第2話 ヴァーラーナシーの戦い

こんなはずでは、なかった。


敗走しつつある軍をまとめながら、パセーナディー王はひとりごちる。余は偉大な王なのだ。負けるはずがない。いや、負けるはずなどなかったのだ。


十六大国、その西の雄であるコーサラ国。軍事・政治・物流・経済・法律・呪法。そのどれもが偉大なる余の元、どこにも引けを取らぬはず、だった。現にこの古びた大国であるカーシーまでもが余の元に屈していた。それを、それを。


ガンッ!


パセーナディーはその太い腕を城の戸に叩きつける。ヴァーラーナシーを引かねばならん。このカーシーの都を引き払い、忌々しい東のマガダに渡すことを他の国々が、そしてコーサラの者たちがどう思うか。反逆者は出るか。様々な思惑が脳裏を巡る。だが猶予はなかった。馬か。エラワンか。即座に馬を選び跨がるとパセーナディーは高らかに歌いながら残兵を率いてヴァーラーナシーを出た。



『太陽が昇りつつ、星宿の光輝を奪い取るがごとく、正にかくわれわれは、女子にもあれ、男子にもあれ、われを憎む者の栄光を奪い取る』


後に続く兵たちが一斉に続唱する。


『いかほどの数にもあれ、汝らわが敵対者が、近づき来たるわれを見つむるとき、昇る太陽が眠れる者の栄光を奪い取るごとく、われはわれを憎む者の栄光を奪い取る』(辻直四郎 アタルヴァ ・ヴェーダ讃歌より)


駆ける兵たちが砂塵を上げながら一斉に続唱する。コーサラの軍はヴァーラーナシーを引き、その地はまもなくマガダの軍に占じられた。パセーナディーはサラスヴァティーの河を渡り、遠くカーシーの地を見下ろせる高台へと馬を進めた。一敗地に塗れた。しかし、すぐに取り返すつもりだった。


「…ん」


その高台に、見慣れぬ衣服を纏った青年が立ち尽くしているのをパセーナディーは認める。その白い服にはクシャトリアである余ですら読めぬ、いや類似のものすら見たこともない字、いや紋様か?が刻まれている。何者か。いや、その顔。知っている。パセーナディーが声をかけるより前に横にいた息子のヴィドゥーダバが出てその男の両肩に手をやった。そういえばこの二人は仲が良かったか。なぜこの男がここにいるのか気にはなったが、パセーナディーには他にやることがある。ここは息子へと委ねて自らは天幕へと向かった。


「ガウタマ!ここで何をしている!その奇抜な服はなんだ!?」


ヴィドゥーダバは親友の両肩に手をかけて揺さぶった。声をかけられた方のガウタマは呆けた顔をしている。


「…え?」


「え、じゃないよ!君は…苦行中と聞いていたけれど?」


「え、くぎょう?というか、ここは、どこ?」


「はあ?どうしたんだガウタマ。苦行のしすぎでどうかしちゃったのか」


「えっ、あ?ガウタマって誰?俺はミコトって言うんだけど…つーか、ここどこよ?」


クレーンに吊り上げられて(自分が暴れたせいで)落ちて死んだと思ったら赤い大地を見下ろす丘に立っていた。そうだ、そうだよな。何が起こった?ミコトはまだぼーっとしている。


「…?まさか、サンサーラか」


「え?サンサーラ?」


「輪廻転生だ。君はまさか、生まれ変わったのか。ガウタマ」


「は?転生?異世界とかの?」


天上天下唯我独尊。その題目を背負っていたせいか、ミコトは転生してしまったらしい。王子ヴィドゥーダバは続けた。


「神々のいたずらか。しかしそれはいい。じゃあ君は僕との約束を忘れてしまったのか。カピラバストゥで唯一僕のことを蔑まなかった友よ。二人の誓いを」


ミコトにとっては何のことかわからなかった。しかしこの王子様の顔をどことなくシンジに似ていた。他にあてもないし、この王子様のことを信じてみよう。え?誓いが何だって?


「二人でこの世界を救うと。君は信仰を持って、僕は剣を持って、世界を牛耳る傲慢なブラーフマナたちから全ての人たちを救うんだって」


一瞬の間があった。だがミコトにはヴィドゥーダバの熱意は伝わった。ガウタマとの友情も。


「よくわかんねーけど、その誓い、やってやんぜ。夜露死苦!王子様よ」


スーサイドラビットの先代総長から受け継ぐ特攻服の左胸には「三界皆苦」右胸には「吾当安此」と刺繍されている。よくわかんねーけど、ミコトはそれを誇りに思っていたのだった。

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