。フツーに練習してたら太るわけないし。佐藤も門脇も、少し無理して食べないとダメだよ? 少しずつ食べる量を増やして、慣れていかないと。食べるのも練習のウチだと思ってさ」

 深山先輩が部長らしい発言をする。

「でも私、あの……便秘になりやすくて。食事前にもう、お腹が一杯な感じなんです」

 切なげに門脇さんが答える。食事中に便秘とか言っても、門脇さんだとなんら問題ない。可愛い。

「そうだなあ。イメージとしてはご飯をいっぱい食べて、上から便を押し出す感じ? 食べまくれば、さすがに出さないわけにはいかなくなるんだよ。これ本当だから。門脇、試しにやってみ?」

 深山先輩が言った瞬間、山岸先輩がまた口の中のモノを吹き出した。門脇さんと深山先輩にパンチされている。寡黙なのに笑い上戸。山岸先輩、いいキャラしてる。僕はもう、門脇さんを諦める決心がついた。

 一時間半ほどたって、真里子と瀬田君はまだ食べている。ペースは少し落ちたけど、苦しそうには見えない。ようやく味わう段階に移行したとも言える。食べるのに忙しかった真里子が、ようやく口を開いた。

「デザートって最後に食べるでしょう? でもデザートの後に、もう一回メインディッシュを食べても、私は美味しいと思う。デザートが最後っていうのは、なんだか寂しい」

「そうそう。ケーキとか甘いモノを食べたあとに、塩気が欲しいですよね。漬物とかお茶でもいいけど、そこでトンカツとかおにぎりを見つけると、それも食べてしまいます。それこそすごく美味しいんですよね」

 瀬田君の言葉に、真里子が深々と頷く。素敵な光景。バケモノの世界。


 店を出たのが午後三時。結局三時間半も食べ続けた。巨人達はメニューを二、三週していた。二人は満足気である。これじゃあデカくなるわけだよ。カラダの構造が全く違う。

 一番苦しそうなのが、深山先輩と山岸先輩。二人とも後半は、かなり無理をして食べていた。僕と門脇さんは、自分の胃の容量を知っているので、そこまで無理をしてない。大災害とか起きて、最初に飢え死にをするのはどのタイプなんだろう。僕なんかは飢え死するまえに、略奪とかを受けて殺されそうだけど。

「腹ごなしに散歩をしましょう。ちょっとお勧めのお店もありまして」

 瀬田君がそう言って歩き出した。そういえば予定表にお店巡りって書いてあった。

 さすがクリスマス。通りに人が満ち溢れている。僕は人混みが苦手なので、だんだん不快な気持ちになってくる。と思っていたら、瀬田君が、街の中心部から離れるように歩き始めた。細い路地を抜けて、長い坂道を登る。道の両脇には、綺麗な住宅が整然と並んでいる。人ごみを抜けたのは嬉しいけど、もうそろそろ歩くのを止めたい。腹いっぱいな先輩方も苦しそうだ。

「ほら海が見えるよ!」

 坂道のてっぺんで振り返り、真里子が遠くを指さして言った。長い髪が風になびいている。夕焼け空に清々しい笑顔。瀬田君は……見とれている。僕も美しいと思ったけど、腹がいっぱいな上に足が棒なので青春出来ない。このデートコースは、瀬田君と真里子の体力を基準として作られた。常人がついていけるはずがない。

 フゥフゥ言って坂道を登る門脇さんを、山岸先輩が引っ張ってあげている。羨ましい。しょうが無いので僕も、深山先輩の背中を押して坂を上がった。先輩は僕に「ありがとう」の言葉もない。と思ったら、先輩の耳がいつの間にか真っ赤になっていた。背中を勝手に触ってまずかったかな。

 

 小高い丘の上、周囲にいくつか学校のような施設が見える。横浜は学園都市なのかもしれない。

「つきました。お勧めのお店です」

 瀬田君が指し示したのは、でっかくて古めかしい武具店だった。剣道や柔道、空手などの道具を売る店だ。僕と山岸先輩以外のメンバーが、一斉に目を輝かせる。みんな好きだよなあ。僕は練習中以外、剣道の事なんて考えたくもない。

 店に入るとやけに天井が高い。こんな立派な武具店を見たのは初めてだ。周囲に学校が多いから、割りと繁盛してるのかも。中華街の近くだけあって、中国武術の道具まで置いてある。トンファーとか青龍刀の模擬刀とか。なかなか面白い。

 天井が高いので、竹刀の素振りも自由に出来る。みんな好き放題に振り回す。他の客がいなくて良かった。レジに座っているご主人と思われる人物が、こちらを見てニコニコしている。

「かなりバランスいいぞコレ。佐藤、ちょっと持ってみろよ」

 深山先輩に竹刀を手渡される。嫌だな、と思ったが命令に背くわけにもいかない。素振りをしてみたら、めちゃくちゃ振りやすかった。先の細いデザインに特徴がある。

「これは……すごいかも」

 僕はつぶやいた。だろ? と言って、先輩が高速で素振りをしはじめた。しまいには、真里子と向き合って、エア対戦をし始める始末。暴れすぎだ。レジの方を見たら、店主はまだニコニコしている。ずいぶん寛大だな。

 門脇さんが山岸先輩におねだりをして、竹刀を一本買ってもらった。お値段三千五百円。高い。普段僕らが使っているのは、高くても二千円ぐらいの廉価版だ。

「僕も買おうかな。邪道剣に丁度よさそうだし」

「えっ、佐藤。カネはどうすんの?」

 深山先輩が驚いている。

「深山先輩、いくら持ってきたんですか」

「いや、五千円ぴったりだけど」

 財布の中身を見せられて、本当に千円札四枚と小銭しか入ってなかった。そういえば僕らは、昼飯代を瀬田君に支払ってない。

「まあ女子ならいいか。一応僕は男子なので、多めに持ってきました」

 二万円持って来た。なけなしの金だが、何が起こるか分からない。デート中にお金が無くなって、中学の時、彼女にお金を借りた事がある。彼女がとても悲しそうな顔をした。

「あのさ、悪いけど金貸してくんない? 私もここの竹刀が欲しい。地元の店とモノが全然違うじゃない。佐藤、頼むよ」

 切実な感じの深山先輩。

「プレゼントしますよ。クリスマスだし、デートだし」

 深山先輩の表情を見ていたら、言ってしまった。なにかプレゼントをしようとは思っていたのだ。

「悪いよそんな。超高いし。そりゃデートだけどさ。恋人でもないのに」

 プレゼントしたいんです、と僕は言った。

「……えっと、有難う……」

 先輩が目を伏せて言った。

 じっくりと竹刀を選ぶ先輩を見て、僕も嬉しくなった。僕らは競技用と銘打たれた細型の竹刀を買った。かなり振りやすい。ちなみに真里子も、瀬田君に竹刀を買ってもらった。成年男子用の最大サイズ。極太で重い。それが丁度良いのだという。真里子が軽々と振ってみせる。こんなので思いっきり叩かれたら、僕のような小兵は脳震盪起こすぞ。防御しても、かなりダメージを受けるだろう。

「真里子に凶器を与えたね」

 皮肉を込めて僕は瀬田君に言った。

「綺麗だ……」

 瀬田君が真里子の素振りに見とれている。良かったね!


 山岸先輩以外、全員が竹刀を手に持っているという。まるで部活の遠征みたいだ。女性陣の満足度が非常に高い。瀬田君のデート計画は、かなり上手く行っている。

 住宅街の坂道を下る。夕焼け空に遠く、海がキラキラと光っている。ずいぶん贅沢な時間を過ごしていると思った。だいぶ暗くなってきた。

「ちょっと早いけど夕食にしましょうか。帰りが遅くなると良くないですし」

 瀬田君が言った。時計を見るともう六時近い。女子がいるし、確かにあまり遅く帰るわけにはいかない。しかしだ。北京ダックが胃の中で、消化されずに残っている。山岸先輩と深山先輩もげっそりしている。

「夕食もホテルのバイキングです。みなさん調整して食べて下さい。デザートだけでも美味しいらしいです。どうか無理をしないで」

 瀬田君が困った顔をする。

「そういや昼メシのカネを払ってなかったわ。悪いな瀬田」

 深山先輩の声を合図に、みんなが瀬田君に五百円支払った。意外にキッチリしてる。先輩が言葉を続けた。

「ホテルでバイキングとか勿体無いじゃん。、クリスマス価格で高いだろうし。そこら辺で豚まんでも買って帰ろう。帰りの交通費がなくなるよ」

 先輩が空気を読まずに言ったが、正論である。真里子と瀬田君は食えるだろうが、他の人はもう無理。

「あの……ここもホテルの優待券があります。夕食代は後で、また五百円貰いますので」

 瀬田君が遠慮がちに言った。一同大いに驚く。瀬田君が五百円貰うと言っているのは、他の人の顔を立てる為だ。瀬田君が全部奢る事も可能だと思う。それをしない彼の奥ゆかしさ。デートの予算五千円は、おみやげ等の余裕まで考えていたに違いない。

「瀬田君ありがとう。でも、優待券だってタダじゃないのに」

 僕は歩きながら小声で言った。

「大丈夫、優待券は貰い物なんだ。うちの父親は外食が嫌いで、使う機会がなくて。僕も外食は好きじゃなかったけど、今日みんなで食事をして、すごく楽しかった。川崎さんの食べっぷりが、本当に綺麗だったね」

 夢見る表情の瀬田君。まあ、それならいいか。「食べっぷりが綺麗」という言葉を僕は初めて聞いた。

 

 かなり立派なホテル。ちょっと緊張したが、中に入ったら家族連れがたくさんいて安心した。まあ、大人カップルのデートなら、クリスマスに食べ放題は行かないよな。

「子供もたくさんいるじゃんか。よかったぁ。私の格好で大丈夫か、ハラハラしちゃったよ」

 深山先輩が言った。僕もそれが心配だった。ジーパンにTシャツなので、レストランの入口で、入店を拒否される可能性を考えていた。

 真里子と瀬田君がどれだけ食べたか。詳細は控えさせていただく。午後三時まで昼飯を目一杯食べてたのに、どういう胃の構造をしてるんだ。レストランの料理がまた美味しくて、みんな無理をして食べてしまう。門脇さんが、途中でひっそりとトイレに立って行った。戻って来た時、深山先輩がすかさず言った。

「な? 出ただろ!」

 門脇さんは耳まで真っ赤になった。山岸先輩がフォローしようとして、門脇さんに思いっきりパンチされていた。

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