第11話
瀬田君の家に到着した。ピンポンを押したら、美人のお母様が出てきた。瀬田君のお見舞いに来ましたと僕が言うと、お母様が困ったような顔で微笑した。居間に通されて、マカロンと紅茶を頂く。お母様が瀬田君のごきげんを伺いに二階の部屋へ向い、戻って来た。
「ごめんなさい佐藤君。せっかく来ていただいたのに、お会いしたくないってあの子が言っているの」
瀬田君のお母様が切ない感じで言った。潤んだ瞳。ウチの母親と齢は変わらないはずなのに、あふれ出る色気。すごい。
「ちょっと僕、直接瀬田君と話してみます」
「あの、でも」
と言って、お母様も立ち上がる。
「大丈夫です。任せて下さい」
僕はにっこり笑った。お母様が無言で頷く。素直な人。
瀬田君の部屋をノックする。返事が無い。僕はドアノブに手をかける。鍵がかかっていない。コレだよ、コレ! 「入ってもいいよ」という合図だ。完全に心を閉ざすことは、したくても出来ない。育ちがいいから。
「入るよ、瀬田君」
僕はドアを開けた。瀬田君は机に向かって背中を向けている。パソコンの画面を前にして、片手で頭を支えている。綺麗に並べられていたプラモデルやフィギュアが、ほんの少しだけ散らばっている。
「瀬田君」
僕は瀬田君の背中に言った。
「瀬田君!」
二度目。
「瀬田君……」
三度目で振り返る所が育ちがいい。彼は暗い表情で、床に散らばった人形をじっと見つめている。
「瀬田君は何も悪いことはしてない。でも瀬田君は、僕に許して欲しいと思っているんでしょう? 全部許すから。すべて許すよ。瀬田君は充分苦しんだ。もういいじゃないですか。次のDVDを作る話をしに来たんだ」
フローリングの床に、瀬田君の涙がパタパタとこぼれた。心が綺麗だ。期待してたけど期待以上だった。
「お腹が空いたな……」
笑顔で涙をこぼし、瀬田君が言った。僕はもらい泣きしてしまった。馬鹿みたいだけど、非常に感動する。
晩飯をごちそうになった。高そうなステーキだった。恐らく、お母様が瀬田君の復活を待って、ごちそうを用意していたのだろう。素敵な家族だと思った。ウチだったら夫婦喧嘩のせいで、夕飯がカップ麺になったりするのに。
「言われてみれば納得だよ。剣道を見たことがない人が、あれほど上手に編集出来るはずが無いもの。佐々木先輩への質問がピンポイントだったし。すっかり騙された」
僕は笑った。
「申し訳ない……」
瀬田君がうつむいて答える。だんだん暗くなって行く。マズい。
「瀬田君が剣道の経験者だと分かって、僕はすごく嬉しいよ。でもまあ、今まで通りで何も変わらないよね? DVDは作るし、ゲームもする。僕はあまり剣道が好きじゃないけど、邪道剣はなんとかしたい。瀬田君、これからもよろしく頼みます」
ありったけの情熱を込めて言った。
「佐藤君の言葉に救われてる」
ポツリと言って、瀬田君が自分の事を話し始めた。
小さい頃から道場で剣道を習っている。今も週に二回は通っている。学校の運動部には馴染めないと思った。入部を誘われる事を恐れて、佐藤君に嘘をついてしまった。映像を作るのは楽しかったし、佐藤君と作業をするのは楽しかった。それで、裏切りを続けてしまった。
大げさな言葉に、瀬田君の繊細な内面が表されている。
「僕、剣道部に顔を出してみようかと思う。顧問の先生に誘っていただいたし」
瀬田君が言った。
「え、大丈夫?」
僕は慌てた。罪悪感の為に無理をすることは無い。
「撮影を続けたいんだ。女子剣道部が準優勝した時の、記念のビデオも作りたい。その許可の事も含めて、顧問の先生と一回話すよ。入部はしたくないけど」
控えめな瀬田君の、大胆な一歩。このチャンスを逃してはならない。
「そういう人は他にもいるから大丈夫。他の部活と兼部してて、たまにしか来ない人とか。幽霊部員もたくさんいるし。安心して」
僕は言った。
「そうか。良かった」
瀬田君がホッとした様子で微笑んだ。
ビックリした。しかし、この突然の大胆さも真里子とよく似ている。気を使っていた僕が、一気に置いて行かれる感じ。大きく羽ばたいて欲しいと思う。大人しいくせにやる時はやるのだ。ちょっと寂しい感じがするのは何故だろう。
女子剣道部、秋大会準優勝。記念DVD制作。僕も激しく手伝って、一週間ぐらいかけて作り上げた。死ぬ。
部活で疲れて、しかし自宅には直接帰らず、瀬田君の家に向かう。細かい作業が続いた。神経がすり減る。瀬田家の豪華な夕食で満たされて、そのまま眠りたい。残業が山盛りで待っている。女子のDVDなんて僕にはどうでもいい。しかし今後のJDKの為にも、瀬田君の欲求を満たさないといけない。
果たして、とんでもなく素敵なDVDが出来上がった。例によって撮影は、二台のカメラで行われている。瀬田君がナレーションをつけた。重低音のきいた渋い声。本物のドキュメンタリー番組のようである。そのDVDを手土産にして、瀬田君は鮮烈にデビューを果たす事になる。
DVDの表紙を飾った女子が喜んで、キャーキャー言う。彼女たちの写真を、パソコンで切り抜くのは僕の仕事だった。DVDの表紙にするには、華がちょっと足りない。色気も無い。そんな事、口が裂けても言えない。
DVDを恥ずかしげに手渡した後、瀬田君が男子の練習に参加した。剣道というスポーツは、相撲や柔道と同じで、太っていることが割と生かせるスポーツだ。一瞬だけ素早く動ければいい。
ビデオを作ってる太ったオタクが、竹刀を持って練習に参加。軽く打ちのめしてやるか、という雰囲気が部員の中にはあった。無理もない。歩き方もノソノソしている。しかし瀬田君の力強い素振りを見て、みんなの顔色が変わる。案の定、誰も瀬田君に歯が立たなかった。僕はそうだと思っていたよ。大人しい瀬田君が、一歩前に踏み出せたのは、腕に相当の自信があるからだ。奥ゆかしいけど憎々しい。
瀬田君と、まともにやりあえるのは真里子だけだ。二人とも凄まじく強い。超正統派。立派な体格。美しい戦い。均衡を破るべく、瀬田君が上段の構えに移った。身長の高さを生かして、常に振りかぶっている構え方である。百八十センチを超えている瀬田君が、これをやると迫力がある。迫力だけじゃなくて、一気に真里子を押し込み出した。これは本物だ。週二回の練習で、こんなになるものなのか。やっぱり僕、剣道辞めようかな……。
練習が終わって、瀬田君は清々しい顔をしている。先生に褒められて撮影の許可も貰った。入部しなくても、いつでも練習に来て良いと言われた。目論見通り。
さらに清々しい顔をしているのが真里子。ちょっと意外だった。瀬田君に押し込まれて、泣きべそをかいてるかと僕は期待していたのに。汗だくの真里子の、笑顔が輝いている。強力なライバルを見つけて喜んでいるらしい。ムカツクほど心が綺麗だ。
瀬田君はたまにしか剣道部にやってこない。部活に来たと思ったら、撮影だけして帰ったりする。普通なら顧問の先生に殺されるような行為だが、瀬田君は許可を頂いている。圧倒的な実力は誰もが認める所。部員のみんなは、まるでOBに対するように瀬田君に接している。アドバイスを求める部員まで現れ、瀬田君は丁寧に受け答えしている。割りと楽しそうだ。良かった。
稀に瀬田君が面を付けて練習に参加する。真里子がそれ楽しみにしている。巨人対巨人の真剣勝負。みんなが息を飲んで見守る。瀬田君が上段の構えに移行して、試合が白熱してくる。真里子もだんだん慣れてきて、上段に対して上手く立ち回るようになった。まるで大人の戦いだ。音が違う。
練習の後、僕は瀬田君と瀬田家に向かい、夕飯をごちそうになったりする。ゲームとアニメと、剣道の話で盛り上がる。とても楽しい。スタミナはギリギリ。瀬田君のペースについていけない。夕飯のあとには映像の制作を手伝わされる。頼まれて、僕は真里子と瀬田君の対戦をビデオに撮った。何度見ても惚れ惚れする試合だ。巨人の戦いはレベルが高すぎて、全く参考にならないけど。
瀬田君は、椅子に座って黙々と作業をしている。僕は半分眠りながら、寝っ転がってノートパソコンで作業をする。作業自体は非常に楽しい。僕はもう剣道を諦めて、映像制作に力を入れようかと思う。
「上段の構えはある意味、邪道剣に近いと思うんだ」
驚いて振り返ったら、瀬田君が僕の方をじっと見ている。
「そうだね……。瀬田君に上段に構えられたら、僕なんかは全く攻めようがないよ」
僕は虚しく笑った。
「僕は佐藤君の剣道、とてもいいと思う。対戦するたびにハッとさせられる。アイディアが豊富だ。スポーツは楽しくないとダメだと思う。佐藤君は今、剣道をやっていて楽しいと思ってる?」
ヤバイ。瀬田君が本気モードだ。僕は姿勢を正して座り直す。
「試合で勝てないからつまらない。正直、最近ちょっとヤル気がなくなってる。マネージャーに転向しようかと思っとります」
「佐藤君は伸びるよ。間違いなくセンスがある。今はちょっと壁にぶつかってるかもしれない。でも、続けていけば、佐々木先輩よりも強くなれると思う。僕は、佐藤君や川崎さんと真剣勝負するのが好きなんだ。邪道剣も好きだ。頑張ろう」
ぐは。
「僕がさ、瀬田君や真里子の、天敵みたいになれたら楽しいんだけどな。他の人は勝てないのに、僕だけは何故か勝ってしまう、みたいな。馬鹿みたいな話だけど」
僕は笑った。
「出来るよ」
熱いまなざしで見つめられる。
「が……頑張ります」
と、僕は答えるしかないじゃないか。
「偉そうな事を言ってゴメン。でも、正直な気持ちなんだ」
瀬田君が安堵のため息をついた。ジーンとする。僕の為に頑張って意見してくれたのだ。そうだよ。無差別級の、剣道の世界で勝利を得るために、僕は邪道剣を選んだんだ。ハンデを今更嘆くのはおかしい。励まされた。ああ、だけどもの凄く眠いのです。瀬田君がすぐさま作業を再開している。今、ここで帰りますとは言えない。絶対に言えないよ!
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