第10話 雪山に住む者
七人はカピラバストゥへの林道を歩く。途中耕作地で托鉢し、野宿してまた進んできたのだが、アングリマーラを連れているからか出会う人々の対応は冷たい。わざとなのかそうではないのか、罵声すらミコトたち一行の耳に入る。
ザッ!
怒りに立ち上がるアングリマーラをミコトは制止する。族をやっている頃からそういうのは慣れっこだった。一般人に手を出してはいけない。ミコトたちは走りのチームでありそれ以上の悪事は働かなかったのだが、盗みやドラッグ、破壊行為など本当に悪い連中と俺たちとで一般人からは見分けなんてつかないんだとそういうことがある度にスーサイドラビットのメンバーをなだめていた。
「俺のことはともかく、ガウタマさまのことまで。酷い奴らだ。師はあのように言われて怒らないのですか」
「怒らないよ。酷いとも思わない。あの人たちだって、他のひとたちだって、みんな修行すれば俺みたいになれるってもんだ」
ミコトは屈託のない笑顔を見せる。これまでミコトだって年齢の割に色々濃い経験をして生きてきたつもりだ。両親の離婚と死別、家の火事、バイク事故、友達の死去…貧乏暮らし…ヤクザや他のチームとの抗争…まるで人生は何かの修行・苦行だなといつの間にか思っていた。それに比べれば事情を知らない人たちが見た目や悪評を信じて軽蔑の眼差しを向けてくることなどなんでもなかった。七人は村を後にして進んでいく。
そして、目を疑うような光景がゆっくりと行く手に現れて道を塞いだ。
なんと、山が、いや、山々が迫るかのように向こうの方から近づいてくるではないか。
「ど、どういうことだ」
目付役のリーダーであった巨漢のアッサジが狼狽る。ほかの元目付役たちも方々に慌て、アングリマーラはミコトを守るかのように前に出たがそれもミコトは脇に制してその場で山々の到来を待ち受けた。
「「道の人よ」」
ミコトはその山々のせいで塞がれた道を見て答えた。
「何か」
相棒のカワサキ・バルカンがありゃあな。ロードスターを気取るのもアリなんだけど。
アングリマーラがミコトに耳うちする。「夜叉です。ガウタマさま」
夜叉ぁ?なんか、埼玉の方にそんなレディースがいたような…??は関係ないか。
その動く山々から冷たい突風が吹き下ろす。一瞬目を逸らして戻すと、ひとの三倍はあろうかという白髪の大男が山の前に現れていた。こいつも夜叉…?のリーダーか?
大男が響く声を上から落とす。
「説き示す人、説き明かす人、あらゆることがらの究極をきわめ、怨みと怖れを超えた目ざめた人、ガウタマに、われらは問う」
続いて山々が、その中央の雪山から澄んだ声を響かせる。
「何があるときに世界は生まれるのか。何に対して親しみ愛するのか。世の人々は何に執着し、悩まされているのか」
ミコトはしばらく目を閉じると、胸の内のガウタマと波をあわせて答える。
「雪山に住むものよ。六つのものがあるとき世界は生まれ、六つのものに親しみ愛し、六つのものに執着し、悩まされている」
大男は返す。表情が変わっている。
「その悩まされる執着とは何か。どうしたらその苦しみから解き放たれうるのか」
「世には五種の欲望の対象があり、意の対象が第六であると説き示されている。それらに対する貪欲を離れたならば、苦しみから解き放たれる」
ミコトはガウタマの残した身体と心を合わせ、出てくる言葉に驚きはない。気づけば山々は低くなり、大男は膝をついている。
「この世において誰が激流を渡るのでしょうか。この世において誰が大海を渡るのでしょうか。支えなくよるべない海に入って、誰が沈まないのでしょうか」
「常に戒めを身にたもち、智慧があり、心を統一し、内省し、よく気を付けている人こそが、渡りがたい激流を渡り得る。愛欲の想いを離れ、一切の束縛を超え、歓楽による生存を滅しつくした人。彼は深海のうちに沈むことがない」
ササーッッッ
一陣の風が吹き、夜叉たちが拝礼をする。
「「今日われらは美しい太陽を見た。美しく晴れた朝に逢い、気持ちよく起き上がった。激流を乗り越え、煩悩のなくなった〈覚った人/ブッダ〉にわれらはまみえたからである。これらの千の神霊どもは、神通力があり、誉れたかきものどもであるが、かれらは全てあなたに帰依します。あなたはわれらの無上の師であります」」
夜叉たちは現れた時と同じように遠く消えていった。改めて六人の弟子たちも拝礼する。
ミコトは弟子たちを立たせて再び歩きながら、ここでようやく一つのことに気がつくのだった。
ブッダ…?ブッダって…まさか、あの手塚漫画の!?!?マジかよ!?いや、リボンの騎士とかは読んだことあるんだけどなー。
七人のカピラバストゥへの歩みは続いていく。
(参考文献 中村元 訳 ブッダのことば)
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