第2話

 高校に入って状況が変わった。僕らの高校は比較的規模が大きい。たくさんの中学から、生徒が集まって来ている。過去の情報が切り離され、高校デビューみたいな事が可能だった。デビューしたり変身したり、堕落したり。なかなか見応えがあった。

 中学までは孤高の巨人、物言わぬゴリラとして、置物のように扱われていた真里子。高校に入って、その印象がリセットされた。まずは、見た目で判断される。僕はゴリラだと思っているが、一部の人には驚異的な美人に映るらしい。僕が真里子と会話をしていると、周囲から羨望の眼差しを受ける。高校生ともなると、グラマラスな要素がプラスに働くようだ。真里子に憧れる女子さえ現れた。

 男子生徒からの告白を、無表情に断る。高校一年にして、大人の容姿を持ち合わせている真里子。大学生、果ては社会人の彼氏がいるのではないか。男子生徒のやっかみが極まり、まさかの百合疑惑も生まれた。本人が喋らないので、大衆の質問が僕に向かってくる。僕は楽しかったが、真里子はかなり疲れているようだった。

 彼女が廊下を歩くと男子が振り返って、そのうしろ姿を見つめる。美しい事もあるだろうが、単に体がデカイという事が、目立つ理由ではないかと思う。とにかく大きいので、ゴリラなので、注目せざるを得ない。運動部からの引き合いが凄まじかった。僕らの高校はスポーツ活動にも力を入れており、その成果を、横断幕にかかげて校舎に貼り出したりする。「祝! 県大会出場野球部!」みたいなやつだ。

 入学と同時に、生徒の身体測定と体力測定が行われている。真里子はそこで、驚異的な数字を叩き出した。嘘がつけない真面目な真里子。全力でやってしまう。具体的に言うと、百メートル走が十三秒。走り幅飛びが五メートル五十。砲丸投げが十二メートル。背筋力とか握力も凄かった。もう少し頑張れば、たぶん全国レベルの数字だ。運動部が放って置くはずがない。争奪戦が巻き起こった。

 運動部からのお誘いをバッサリと切り捨てる。無愛想で無表情だから、クールに見える。だけど内面は極めて繊細。告白された時もそうだった。断るたびに真里子は死ぬ思いをしている。結局、真里子は剣道部に入部した。運動部からの勧誘をストップさせる為に、仕方なく剣道部に入った感じがあった。

 毎朝、僕は川崎家に真里子を迎えに行く。幼稚園時代からずっと続けてきた事だが、高校入学を機にそれを辞める事にした。真里子は一人でちゃんと高校に登校してきた。当たり前だ。


 高校に入って二ヶ月がたった。僕が自宅で朝ごはんを食べていると、玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けたら真里子。薄暗い表情をしている。登校するにはまだ早い時間だ。真里子が僕の母親に呼ばれて、朝食のテーブルについた。母親がお茶と、リンゴの切った奴を出す。真里子は無言で、悲しい顔のまま美味しそうに食べている。何かあったのか。

 僕の母親が真里子をまじまじと見て、「ピチピチ感とムチムチ感がたまらないわねぇ」と言った。真里子の顔が真っ赤になる。たった今、なにか言おうとしてたのに、何も言えなくなってしまった模様。

 朝食を食べ終えて一緒に家を出た。無言で数分歩いた後、ようやく真里子が口を開いた。

「宗ちゃん……。お話ししてもいいですか?」

 真里子が控えめに言う。僕の名前は佐藤宗一です。

「いいですよ」

「宗ちゃん、高校生になってから、一緒に登校してくれないね」

 デッカイ図体でべそをかいている。僕は慌てる。

「いや、それはホラ。俺らも成長して、男女的な区別が明確になってきたじゃない? その区切りとして、まああの、けじめをつけようと思ったわけで」

「中三と高一でそんなに違いがあるの? わたし友達いないのに、宗ちゃんが来てくれなかったら一人ぼっちだよ」

 真里子が悲しげに言った。

「真里子さ、高校に入ってからけっこう大変だったよね。大人気で」

 少し笑って僕は言った。

「私あんまり学校行きたくないの。でも、行かないわけにはいかないでしょ。宗ちゃん、助けてください」

 俺はお前の保護者かよ。保護者だったか。まあ、真里子にしては、限界まで頑張ったんだと僕は思った。


 真里子に寄ってくる人はたくさんいる。あくまでチヤホヤされているだけで、打ち解けられる相手を見つけていない。どちらかというと大人しくて、オタクみたいな女子なんかと仲良くなると、真里子も楽しめるのだと僕は想像する。

「剣道部に入ったんだろ? 部員の人と交流はあるでしょ?」

 僕は訊いた。

「顧問の先生が張り切っちゃって……。男子の練習に混ぜられてるの」

 真里子がげっそりとして言った。それは酷い。

「お前さあ、嫌ならちゃんと先生に言えよ。他の部に勧誘された時に、頑張って断ってたじゃん。主張しないと何も変わらないよ。せっかく高校に入って、環境が変わったんだからさ。チャンスだよ」

「宗ちゃん、中学で剣道部に入ってたじゃない。高校でも入ると思ってた。だから私も入ったのに」

 ゲ。そうだったのか。僕は剣道を辞めたわけではない。地元の道場に、気が向いた時に通っている。高校の部活は、上下関係とか面倒臭いと思って入らなかった。

「男子と練習して、思いっきりやれてる?」

「だから宗ちゃんがいないし、もう部活も学校も、全然楽しくないよ!」

 真里子が切れた。大人しい真里子が切れられる相手は、自分の家族と僕ぐらいなものだ。それでも非常に珍しい。かなり切羽詰っている。

「じゃあ俺、剣道部入ろうか。ヒマだし」

 僕は軽い気持ちで言った。幽霊部員的な感じで入ってやろう。時々顔を見せるだけでも、真里子の気が晴れるかもしれない。

「ほんと? 剣道部入る? ちゃんと練習して、あの、入部してくれるんだよね。宗ちゃん剣道部、一緒に練習」

 ハイテンション。というか、今までがローテンション過ぎたわけだが。よっぽど嬉しかったらしい。

 ここで、ハッキリとして置かなければいけない。真里子は決して僕に惚れている訳ではない。真里子の理想の人物は、相撲取りの琴欧洲だ。昔から公言している。把瑠都も大好き。相撲が好きで、自分に近い血統のゴリラ男が好きなのだ。一方僕はかなり貧相な体格をしているし、理屈っぽいメガネ男子。ゴリラにはゴリラが似合う。真里子に適合するようなゴリラ男子は、日本人だと、ハンマー投げの室伏氏ぐらいしかいないのではなかろうか。あのお方もハーフだが。高校男子なんて眼中になさそう。とりあえず、女子の友達を作ればいいと僕は思う。微力ながら協力したい。ゴリラのお世話係として。

 部活の、新入生歓迎フェアみたいな時期は、とっくに終わってる。僕が入部届けを先生に提出したら、拍子抜けしたような顔をされた。何で今頃? と思ったのだろう。僕もそう思う。一年生も部活に慣れて、運動部の本格的な活動が始まっている。夏休みには合宿も控えており、これからみんなで頑張っていくぞ、という時期に違いない。そこに見慣れない新入部員が一人。暗そうで貧相なメガネ男子が登場。場の空気を乱しかねない。あまり歓迎されてない感じが、ヒシヒシと伝わってくる。僕は、そういうのはあまりストレスにならない。むしろこんなタイミングで入部して、面白い事になったと思った。僕は考え方が偏っている。どうしてだろう。ゴリラの世話をしてきたからかな。

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