第5話
辛い夏休みが終わった。おかげさまで、少しは体力がついたような気がする。元が貧相なので、他の男子や真里子には結局押し負ける。この先の体の成長にも期待できない。両親とか近親者の体格を見ても、DNA的に無理だと思う。だから僕は、ホントに邪道剣を頑張ろうと思う。
最近僕は早弁をするようになった。異様に腹が減る。しかし、いくら食べても僕は太らない。身長も伸びない。僕のこの性質を真里子に分けてあげたい。彼女にいつも羨ましがられている。真里子は食べれば食べるほど、上にも横にも伸びる感じだ。
早弁したせいで、四時間目に物凄く眠くなってしまった。机に突っ伏しているうちに、昼休みになった。まだ腹が減っている。学食に行こうか。僕は寝ぼけ眼をこすって席を立った。その瞬間、背後から思いっきり頭にチョップされた。驚いて僕は振り返る。
「お前ふざけんなよ」
怒りに震える深山先輩であった。一気に周囲の注目を浴びる。四時間目は古文で、先生が教室にまだ残っていた。騒ぎに巻き込まれるのを恐れて、そそくさと教室を出ていった。助けろよ。
「先輩、僕が何かしましたか? 全く心当たりが無いですけど」
「心当たりがないとか、笑わせんなよ」
深山先輩に胸ぐらをつかまれる。百六十センチの僕よりも、少し背が高い。真里子は規格外だが、深山先輩は普通に発育が良い。おまけに顔も良い。ただ、残念な事にヤンキー。
「ちょっと場所を変えましょう。注目を浴びてますから」
僕は焦って言った。あとでどんな評判が立つか分からない。
「何見てんだよ」
深山先輩が、僕のクラスの人達に睨みを利かせて言った。酷い。いつの時代の不良だよ。しかし美人は得だ。先輩を眩しそうに見つめている男子がいる。なんだか喜んでいる感じの女子もいる。学園ドラマでも見ているつもりなのか。僕は深山先輩を引きずって教室を出た。そしたら廊下の隅っこに、真里子が体を縮めて立っていた。デカイから、身を縮めても全く意味が無い。僕は笑った。ようやく事情が分かって来た。真里子が、先輩に何か話したのだろう。恐らく僕が剣道部を辞めるとか、そういう話。
深山先輩が暴れそうな勢いなので屋上へ行く。弁当を食べたりしている人がいるけど、屋上は広いので距離を取れば問題ない。深山先輩を、なんとか屋上まで連れてきた。その後ろから、身を隠すようにして真里子が付いてきた。丸見えだが。
「まず言っときますけど、俺は剣道部辞めませんよ。合宿も生き延びたし、モチベーションも上がってるし、そこそこ本気でやるつもりです。たぶん卒業するまで辞めないと思う」
怒りで顔を紅潮させていた先輩が、急に真顔になる。真里子はかなり離れた位置にいて、僕らの会話は聞こえていない。深山先輩が口を開いた。
「夏休みが終わったら、お前が部を辞めると川崎が言っていた。佐藤は本気だから、いくら引き止めても無駄なんだと。私を始め女子部員は、佐藤の邪道剣にかなり期待をしてたんだ。突然辞めるのは許せないと私は思った」
深山先輩が淡々と言った。分かりやすい。
「確かに女子部員の事は考えてませんでした。謝ります」
「でも辞めないんだよな? 卒業するまでやるって言ったよな? 今まで通り、邪道剣を女子に教えてくれるんだろ」
先輩の笑顔が弾ける。美しいな。ほんと美少女だ。「単純な性格の不良」という要素が、先輩の美しさを高めている事は間違いない。さばさばしてて、切り替えが早い。好感が持てる。だけど女の子がヤンキーって、やっぱり嫌。
「合宿で、大学生の佐々木先輩という方がいましたよね。あの人、邪道剣の使い手だったんです。俺、佐々木先輩に頼んで、邪道剣を鍛えてもらうことになりました。水曜日は部活を休んで、大学の剣道サークルへ行きます。その成果は、ちゃんと女子部にも還元するつもりです」
「なんだよ佐藤、超やる気じゃん。さっき殴っちゃって悪い。まあ結果オーライだよな。邪道剣頑張ろう。おい真里子! こっち来いよ」
うわー。すげーヤンキーっぽい。というか体育会系っぽい。先輩が美少女じゃなかったら、かなり嫌いになってたかも。
真里子がおずおずと近づいてくる。事の顛末を先輩に説明される。真っ青だった真里子の顔に、血の気が戻って来る。
「じゃあ宗ちゃん、剣道部辞めないの? 本当ね? よかったぁ」
無邪気に飛び上がって喜ぶ真里子。仕草や言動が、深山先輩と違いすぎる。
「というかさ真里子。よくも先輩に、俺の情報を漏らしてくれたな。おかげで俺、教室で先輩にぶん殴られたよ」
「あ……ごめんなさい。ごめんなさ……」
泣き出してしまった。冗談が通じない。
「佐藤違うよ。川崎がさ、朝練の時に元気が無かったからさ。理由を聞こうとして、私が無理やり問い詰めたんだ。それで、今回のような事になった訳。許してやれよ。ほら、真里子のおっぱいに触っていいから」
深山先輩が、真里子を僕の方へ押し付けてくる。
「イヤ! 恥ずかしい!」
そう言って、真里子が思いっきり先輩を手で跳ね除けた。先輩の体が軽く吹っ飛んで、屋上のフェンスに叩きつけられた。ざまあみろ! しかし深山先輩大丈夫か。二メートルほど飛んだ。
「このパワー。今年は絶対に、団体戦でベスト4行くからね」
地面に倒れ伏しながら、深山先輩が不敵に微笑んでいる。真里子に負けてねえ。こんな女子、初めて見た。
「宗ちゃん……。私の胸に触りたい?」
真里子がうつむいて言った。何を言っている。僕が触りたいと言ったら、普通に触らせてくれそうだ。違う違う。真里子は本当に危ない。
「真里子さ、部活は楽しい?」
僕は訊いた。
「うん。宗ちゃんがいてくれるし、深山先輩も優しいし。私、こんなに楽しい時って今まで無かったと思う。あ、あと多恵ちゃん。今度おウチに遊びに行くの」
幸せそうな真里子。
「じゃあお互い、部活を当分頑張るか。それで、高校生活はとりあえず平和かな」
運動部は辛いことも多いが。
「私、部活頑張るよ。剣道好きだし」
真里子が真面目な顔をして言った。まだ立ち上がれない深山先輩が、空をじっと見つめている。真里子のセリフを聞いて、ジーンとしたらしい。情熱的なヤンキー。
「宗ちゃん部活辞めないでよかった!」
真里子が無邪気に抱きついてくる。さっきまで恥ずかしがってたのに、もう忘れている。こいつは子供だ。僕は思春期なので、真里子を引き剥がそうとする。そうしたら、真里子が僕の両腕を掴み、ジャイアントスイングみたいな形になってしまった。屋上でこの状況はマジでヤバイ。無重力体験をしながら僕は、こういう死に方もあるのかも、と本気で思った。
ガツッと鈍い音がして、僕は屋上入り口の建屋に直撃した。方向が違っていたら、屋上からダイブしていた可能性もあった。何故か痛みを感じない。地面に白い破片が落ちている。たぶん僕の歯だ。口元に手をやったら、上の前歯が半分折れていた。これは非常にマズい。僕ではなくて、真里子のダメージが大きい。
折れた僕の前歯を、真里子が先に拾ってしまう。
「宗ちゃんの……歯? 宗ちゃん、口を開けて見せて」
朴訥な口調。仕方なく僕は口を開けて見せる。
「前歯が……。私のせいで宗ちゃんの前歯が……」
ハァハァ言いながら、真里子が極限状態に近づいている。真里子は気が弱い。力が強いだけに、人を傷つける事を極端に恐れている。先ほど深山先輩を弾き飛ばしたのは、実は大きな一歩だった。仲が良い友達だから出来た事だ。その直後に悲劇が起きてしまった。
「永久歯なのに……どうしよう。私、どうしよう」
屋上で真里子は昼ごはんを少し吐いた。顔が真っ青。人一倍白い肌が、透明になって行くようだった。こうなると、僕がいくら慰めても無駄だ。過去に経験がある。取り敢えず真里子を早退させた。フラフラしてて危ないので、タクシーで帰らせた。屋上にこぼれた昼ごはんは、素早く深山先輩が処理してくれた。とても有難かった。
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