高級メロンの甘さ≒復讐

「ちょ……!!? きたなっ!?」

 こちらが盛大に咳き込んでいる間にメロン(数千円相当)塗れになった男が何やらわーわー喚いていた。

 こちらはそんな男に構っていられる余裕はなかった、メロンの果肉か果汁か、もしくはどちらもが変なところに入ってしまったらしく苦しくて仕方がない。

 本当に苦しい、涙まで出てきた。

 落ち着くまで数分かかった、テーブルの上のティッシュを数枚引き抜いて口元を拭って前方の男を睨む。

「何故いる……」

「ちょっと用事があってね」

 あれだけ今生の別れみたいな雰囲気を出していたくせに、彼奴はいつも通りの笑顔でぬけしゃあしゃあと言った。

 というかいつからいたんだどこに潜んでいたんだと部屋を見渡して、ベッドの毛布が不自然なほど綺麗に整えられていることに気付いた。

 出かける前に整えた覚えはない。

 多分、私が帰ってくるまでそこで寝てたのだろう、帰って来た時かメロンをぶった切ってた時のどっちかで目が覚めて起きてきたのだろう。

 一応もう赤の他人のはずなのに随分と図々しいことをしてくれる、首でも締めてやろうか?

「というかそのメロンどうしたの? 貧乏人のくせに……宝くじでも当たった? 一口ちょーだい」

「やるかボケ。……どっかの物好きが私の口座に三億もぶち込んでくれてね、せっかくだからとデパ地下で買ってきた。お前と同じ値段の高級な奴だ。いや……よく考えるとこっちの方が量が少ないわけだからグラムあたりの値段はお前よりも断然高い」

 なんということだ、私の元カレはメロンよりもずっとずっとお手頃価格だったのではないか。

 そこでふとピンときた。

「はっ……そうだ手持ちに三億もあるんだから単価十五万のクローンなんていくらでも買えるじゃん……十体くらい買って調教してハーレムでも作ろうか」

 もうすぐ死なされる予定の中古のクローンを買い戻すとはわざと言わなかった。

 彼奴はあからさまに機嫌を損ねたようである、すごい憎々しげな顔でこちらをギロリと睨んだ後、小さく光る何かをこちらに投げて寄越してきた。

「おわっ!?」

 咄嗟に掴めたそれは銀色の小さな金属片だった。

 付き合い始めて結構経った頃、というか振られた三日前に渡した合鍵だった。

「それを返しにきただけだ。それとクローンに関しては諦めろ、あれは一般人には非売品だ、ざんねんだったな」

 普段よりも低い声で彼奴はそう言った。

 多分そっちの方が地声に近いのだろう、本人はあまり好きでないらしく無理に高い声で喋っていることが多かったけど、私はこっちの方が好きだ。

「じゃあ男娼でも買うか」

 さらっと彼奴の地雷を踏みに行く、嗤いながらお前と同じ姿でもない野郎に惚れた女が穢されるのはどんな気分だと言外に問いかける。

 余裕綽綽で彼奴の顔を眺めていたら横っ面に衝撃が。

 頬を平手で打たれたのだと気付いたのはそれからたっぷり十秒ほどだった頃だった。

 痛む頬を片手でおさえて、たった今自分の頬を打った男の顔を見た。

 故郷を滅ぼされ復讐に走る他なかった狂人のような顔で彼奴は私の顔を睨んでいる。

 思わず笑ってしまった、しかも高笑い、おかしくて嬉しくて滑稽で止まらない。

 ああ、なんでこうなってしまったのだろうか。

 平穏に当たり前のように幸せだった、それがいつまでも続けばいいと思っていた。

 だけど今となってはこのザマだ、私はどうしてここまで歪んでしまったのだろうか?

 この男の顔が苦痛に歪むというのなら、気が狂うような怒りと絶望にのまれてのたうちまわるというのであればこの身がどれほどの地獄に堕ちようとかまわない。

 もっと怒り狂えばいい、死ぬほど後悔すればいい。

 幸せでいたかったというたったそれだけの願いはここまで落ちぶれてしまった、共に笑っていられればいいなという漠然とした願望は、ただその顔が怒りと絶望に歪めばいいという狂気にすり替わった。

 許さない、許さない、絶対に許さない。

 お前の責任だ、最初から勝手に一人で死んでいればよかったのに、よくもこの私の人生を巻き込んでくれたな。

 彼奴は高笑いする私を一瞥して、その顔から表情を消した。

 表情を消しただけでいつものニコニコ愛想笑いには戻らなかったので、そこそこ精神的ダメージを喰らわせることに成功したようだと確信した。

 その無表情のまま、彼奴は何も言わずに立ち上がって玄関に向かった。

 別れの言葉の一つも寄越さずにドアノブに手を掛けた奴の背に小さく吠えるようにこう宣言した。

「忘れてやる、忘れてやる。絶っ対に、お前みたいなろくでなしのことなんかすぐに忘れてやるからな……!」

 彼奴は無言で振り返った、その顔が怒りか絶望で染まっていればいいと思ったのに、こちらを見た彼奴の顔は安堵の色で染まっていた。

 ドアがとても静かに閉まった。

 ちくしょう、ちくしょう、ふざけるなふざけるなふざけるな、見透かしやがって。

 ああ、目から汁が溢れて止まらない。


 去っていった彼奴の最後の顔を思い浮かべながら、後悔によって心がじくじくと痛んだ。

 ――ああ、どうして私は今、あいつの目の前で死んでやらなかったのだろうか。

 話すことに夢中になっていたからそんな簡単なことすら忘れてしまっていた。

 あいつと同じ値段のメロンを叩き切ったその包丁を流し台から引っ掴んで、彼奴の目の前で自分の首にでも叩き込めばそれで私の復讐は呆気なく完了したというのに。


 そんなことがあった翌日。

 仕事帰りに奇妙な母娘らしき二人組と遭遇した。

 母親は真っ青なコートを着込んだ派手なメイクの女、娘の方は昨日の迷子だった。

 迷子だったお嬢ちゃんと目があったので片手を上げて振ってみたら、お嬢ちゃんは小さく歓声を上げたあと母親のコートの裾を引っ張った。

「あっ、いた。おかあさん、おねえさんいたよ」

 裾を引っ張られた母親らしき青い女はお嬢ちゃんが指差す先に存在する私を一瞥したあと、やんわりとお嬢ちゃんの手を握って下させてから一礼した。

「先日は娘が世話になったようで……ありがとうございました」

「い、いえ……大したことは何もしておりませんので……」

 後のことは警察に任せて半ば逃げるようにその場を立ち去った自分に礼を言われる筋合いはほとんどないのだろう。

「いえ、そんなことはありません……おかげで助かりました……ほら、あんたもお礼」

「おねえさん。ありがとーございました」

 お嬢ちゃんも母親と一緒になってお行儀良く頭を下げた。

「あ、頭を上げてください……人として当然のことをしただけですから……でも、ちゃんとお家に帰れていたのならよかったです」

 一応あの後警察の人から無事お嬢ちゃんが家に帰れたという連絡を受け取っていたのだけど、それでも親子揃って並んでいるのをみてもう一安心した。

「それでは私はこれにて、失礼します」

 ぺこりと一礼してその場を立ち去ろうとすると、母親の方が慌てた様子で引き止めて来た。

「待ってください。何かお礼をさせてください……!」

「へ? ……い、いえ、必要ありませんよ……」

 むしろそこまでしてもらう方がこちらとしては申し訳なくなる、だって通報しただけなのに。

「ですが……では、こちらだけでもどうか……」

 そう言って母親は何か小さな紙切れをこちらに差し出して来た。

 名刺のようだったので受け取って、そこに書かれている文字を読み上げる。

「万屋ブラウローゼン……えーっと、シメカケソウビ……」

 七五三掛創備ってなんて読むんだって思ったら小さくローマ字で振り仮名が降ってあったので目を凝らしてそれを読む。

「私の主人の……この子の父親の名刺です。掃除から探し物のお手伝いまで幅広く請け負っています。貴方様は娘の恩人ですので……タダと言い切れないのが申し訳ないのですが、格安で仕事を引き受けさせていただきます」

「は、はあ……」

 若干困惑しながら名刺の文字列を見る、書かれている名前の響きをどこかで耳にしたような気がするけど思い出せなかった。

「娘から聞きました……大切な方に裏切られてしまったとか……そういった対人関係の解決のお助けもしておりますので……」

 そう言いながら母親はふらりと私に近寄って、耳元で小さくこう囁いた。

「龍の討伐、復讐の代行や殺人も請け負っておりますので、ご興味がございましたら是非」

「……っ!!?」

 おそらくはお嬢ちゃんに聞かれないようにそうしたのだろう、囁かれた内容は物騒すぎるものだった。

 思わず硬直している間に母親は私から離れて小さき会釈した。

「それでは失礼します。機会があれば是非、ご利用ください」

 母親はそう一礼して娘の手を取った。

「おねえさん、ばいばい」

 そう言って無邪気に笑った娘に反射的に手を振り返して、母親の方に礼をした。

 咄嗟のことだったのもあって、最後まで声が喉に引っかかって出てこなかった。


 その後アパートに帰って、床に寝っ転がって手の内の名刺を眺める。

「しめかけ……しめかけそうび…………」

 どこかで聞いたことがある響きな気がするのだけど、なかなか思い出せなかった。

 というかなんか物騒なことを言われたのだけどあれはなんだったのだろうか、冗談だったのだろうか?

 復讐の代行はまだ許容できるけど、龍の討伐と殺人に関しては意味がわからない。

 龍なんて個人というか一般企業でどうにかできるような奴じゃないし、そもそも殺人って……

 ……まて。

 なんか今記憶に引っ掛かった、そういえばあの時……

「お、思い出した……!!」

 彼奴に振られたあの日、デートの帰りに道っぱたに飛んできた龍をぶっ飛ばして、仕事だからと彼奴を連れて行ったあの大男。

 小型とはいえあれは龍だった、龍を一人でぶっ飛ばしていた。

 彼奴の素性と振られたショックで比較的どうでもいい記憶になってたけど、よくよく考えてみると人生で一番の珍事といってもいいような出来事だった。

 あの時確かにあの大男は彼奴にこう呼ばれていた、『しめかけ』と。

 名刺をもう一度見る、おそらくは同一人物、だってこんな珍しい名字そうそう見ない。

 それを踏まえてもう一度考える、この名刺が今自分の手元にある意味と、囁かれた言葉の意味を。

 罠なのだろうかと勘ぐった。

 しかし困ったことに、この手の中の名刺が彼奴への復讐を遂げる近道への片道切符に見えて仕方がない。

 ああ、もういい、腹括る。

 頬を両手でべチンと叩いて、名刺に記載されている番号を端末に打ち込んだ。

「三億、三億までなら支払えます。それで私の復讐に協力してほしい」

 向こうが何かを言う暇も与えずにそれだけ言う。

 少ししてやはりどこかで聞いたことがある男の声が聞こえてきた。

『……どのような復讐をお望みだ?』

「ある男の目の前である女を惨たらしく殺したい。手伝って欲しいのはその男の捜索と確保。女は私の手で」

 あえて自殺するとは言わずにそう言うと、短く返答が返ってきた。

『承った』

 やけにあっさりと返ってきたその返答に大声で笑わぬように口を押さえた。


 細かい話はまた追々、という事で通話を終えた私は冷蔵庫からメロンを取り出して、大きなスプーンで果肉を削り取って口の中に押し込める。

 広がった甘みに笑みが溢れる、だけどふととんでもなく虚しくなってスプーンを取り落としてしまった。

「何やってるんだろうな、私……」

 それでも、彼奴がおとなしく死ぬのを見過ごせなかった。

 なにもない私には彼奴の死を止められない、だけど大事な人の死を許容して生きていけるほど強くはなかった。

 それと、私が死んでしまった彼奴の思い出を抱えてこの先ずっと生き続けていくと、死にゆく彼奴にそう思われるのは癪だった。

 私にばっかり色々背負わせて、一人で勝手に死ぬとか許さない。

 忘れるな? 憶えていろって? 冗談じゃない。

「だからって目の前で死んでやるっていうほど自分が歪んでたとはしりたくなかったなあ……ホント、最悪」

 そんなことを呟いたと同時に食べかけのメロンに透明な液体が落ちたような気がした。

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恋人と同じ値段の高級メロンを貪り喰らう 朝霧 @asagiri

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