第4話

 夏休みの間、剣道部はほぼ毎日練習がある。一週間続く地獄の合宿も予定されている。僕はそもそも、高校生活はダラダラと過ごす予定だった。運動部なんて入るつもりはなかった。上下関係とか汗だくの練習とか、中学の剣道部でイヤというほど味わった。辛いだけで何も楽しく無い。当時は真里子に勝ちたくて、それだけをモチベーションに頑張っていた。高校からは心機一転、楽しい人生を歩もうと心に決めていた。

 なぜか高校でも入ってしまった剣道部。夏の練習はやはり厳しい。暑さと辛さで魂が飛んで行ってしまった。部活の帰り道。

「真里子、剣道部にだいぶ馴染んだよな。特別な友達も出来たよね、あの小さい人」

「うん。門脇さん。門脇多恵ちゃん。とても優しくて、頭がいいの。気が合うと思う。そういう友達、初めて出来たかも!」

 目を輝かせて真里子が言った。よかったですねー。門脇さんって、女子で一番小さくて弱い人だ。真里子と正反対のような存在だけど、性質は近いのかもしれない。

「じゃあさ、俺、そろそろ剣道部辞めるね? 合宿行きたくないし。俺もそれなりに楽しかった。真里子、頑張れよ」

 そう言って振り返ったら、真里子の顔が真っ白になっている。多少ダメージを与える事は覚悟していた。僕は、自分の幸せを追求したい。

「宗ちゃんが辞めるなら、私も辞める」

「何言ってんだよ。せっかく友達が出来たのに。お前、剣道好きなんだろ? 間違いなく才能あるし。俺にはそもそも、運動の才能が無いんだよ。邪道剣に明るい未来は無いし。分かってくれよ」

 僕は少し笑って言った。真里子の表情は変わらない。

「本当に剣道部辞めるの?」

「うん。俺、アウトドア同好会に入ろうかな。結構興味あるんだよね、キャンプとか。楽しそう」

「私、キャンプなんて行きたくない」

 真里子がうつむいて言った。

「いや、行かなくていいよ。剣道部の人は」

 僕は笑った。

「宗ちゃんが剣道部辞めたら、私もう学校行かない」

 出たよ、身内限定のワガママ。この強情を他人にも発揮できればいいのに。僕が剣道部を辞めたら、本当に真里子は学校に行かないだろう。こういう事は今までにもあった。結局僕が折れて、真里子が笑顔を取り戻す。パターンだ。

「真里子が学校に行かなかったら、俺はもう真里子と友達辞める。話しかけられても無視するから」

 言ってしまった。真里子の為だと思った。

「お願いします! もうちょっとだけ剣道部にいて下さい」

 号泣して、まさかの土下座。スカートから伸びた長い足が、コンクリートの上に痛々しい。

「女子が道に座るなよ」

 僕は真里子の肩をつかんで立ち上がらせようとした。しかし真里子は、石のようになって動かない。

「……じゃあとりあえず、夏休みの間は辞めないよ。だけど、ずっとってわけにはいかないからな」

 僕はしぶしぶ言った。これ以上追い詰めたら、真里子が何をしでかすか分からない。

「宗ちゃんありがとう! 宗ちゃん大好き」

 真里子に抱きしめられる。繰り返すけれど、僕らには恋愛感情がない。だからこそ、真里子も自然に僕を抱きしめることが出来る。心が純粋過ぎると思う。保護者として非常に心配だ。

 それにしても真里子は筋力が半端ない。おもいっきり抱き付かれて、僕は恥ずかしくなる前に、骨がメキメキといって身の危険を感じる。

「痛い痛い! ちょっと真里子、気持ちは分かったから離して!」

 僕は悲鳴を上げた。ハッとして、真里子が僕を解放してくれた。僕は地面に倒れ込んで、ゼーゼーと息を吐く。真里子が困った顔で、笑顔を浮かべている。動物園の飼育員って……相当大変そうだよな。


 合宿で僕は死んだ。ブランクがあったので体力的に無理があった。剣道部は伝統がある。合宿に参加したOBの人数が半端ない。現役の部員が二十名ちょっとなのに、OBの参加人数が三十名。どういうことだ。当然上下関係は厳しい。新入部員は一番の下っ端だ。ボロ雑巾になったような気分だ。

 僕の邪道剣を持ってすれば、ムカつくOBの半分はやっつける事ができる。それぐらいの実力はあります。しかしこの状況で邪道剣など繰り出せば、OB達に殺されるのは間違いない。勝負に勝てないとストレスが溜まる。しかし僕は、基本に忠実に、正しい剣道をするしかなかった。生きて家に帰る為に、従順な新入生としての態度を崩せなかった。

 さらに酷いことがある。OBや先生方は女子に物凄く甘い。男子が反吐を吐きながら練習している横で、女子はスポーツ飲料を飲みながら、座って見学をしていた。これには「見取り稽古」と言う便利な名前がついている。見るだけの練習。バカか。男女では体力差があるし、厳しくしたら、ただでさえ少ない女子部員が減ってしまう。苦肉の策らしい。僕も女子に厳しくしろと言うつもりはない。ただ、こっちが死にそうになっている横で、涼しい顔でポカリとか飲まれると、気が狂いそうになった。

 深山先輩と真里子だけは、男子の練習に参加した。さすがだ。真里子は体力が凄まじいので、男女の区別は関係がない。深山先輩はそんな真里子を見て、休むわけには行かなかったのだろう。男子と一緒に、反吐を吐きながら練習していた。ちょっと感動した。あと、真里子と仲が良いという門脇さんは、見学中にポカリを一度も飲まなかった。ずっと立って見ていた。僕は、そういう所を見逃さない。門脇さんはいい子だ。ちっちゃくて可愛いし。真里子と相性が良いことは、間違いない。

 深山先輩と門脇さんがいなかったら、僕は合宿を逃げ出していたかもしれない。二人の姿に相当癒された。というか、それぐらいしか、救われるポイントが無かった。

 合宿は散々だったが、ちょっとした収穫もあった。合宿で出会った無慈悲な先輩の中で、光り輝いていた先輩が一人。大学三年生の佐々木先輩。貧相な体格。邪道剣の使い手だった。フワフワと動きながら、卑怯な技で、ゴツイ男たちを手玉に取っていた。佐々木先輩はOBだし、邪道剣を使っても周囲に非難されることはない。僕は自分の理想型を見た気がした。思い切って、先輩に話しかけてみた。

「邪道剣か。それ、最高のネーミングだよ。佐藤君、いいセンスしてる。僕も使わせてもらおう」

 佐々木先輩が笑って言った。気さくな人だった。威張り散らすだけの、他の先輩とは違う。

「カッコ良い名前では無いですけど」

 僕はつぶやく。

「背が低いし力も無い。相手の裏をかかないと、勝つ方法が無いわけだ。卑怯だと思うけど、自然とこうなってしまった。邪道剣は悲しい剣です」

 そう言って、佐々木先輩が吹き出して笑った。この人に弟子入りしたい。僕は思い切ってお願いしてみた。

 佐々木先輩が困った顔になる。

「剣道は判定のスポーツだから、正しい形が絶対だよ。高校で変な癖がついちゃったら、あとで修正するのは大変だから」

「正しい形もちゃんと練習します。僕は試合に負けたくないんです。ここぞ、という時にしか使いません。お願いします」

 かなり熱くなってしまった。

「うん……分かった。いっしょに、邪道剣の腕を磨きましょう。ただし、物凄く邪道になっても責任は取れないよ? あと、基礎の練習も見るからね」

 そう言って先輩が微笑んだ。なんて素敵な人なんだろう。貧相だけどカッコいい。佐々木先輩は、大学のサークルで剣道をやっている。毎週水曜日の午後に、僕はサークルの練習に参加させて頂く事になった。部活の顧問の先生にも認めてもらった。

 というかわたくし、夏休み前は剣道部辞めようと思ってたのに。やる気になってしまっている。

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