第12話

 道場の床が冷たくなって来た。もうほとんど冬だ。夏から秋にかけての剣道は、ダイエットに最適である。サウナスーツを着て重労働をして、痩せないわけがない。ただし真里子や瀬田君は、運動した分をしっかりと食べるので体重は変わらない。食欲の秋とはエリートの為の言葉だ。

 汗をかいて食欲も増して、成長が促される。瀬田君の家ではお父様もデカイということもあり、夕食は常に山盛り。僕は運動の後、食事をする気力もないほど消耗している。水泳部とか、サッカー部の人に負けないほど体脂肪率が下がってしまった。腹筋が見事に割れて、クラスの女子に触らせてとか言われてちょっと楽しかったけど……。ただでさえ少ない体重が、さらに減ってしまった。

 

 最近真里子は、何故かウチに来て食事をすることが多い。真里子がウチに来る時には、普段の倍の量が用意される。嬉しそうに真里子がガンガン食べる。それをウチの家族がドンドン褒める。マリちゃんの食べっぷり、見ていて気持ちがいいよな、と父が目を細めて言う。真里子を見ているだけで腹がいっぱいだ。調子に乗った真里子が、さらにおかわりをしようとして炊飯器を開き、中に何も入っていない事に気がつく。耳を真っ赤にして食卓の方を振り返る。誰も目を合わさない。テレビを見てました、という感じでスルー。弟が爆笑する。小学生の爆笑に、真里子が傷ついて涙をにじませる。父親が弟の頭をはたく。弟が訳もわからずに泣く。弟よ、お前は悪くない。全く悪く無い。

 

 瀬田君は最近、練習の参加率が上がっている。真里子と対戦することが面白いらしい。義理堅い事に、忘れず僕の相手もしてくれる。瀬田君の教えは厳しい。他人にしごかれたら、無条件に反発するのが僕の性格だ。しかしまさか、瀬田君に反発するわけにはいかない。なすがままに、厳しく鍛えられている。

 部活の後にブッ倒れる。キツイ。自分の無力さを改めて感じる。技術は上がっているかもしれないけど、体力はなんら向上していない。修行僧みたいな気分だ。

 練習の後、真里子と瀬田君が談笑している。瀬田君は本来、女子と気楽にしゃべれるような性質ではない。真里子も同じだ。絶好のライバルを見つけて、二人は我を忘れている。思春期をスルーしている。見た目はほとんど大人のような二人。女子部員がハラハラして見ている。瀬田君はしょうがないとして、真里子は女子のくせに純粋過ぎる。今更言っても、しょうが無いことなんだけど。

 

 帰り道。真里子と僕は地元の商店街を歩いている。

「真里子さ、瀬田君の事好きだよね」

 直球で訊いてみた。

「うん、好きだよ。ちょっと不思議。緊張しないでしゃべれるの」

 それは恋なのでは? と僕は思った。だけど訊いてしまったら、いっぺんに心を閉ざしてしまいそうで怖い。

「相性がいいよなあ、二人は」

「瀬田君は対戦してて気持ちがいい。私ね、剣道で何回か対戦すると、相手の性格が分かる気がするの。気持ちが伝わってくる事があるんだよ。普段は私、人付き合いがすごく苦手なのに」

 のん気な顔で真里子が言った。

「じゃあ、最近の俺はどう思う? 対戦しててどんな印象? 真里子には、相変わらず負けっぱなしだけど」

 僕は訊いた。

「そうだなぁ。宗ちゃんはすごく考える人だから、昔から剣が重いというか深い感じなの。試合をしてると、メッセージを感じる事が多い。そんな人、他にはいない。私たち、幼馴染だからかもしれないね? 最近の宗ちゃんは色々と大変です。もしかして瀬田君の事を心配してる? 宗ちゃんは優しいから。宗ちゃんが瀬田君を連れてきてくれて、私は凄く嬉しいし、剣道部の雰囲気もいい感じになった。だから宗ちゃんは、もっと安心してくれればいいのに……ってわあ! ごめんね。あの、勝手な事を言って」

 真里子が眉毛を下げて済まなそうに言った。真里子オソロシヤ。全部読まれている。アドバイスに従って、僕は自分の事に集中したいと思う。

「門脇さんと、相変わらず仲がいい?」

「うん。この前おうちに遊びに行った。私が夕ご飯を食べ過ぎて、多恵ちゃんのおうちの人がビックリしてた。恥ずかしかった……」

 食欲はどうしても抑えられないらしい。

「門脇さん、ちっちゃいもんな。全然食わなそうだよな」

「宗ちゃん、多恵ちゃんの事が好きでしょう? 可愛いよね!」

 他人の事には鋭い真里子。恋という概念は理解しているのだな。

「実を言うと好きだよ、門脇さんの事。真里子協力してくれよ」

 僕は笑いながら、しかし本気で言った。

「でも門脇さん彼氏いるよ。サッカー部の三年生だって。私達と同じ幼なじみ」

 マジか。もう何もやる気が無くなった。死んだような僕の顔を見て、真里子が慌てて口を手で覆った。遅いよ。部活の時、門脇さんを見て僕は癒されていた。厳しい練習の中、それだけが救いだった。もう無理だ。


 とは言うものの、剣道部は簡単に辞められない。僕が辞めると、瀬田君が剣道部に来なくなる。真里子が泣く。僕は深山先輩に殺される。ここまで来たら後戻りは出来ない。しかし恋破れた僕が、何を気兼ねすることがあろうか。

 門脇さんの笑顔を見ると僕の心が痛む。今まで癒されていた分だけダメージが大きい。ヤケクソな感じで練習をしていたら、邪道剣が不思議と軌道に乗ってきた。僕の暗い心が、卑怯な剣道に栄養を与えたのかもしれない。馬鹿らしいけど実感があるなあ。

 ある日の練習の後、なんと門脇さんが僕に話しかけてくれた。真里子が僕のことをよく会話に出すらしい。幼なじみっていいですよね、と門脇さんに言われた。門脇さんあなたは、幼馴染と付き合っているんですね。サッカー部の三年生。僕は見に行った。安定感のある大柄なディフェンダー。小さい門脇さんを、ガッチリ守ってくれそうだった。クソ。

 昼休み。机にうつぶせになっている僕の耳元に、可愛らしい囁き声。

「佐藤君、疲れてるね……」

 ガバッと跳ね起きる。門脇さんだ。

「私も今日、授業中にいつの間にか寝ちゃってました。部活頑張ってるけど、全然体力が付いた気がしない」

 門脇さんが悲しそうに言う。なんで会いに来てくれたのだろうか。とりあえず会話だ。

「練習の後、食欲が無いよね?」

 僕は訊いた。

「うん。夕ご飯が全然食べられない」

「早寝しても、疲れが取れないことが多いでしょう?」

「その通りです」

 門脇さんが不思議そうな顔をする。

「剣道部を辞めようと、一日に一回は考えている」

「え? なんで? それは真里子ちゃんにも言ってない」

 慌てる門脇さん。

「それを真里子に言ったら、あいつ泣くよ絶対」

「そうだよね……」

 眉毛を下げて門脇さんが微笑む。地獄のように可愛いらしい。

「俺も門脇さんと同じ。周りの人に比べて体力が無いから。消耗するばっかりだよ。疲れすぎてて眠りも浅い。剣道部辞めたいけど、もはや簡単には辞められそうにない。泣く人とか怒る人がいるから」

 僕がそう言ったら、お腹をかかえて門脇さんが笑った。笑いすぎて涙を流している。よっぽどツボだったか。というよりも、疲れてストレスが溜まってるのか。

「私たち、『体力が無い人同盟』で頑張ろうね。もうちょっとだけ」

「もうちょっとだけね」

 苦笑して僕が答えると、門脇さんが僕の背後に回って肩を揉み始めた。私得意なんだよ、と門脇さんが言う。細い指が、僕の肩にしなやかに食い込む。ああ、もうちょっとだけ剣道を頑張ろうと思う。女子に肩をもんでもらっていて、周囲の目が気になる。でも、もうどうでもいいもんね。というか門脇さんも動じない。彼氏がいる余裕か。クソー。

「あっそうだ、大変! 佐藤君、私と一緒に屋上に行ってくれる?」

 そう言って、門脇さんに腕を引っ張られた。僕は立ち上がって門脇さんに付いていく。なんだなんだ。これから何か、素敵な事が始まるのかな?

 

「おせーよ! もう昼休み終わっちまうだろ!」

 屋上に深山先輩。仁王立ちで待ち受けていた。やられた。これは詐欺だ。理由も無く、門脇さんがわざわざ、僕に会いに来てくれるはずがなかった。剣道部辞めたい。

「先輩すみません。あの、つい話が弾んでしまって遅くなりました。すみません」

 門脇さんが慌てて謝る。深山先輩がこちらを睨みつけてくる。僕は睨み返す。こっちは虚弱で、疲れてんだよ!

「すみません! お二人に相談したいことがあるんです。ちょっと秘密なことなので、屋上でお話ししたくて」

 マジか。門脇さんが主催なのか。理由も無く先輩とケンカする所だった。あぶねー。

「チャチャッと話してよ門脇。屋上寒いから、トイレ行きたくなってきた。漏れそう」

 そういう事言わなきゃいいのに。涼やかになびく長いポニーテールが、マジでもったいない。

「実はですね」

 門脇さんが真剣な表情で話しだす。深山先輩のトイレ欲はお構いなしか。木枯らしの吹きすさぶ中、屋上で「門脇さん会議」が始まってしまった。


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