鷦鷯の椅子
私が幼かった頃、近所の男子中学生が死んだ。
中学生と私は年の差が四歳あり、その時彼は十五歳くらいだった筈なのだけれど、遺影には私と同い年に見える少年が飾られていた。
――気が、おかしくなっちゃったんですって……
窓をぴたりと閉じられた檜の棺を遠巻きに眺め、喪服の大人たちは揃って声を潜めていた。
――小さな生き物を殺してたって……カナさん、それで学校に呼び出されたこともあるそうよ……
中学生のお母さんは、葬儀場の何処にもいなかった。高熱を出して倒れたらしく、喪服の人たちはそのせいか、少し配慮というものが欠けているようだった。彼はすぐそこの箱の中でみんなの話を聞いているのに。
――怖いわね
――可哀想にね、トオル君、昔はあんなに可愛い子だったのに……
――小鳥の死骸を窓枠に並べてたって……
――真夜中によく叫び声がしたそうよ
――恐ろしい話
――うちの人にも座らないようよく言い聞かせなきゃあ
――ああ、怖い。私もう、あのお店行けないわ。もう何人目かしら、
――『ミソサザイ』の椅子で、人が狂うのは……
私の暮らす街は、下水の底まで呪われている。
大袈裟に聞こえたかもしれないが真実だ。誰もが気付いているけれど、誰もが知らぬフリをしているのは、そんなものが『あってはならない』と信じることで心の均衡を保っているからだろう。けれどもこの街では救急車がよく走るし、行方不明者の張り紙なんて三日で別人が上から貼り直されるし、駅前を歩けば喪服の人とすれ違うのだ。
『ミソサザイの椅子』は、この街に蔓延る夥しい呪いの内のひとつである。
ミソサザイというレストランがある。私のお母さんが子供の時から営業しているらしい、老舗のファミリーレストランだ。
開店当初から店内の内装は変わらず、玄関マットは日に焼けて店名が読めず、ビニールコーティングされたレースのテーブルかけはすっかり黄ばみ、天井のすずらんを模したシャンデリアは埃を被り、通りに向いたガラス窓もヤニで磨りガラスのように曇っている。しかし駅近くという好立地とランチのボリュームが良いという理由で、いつも昼時はそこそこの人で賑わっている。
そんなミソサザイにはひとつ、奇妙でありがちな黴くさい噂話が伝わっている。
ミソサザイの店内にある椅子のどれかが呪われている
その椅子に座った人は 狂い死ぬ
【サンプルここまで】
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