第8話 怪奇!消失した影月高校!~I'm Alice,in the abyss~

「……うわ」


 皆さんにも経験があると思います。目が覚めた瞬間に遅刻を確信する現象。今の俺が、まさにそれ。

 カーテンから漏れる日の光が「もう朝ちゃうで」と主張している。

 ベッドから起き上がって、恐る恐る壁に掛けてある時計を見ると……。

 本日、7月22日。夏休み初日。現在時刻、12時25分也。


「ダアァァァー!? やらかした! カンッペキにやらかしたよ!? いや、俺ちゃんと朝に目覚ましセットして――」


 枕元に置いてある小さなベルの付いた目覚まし時計を見る。その時刻は、夜中を指したまま動いてなかった。電池切れかよっ!?

 いや、マズい。これはマズいぞ。こんな一大イベントに遅刻したなんて、ダッキのやつが怒り狂うに決まってる。




《回想:開始》




 昨日、みんなで昼食のラーメンを食べた帰り道でのことだ。


「よいな! 明日は我と、憎っくき黄乃城・ルナとの一騎打ちである! 悪の組織部の部員たる者、遅刻は厳禁だぞ!」


「えー? つってもさー、トガ助ー。何時に集合すればいいか、アチシたち聞いてないよー?」


「……なに?」


「おぉ! 成る程成る程、そう言えば! 確かに部長殿は『決戦は明日、夏休みの初日とする』とだけ申されておりましたな! いや、これでは悪山殿の仰る通り、いったい何時から始まるのやら皆目検討もつきませんな! いやもうこれは完全に部長殿のミぶべぎゅ」


 片手で、ボールでも持つようにスピカの両頬を潰しながら、ダッキが思案する素振りを見せる。


「うぅむ、そう言われれば……。だがまぁ、あのクソ真面目女はどうせ朝には来るであろう。夏休みでも律儀に始業時間を守っていそうだからな!」


「むー! むー!」


「なら……。俺たちも、始業時間までに集まるか……。他の生徒へは……。知らせる、のか……?」


「むー! むー!」


「うむ! 観客は多いほうが良いからな! その辺りは、リヒト君。頼めるかな?」


「むー! むー!」


「フッ。任せたまえ、部長のキミよ! 本日中には間違いなく全生徒に伝達しようじゃないか! 情報を集めるのも広めるのも、ボクの得意とするところだからね!」


「むー! むー!」


「うむ! 流石は悪の組織部の諜報担当であ「むー! むー!  むー!」えぇい、ウルサイぞスピカ君!」


 ギャアギャアと騒ぐダッキたちを『コイツら、仲良いなぁ』と眺めている俺なのだった。




《回想:終了》




「行ってきまーす!」


「あら、出かけるの? いってらっしゃーい」


 のんびりとした母さんの声を背に、俺は家を飛び出した。走れば学校までは10分くらいで着く。この距離の近さは、電車通学のクラスメイトたちから羨ましがられていた。実際、今みたいに寝坊した時なんかはありがたい。

 走って、走って。横断歩道を渡って、坂を登って、角を曲がって。


「よし! 着い……た?」


 手前の角を曲がって、その少し向こうに見える校門。その更に先に見える、私立影月高校が誇る巨大な第一校舎。それが。


 


 影も形も無い、とはまさにこんな状況なのだろう。

 第一校舎だけではない。隣にある筈の第二校舎も、奥にある旧校舎も、体育館も、プールも、グラウンドにあるサッカーやバスケのゴールまで。

 何もかもが、無くなっていた。

 恐る恐る近寄ってみれば、開きっぱなしになっている校門は、ある。そこから敷地を囲む長い塀やフェンスや花壇も、ある。校門の横の学校銘板には間違いなく『私立影月高校』と刻まれている。

 慌てすぎて俺が場所を間違えた、なんてことはなさそうだ。

 けれど。敷地内に存在している筈の、影月高校に関わる全ての物が消失してしまっている。


「どうなってんだ……?」


 ダッキや悪山の仕業を、まず疑った。特に悪山。あの常日頃何かを爆発させているマッドサイエンティストなら、とうとう学校そのものを爆破したとしても不思議ではない。

 しかし。


「にしては……。爆発した跡とか、なにもないよな……?」


 そう。焦げた跡とか、クレーターとか、飛び散った瓦礫とかが一切ない。

 流石にこんな風に、なんの痕跡もなく学校を消し去るなど、いくら悪山でも無理だろう。多分。そうであって欲しい。

 訳のわからないおかしな光景を目の当たりにしながら、とりあえず中に入ろうと校門から一歩を踏み出して――。


 ――その足は、リノリウムの床を踏んだ。


 ペタリ、と。予想していたアスファルトとは全く違う感触に驚いて下を向くと、そこには薄いベージュが広がっていた。


「え?」


 間抜けな声を出しながら、視線を前方に戻せば。

 

 そこは、だった。

 

 それも、影月高校の。校舎のどこに居るかまでは咄嗟に判断できなかったが、間違いなく、通い慣れた学校の中にいる。


「は?」


 意味のわからなさも、こうまで続くと驚きすら湧いてこない。ただ呆然とするのみだ。

 珍しく寝坊して。慌てて家を出て。走って。学校に着いたら、学校が無くなっていて。

 おまけに今、突然、何故かその学校の中にいる。ついでに昼から夜になっているとまできた。

 ……なんなんだ、これ。俺はまだ夢でも見てるのか?


「はは……」


 乾いた笑いに、顔が引きつっているのがわかる。いや、ホントにどうしようかな。廊下の電灯は着いてるけど、窓の外真っ暗だし。静かだし。誰もいないし。夏だってのに、ひんやりとした空気に包まれてるし。


「あー、夢だな。コレは夢だ。よーし、目ぇ覚ますぞー」


 口に出して、ほっぺたを抓ってみる。……いや、普通に痛いし。

 マジか。夢じゃないとしたら、何が起きてるんだ。

 混乱したまま、何もできずに突っ立っていると。


「ご機嫌よう、素敵なお兄さん。とてもいい夜だわ。そうは思わない?」


「うわあ!? ビックリしたぁ!」


 突如、背後から少女の声がした。

 飛び上がらんばかりに驚いて、急いで振り返る。


「あら、また驚かせてしまったかしら? お兄さんは、やっぱり臆病ね。眠りネズミはもう間に合っているのだけれど」


 そこには、あぁ、やはりと言うべきか。

 クスクスと笑う“あの”少女がいた。

 綺麗に切り揃えられた黒髪のおかっぱ頭には、白いリボンのついたカチューシャがちょこんと乗っていて。フリルがたくさんついたドレスも真っ白で。年は小学校低学年くらいの、可愛らしい女の子。


「あ……。き、君は……」


「ウフフ、よくできました。覚えていてくれて嬉しいわ、良い子のお兄さん」


 忘れるわけがない。こんな不可思議な少女を、忘れろと言うほうが無理だ。

 学校が消え去っていたと思ったら、いつの間にかその学校の廊下に居て。時間までも変わってしまっている。こんな訳のわからない状況も。

 この少女なら、

 俺は何一つこの子のことを知らないけれど、それだけはわかる。この子は、ヤバい。


「フフッ。さぁ、行きましょう? 勘の良いお兄さん。もうみんな集まっているわ。後は、お兄さんが席に座るだけよ」


 相変わらずよくわからないことを言う少女は、そう言うとクルリと後ろを向き、近くの階段を上っていった。


「あ……。お、おいっ。どこへ……」


 思わず止めようとする俺の声には応えずに、少女はどんどん上っていってしまう。

 あぁ、もう。訳がわからない。

 訳のわからないことだらけだが。

 きっと、答えがあるとすれば、この先なのだろう。

 そう思った俺は、少女を追いかけて階段を上っていく。やがて辿り着いた場所は、屋上への入り口だった。

 普段は施錠されているはずの鉄の扉が、今は開け放たれている。

 迷う様子もなく、屋上へと歩を進める少女の後ろから、俺も屋上に出る。

 そこには。

 白く丸いテーブルと、椅子が2脚。そして、見知らぬ3人の人物。

 その前に立ち、こちらを振り返った少女は俺に優雅に一礼してみせた。


「ワタシたちの“お茶会”へようこそ、素敵なお兄さん」


 そう言った、こちらを見る少女の顔は。


「ワタシが茶会の主、アリスよ。“深淵”のアリス。覚える必要は無いわ。どうせみんな忘れられなくなってしまうから」


 まるで、天使のように愛くるしかった――。

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