第3話
小学校の低学年から僕は剣道をやっている。それなりに実力がある。貧相な体格をしているので、真っ当なやり方では試合で勝てない。卑怯な動きをするようになった。名付けて「邪道剣」。剣道の先生に叱られる事が多い。だけど勝つためには仕方がなかった。特に真里子のようなゴリラ系に対した場合、正攻法で行ったら万が一にも勝てない。剣道は精神性が重んじられるスポーツで、正しい動きが推奨されている。大人たちに、何度も何度も邪道剣を矯正されそうになった。僕は試合で負けたくなかったので、自分のやり方を押し通した。その甲斐あって、道場の先生方は悲しい顔で容認して下さるようになった。
邪道剣は試合では効果的なので、団体戦では重宝された。明らかに実力が上の相手に、僕が暗殺者のような働きをして、勝利を収める事がある。誰も褒めてくれない。道場で一番偉い八十歳の老先生が「好きにやればいいんだよ〜」と、何かにつけて言ってくださる。その言葉にかなり支えられている。
真里子の剣道は超がつくほどの王道だ。スピードとパワーが半端ない。体格が良いので押し負けない。ジリジリと相手を追い詰めて、ズバッとトドメを指す。見ていて美しいし、気持ちがいい。これが本当の剣道だ。小学生の時はチームが男女混合ということもあって、僕らの道場は無類の強さを誇った。僕が先鋒で卑怯に勝ちをさらい、大将の真里子が締めを飾るというパターン。区のレベルで負けることが無かった。真里子のお陰で、僕の邪道剣が目立たないというメリットがあった。あれは相当にズルいチームだった。
小学校三年生ごろだったか。真里子がゴリラ化し始めて、全く歯が立たなくなった。それまでは僕も、正しい剣道を目指していた。しかし、身体能力にかなりの差がついて、僕は暗黒面を追求せざるを得なくなった。足を叩いてからの面とか、肩を叩いてからの胴とか。細かい説明は省くけど、酷い技をたくさん開発した。そうやって僕は、真里子となんとか渡り合ってきた。剣道は柔道と違って、体重別の仕組みなぞ無い。真里子は小学生にして、道場の高校生と普通に対戦をしていた。僕がダークサイドへ走らざるを得なかった理由を、少しでも分かって頂けたら嬉しいです。邪道剣のせいで僕は、性格も曲がったような気がする。
高校の剣道部に入るにあたり、僕は邪道剣を封印した。遅れてきた新入生が卑怯な技を使えば、周囲の冷たい目はさらに冷たくなるだろう。それは僕も望むところではない。基本に忠実に、丁寧で綺麗な剣道を心がける。そういう演技が出来るのも、ダークサイドの人間ならではの事。公式戦で、邪道剣を認めない審判の方もいる。臨機応変に対応する術が身に付いている。綺麗な剣道をやってると、僕は平凡な選手だ。それが効を奏して、僕はだんだんと、剣道部のみなさんに受け入れてもらえるようになった。強さよりも動きの美しさ。基本への忠実さが評価される。顧問の先生にも、お前は筋がいいと言われる始末。頑張れば、来年ごろには試合に出してやれるかもな、とまで言われた。
みんな甘いよ。それじゃあ試合に勝てないじゃないか。そういうわけで、ウチの高校の剣道部はあまり強くない。勝負よりも美しさを優先している。僕の好みじゃない。しかしまあ、僕も真剣にやってるわけじゃないので、平和を優先しようと思った。
ところで真里子だ。男子に混じって練習をさせられている。女子のエース候補として、周囲に期待されている。男子に引けを取らない動き。しかし僕の見たところ、まったくもって覇気がない。他の人は気がついていないみたいだけど、真里子の実力はこんなもんじゃない。なんでこんなに中途半端にやってるんだろう。自分の事は棚にあげて置いて、だんだんイライラしてきた。
部活の帰り道。真里子は僕と一緒に帰るようになって、だいぶ精神が落ち着いてきた。笑顔が増えた。いままで一人で、ずいぶんと心細かったのだろう。気持ちは分かる。だけど僕は、言わずにはいられなかった。
「お前さあ、なんで本気で練習やってないの? 道場の時と全然違うじゃん。なんか理由があるわけ?」
かなり不機嫌な感じで訊いてしまった。真里子がビクッとする。
「あの……ごめんなさい」
でっかい体で、背中を小さくまるめる真里子。
「別に責めてるわけじゃないんだ。調子悪い? 剣道嫌いになっちゃった?」
「違うの! 剣道は好き。顔も体も隠れてるし、思いっきり力を出しても恥ずかしくないし。でも、本気でやったら先輩に悪いもん。またゴリラとか呼ばれるようになるよ」
振り向いたら真里子が涙をこぼしている。言い過ぎた。
「男子の部長とさ、女子の部長さんも。あと、顧問の先生も。真里子にかなり期待してるじゃん。しかもみんな、結構いい人だよ。部員の人もそう。中学までの狭い世界とは全然違うから。一回全力でやってみなよ。絶対認めてもらえるから」
「ダメ。男の人って、私に負けるとすごく悔しそうな顔をするから。宗ちゃんもそうでしょ? 私も部員の人はみんないい人だと思う。でも、私に負けたら絶対気を悪くする。ゴリラだって思われる」
ゴリラ……。相当トラウマになっている。
「ゴリラなんて誰も思わないって。自分でゴリラだって言ってる事が一番問題だから。剣道で遠慮してる真里子を見てると、俺、超イライラするんだけど。それこそゴリラが、人のフリしてるみたいに見えるんだよ」
「宗ちゃんだって剣道部で遠慮してるじゃない! いつものずるっこい剣道しないで、弱いフリしてさ。私のこと今、ゴリラって言った!」
うずくまって泣き出す真里子。勢い余って言い過ぎた。やはりゴリラは禁句だった。僕はしゃがんで真里子の肩に手をかける。しかし本当に立派な体格だ。骨と筋肉がアスリートだよ。
「真里子ゴメン。じゃあさ、カミングアウトしようよ。お前の本気と、俺のずるっこいクネクネ剣道を部員のみんなに見てもらおう。失うものは何も無いだろ? ダメだったら、また静かな生活に戻ればいい。道場でも剣道はやれる」
「……宗ちゃんはそれでいいの? クネクネ剣道、先生に絶対怒られるよ?」
泣きべそをかきながら、真里子がほんの少しだけ笑顔になった。
「俺は別にいいよ。元々剣道部に未練は無いし」
「そうしようかな? ダメだったら私、剣道部辞めよう。それで美術部に入るの」
ほっぺたに涙の跡を残しつつ、真里子が微笑んで言った。だったら、元から美術部に入ればよかったんじゃ……ないのか?
真里子対僕の十本勝負。全力で。割と大切なイベントだ。
「みなさんに見てもらいたいんです」
と僕が言った所、先生が細かく聞きもせずに了承してくださった。ここら辺は武道の伝統と言えるかもしれない。何か理由があるのだろう、という雰囲気を汲みとってくださった。
こうなったらすべてを忘れて集中する。審判は顧問の先生と、男子と女子の部長様。間近でじっくりと見ていただける。
真里子もヤル気だ。面越しに見える目が笑っている。僕もダークサイドに身を沈めざるを得ない。笑った真里子に勝つために、あらゆる手段を使おう。そうすれば自ずと、真里子の実力も引き出されるはず。
真里子の動きにはほとんど癖が無い。攻めどころが無い。恵まれた体格を最大限に生かして、真里子が大迫力で踏み込んでくる。勝ち目がない。この状況を打開する為に、僕は後ろ指を刺されながら、今まで邪道剣を追求してきた。卑怯な手を使って、圧倒的なゴリラに立ち向かう。
十本勝負で二対八。僕の完敗だった。真里子がさらに成長していて、僕のへなちょこ技がほとんど通用しなくなっていた。
顧問の田中先生談。
「やはり川崎は全国レベルだ。ウチの剣道部に置いといてよいものか。私立の高校から引き合いは無かったのか? 将来の事を考えると責任を感じる」
男子部長、海原先輩談。
「綺麗な子が強いって素敵だよね。今まで遠慮してたっていうのが、また女の子らしいし。俺は勝てなさそうだけど、これからの練習が超楽しみ」
海原先輩はイイ人である。ちょっとチャラいが。
女子部長、深山先輩。切れる感じの美人。ヤンキーっぽい。
「川崎強いな! 男子と練習してたのは、ちょっと違和感あったんだよ。でも納得した。レベルが全然違うもんな。でもそうだ、佐藤の変則的な動きも良かったじゃん。あれを私に教えろ。そしたら一本取れるかもしれない。まともにやっても勝てねーよ」
深山先輩が長くて黒い髪を翻す。見た目は美少女なのに、中身がヤンキーで残念過ぎる。勢いに押されて僕は、女子部に邪道剣を教えるハメになってしまった。
真里子は全力で練習するようになった。活き活きし始めた。良かった。僕は女子にキャアキャア言われながら、邪道剣を教えている。かなりおめでたい感じ。結構楽しいけど。
剣道部の雰囲気が少し変わった。邪道剣は今の所お咎めなし。女子部長の深山先輩が、邪道剣を気にいっている。邪道なので、教えるのは気が引ける。熱心に教えを請われて、無下に断わるわけにも行かない。深山先輩は筋がいい。女子は卑怯な動きが実に上手い。なんだか複雑な気持ちだ。
真里子が変わった。内気で大人しく、消極的なのは今まで通り。ただ、剣道部では遠慮しない。男子にも負けない。卒業生が時々、練習に来てくださる。大学生とか社会人の方々だ。真里子はOBとも互角以上に渡り合っている。野に放たれたゴリラ。
それで真里子がまたモテモテになっている。練習している時は恐ろしく凶暴。一旦防具を外して素顔を見せると、急に弱々しくなる。そのギャップがたまらないらしい。男女問わず、特に上級生に人気がある。非常に可愛がられている。喜ばしいことだ。真里子もチームメイトを無視するわけにはいかない。他人とのコミュニケーションを練習するには、絶好の機会だ。よかったなあ。ゴリラと人間が仲良くなっていく過程は、見ていて非常に感動的だ。
「佐藤! 居残りで教えてくれ。頼むぞ」
深山先輩に頼まれる。美少女のリクエストは断れない。僕はいそいそと面を付け始める。これでヤンキーじゃなければなあ。
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