甘い水


 昔の話をします。

 その当時私の家は畑をやっていて、色野町の中でも東の端方の、火葬場寄りの所に住んでいました。祖母が亡くなってからは土地も畳んで駐車場にしてしまいましたが、葉物野菜を作っていたことははっきり覚えています。祖母は肌が弱い人で、いつも長袖を着ていました。首にはマフラーのような薄い布を巻いていて、ガーゼマスクからはみ出た頬には湿疹やかさぶたがありました。肌は掻きむしり過ぎていつもボロボロで、赤を通り越して紫色になっていました。私はそんな祖母が作る野菜が嫌いでした。

 葉物を使った惣菜は今でも苦手です。ただでさえ嫌いな野菜から虫が出たのが印象に残ってしまって、おひたしなんかは特に、店売りの物でも食べられないぐらいです。

 野菜と一緒に祖母のこともなんとなく嫌っているうちに、祖母は他界しました。お別れの時、棺の上を蟻が歩いていました。室内には変に甘い臭いが漂っていて、線香の臭いと混ざって気分が悪くなりました。


 私がまだ小学一年生の頃、世間にはまだセキュリティなんて言葉は浸透していませんでした。子供にとって民家の庭はどこでも通り放題で、工場のフェンスに空いた穴は特別な遊び場への入り口でした。緒流川の向こうにある工業地帯は、今でこそだいぶ綺麗ですが、当時は結構雑然としていました。今の食品工場はブランドイメージのために外装からピカピカですが、昔はそんなことありませんでした。外の鉄板が多少錆びていようが衛生面で問題が無ければ製造はできるので、消費者が今ほど潔癖ではないこともあって古びた雰囲気が漂っていました。

 色野町の工業地帯を車で走ると見える、大きなタンクが三つ並んだあの工場が当時の遊び場です。あそこは水を引くには良い所らしく、昔は酒蔵があったそうです。今は名前を出したらすぐにわかってしまう某清涼飲料水メーカーになっているので、地元の水を使っているかどうかわかりませんが、年寄りはよく「あそこは毒を作っている」と言っていました。

 そんな噂話がある土地なので、子供たちだって真似して毒だ毒だと言っていました。おまけに当時は丁度、例の噂話が流行った頃です。例の骨が溶けるとか、秘密のレシピには違法な材料が混ざっているとか、そんな噂です。学校ではほとんど真実のように語られていました。小学生ってなんであんな話、みんなで信じちゃうんでしょうね。

 それでその工場、私が小さい頃はタンクの近くのフェンスに穴が空いていて、悪いことですけど、子供なら出入りすることができました。私はその頃結構悪ガキというか、ちょっと頭が悪い子供で、物事の分別については知恵の遅れがありました。ピンポンダッシュをしる子や、ポストに悪戯する子、意味も無く物を壊す子がいるでしょう? そういう子供でしたし、先生が手を焼く問題児の子分でもありました。一年生にしては背が高くて大柄なガキ大将にくっついて、その工場にもよく出入りしていました。




【サンプルここまで】

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