第4話 忍び寄る狂気!~Encounter with the “wonder” girl~

「……もう、いいかな?」


 すっかり暗くなった、通学路から外れた裏路地にて息を潜ませる俺。

 あの後。

 俺の帰宅に気づいたダッキ達がしばらく追いかけてきていたが、なんとか撒いたようだ。

 

「ハァ、ハァ……。さすがに、息が、きれたぜ……」


 ダッキのほうが遥かに足が速いが、単純バカなので少しフェイントを入れてやれば簡単に引っ掛かる。もっとも、今回は“風林火山”の四人もいたので、いつもより大変だったが。

 こういう逃亡も今回が一度目や二度目ってわけじゃない。慣れたもんだぜ。なんの自慢にもならないけど。

 どうせ明日の朝にはまた顔を合わせるのだ。文句の一つも言ってくるだろうが、まぁ、それくらいなら聞き流してやるさ。


「随分走ったな。えぇと、帰り道はこっちかな」


 全力で動かし続けた足が「休ませろ」と言ってくるので、のんびり歩くことにする。

 今いる場所は、俺やダッキの家がある住宅街から少し離れている商店街の近くらしい。

 小腹もすいたことだし、お肉屋さんでコロッケの一つでも買おうかな、なんて思いながら。

 ひょい、と。暗い路地から明るい大通りに出て。


 ――首の後ろ、うなじの辺りがチリチリとした。


 第六感、というほど大げさな物じゃないが、嫌な感じの事が起きる前は決まってこうなる。

 異常事態、のような何か。

 まるで、静かに忍び寄る蛇と目が合ってしまったような、そんな悪寒。


「……なんで」


 明かりのついた商店街。そこには。


「なんで、?」


 誰も、いなかった。

 通行人が一人もいない。店の中に店員がいない。少なくとも、俺から見える範囲には人っ子一人存在していない。

 しん、と静まり返った街の中。呆然と立ち尽くす俺に。


「こんばんは。良い夜ね、素敵なお兄さん」


 いきなり、背後から声が掛けられた。


「うぉぉ!? ビックリしたぁ!」


 慌てて振り返ると、そこには。


「あら、驚かせてしまったかしら? お兄さんは臆病ね。まるで自分の尻尾を切り落として逃げる、眠りネズミみたいだわ」


 可愛らしい、一人の少女が立っていた。

 年のころは、小学校の低学年くらいか。白いフリルの、お姫様のようなドレスがよく似合っている。

 黒髪のおかっぱ頭は綺麗に切り揃えられていて、リボンがついたカチューシャで留められている。

 とても可愛らしい女の子だ。

 けど……。


「へ? え、ネズミ……? あ、俺のこと?」


「えぇ、そうよ。だって、お兄さんとワタシしか、ここにはいないし今はいらないもの」


 何故だろう。

 無邪気に微笑む、可愛い少女なのに。

 さっきから、頭の中で警鐘が鳴り止まない。

 今のこの、誰一人いないという異常事態と。この目の前にいる少女は、無関係では有り得ない。


「ねぇ、臆病なお兄さん。ワタシ、迷子なの。道に迷ってしまっているのよ。役立たずのノウサギと、はぐれてしまったの」


「えっと、お家に帰りたいってことか? お父さんやお母さんと、はぐれたの?」


 慎重に言葉を選ぶ。頬を伝う冷や汗を、極力意識しないようにしながら。

 捕食者猛毒の蛇に睨まれた、獲物哀れなカエルのような気分だ。

 ……なんだ? 何が起こっているんだ? 俺は一体何に巻き込まれているんだ? この少女は、何者だ? 


「少し違うわ、優しいお兄さん。ワタシは、いつでもお家には帰れるの。目を覚ませば、いつだってお姉さまの膝の上なんだもの」


「えぇっと……?」


「少し一緒に歩きましょう? 鈍いお兄さん。ワタシ、お兄さんとお話がしたいわ」


 そう言うと、少女はテクテクと、人気のない商店街を歩き出してしまった。


「お、おい」


 慌てて、少女の後を追う。

 正直、今すぐにでも逃げ出したいくらいの、得体の知れない恐怖を感じてはいるのだが。


 ――この少女のご機嫌を損ねる事だけは、致命的にマズい。


 そんな、確証も無いはずの、確かな予感。矛盾した不気味な感覚に体の隅まで支配されながら、誰もいない商店街を少女と二人、歩を進める。

 その方向が俺やダッキの自宅を向いているのは、果たして偶然なのかどうか……。


「ねぇ、疑り深いお兄さん。ワタシ、お誕生日会を開きたいの。けれど、お誕生日じゃないってだけで、みんな集まってくれないの。何故かしら?」


 訳のわからない少女が、訳のわからない事を言う。


「そりゃ……。誕生日じゃない、からじゃないかな」


「えぇ、そうね。頭に麦わらを巻き付けていない人達は、みんなそう。あぁ、一年が長過ぎるのがいけないんだわ。一年がたった一日しかなければ、毎日がお誕生日なのに」


 言葉を選んだ結果、無難な事しか言えていない。

 ……この少女は、俺に何を伝えたいのだろうか?


「ワタシのお友達しかいない、ワタシのお誕生日。毎日が、そんな一日なの。きっと素敵だわ。そうは思わない?」


「うーん……」


 無邪気に笑う、幼い女の子。語られるのは、叶うはずも無い荒唐無稽な夢物語。

 けれど。

 この少女の言葉には、冗談を冗談で済まさないような。

 まるで、他の全ての、一年をたった一日にしてしまいそうな。

 そんな、規格外の危険が潜んでいる。


「……それって結局、今の世の中とあんまり変わらないんじゃないかな?」


「あら、どうして? 不可思議なお兄さん」


 どう返すべきか思案した結果、俺が出した答えは。

 少女の考えを、否定するものだった。


「どこまでが君の友達なのか、“友達になるのか”なんて誰にもわからない。誕生日会に呼ばなかった人でも、もしかしたら友達になれたかもしれない」


 人類皆兄弟、なんてのは夢物語だが。人類全て敵、なんてのも有り得ない筈だ。同じくらいに。……ダッキじゃあるまいし。


「それにきっと、毎日が誕生日になったりしたら、それが“普通”になるだろう? 祝って祝われてが、当たり前の事になる。結局は、今とそんなに変わらないんじゃないかな?」


 つまらない毎日の事を、日常と呼ぶのなら。

 きっと、毎日同じ事を繰り返す日々なんてものは、それがどんなに特別な日でも、普通の日になってしまうだろう。


「……」


 少女は少しの間、何かを考えるように黙っていた。

 沈黙が辛い。

 気を悪くさせてしまったか? なんて冷や汗が一筋流れだした時、少女が見せた顔は――。


「……クスッ」


 屈託のない、本当に無邪気な笑顔だった。


「ウフフ。アハハ! お兄さんの考えは、まるで“ワタシ達”みたい! とっても素敵だわ。きらきら光る、お空のコウモリみたいに素敵」


 どうやら、俺の答えはお気に召したようだ。

 上機嫌に笑いながら、少女はクルリと回ってこちらに向き直った。


「そうね、素敵な答えをしてくれたご褒美。今日はもう帰っていいわ、“ワタシ達”みたいなお兄さん」


 ふと、横を見れば。

 何時の間にか、自分の家の玄関扉が、そこにあった。

 ――おかしい。そんなに距離を歩いたつもりは、なかったんだけど。


「ウフフ。今日の“お茶会”はもうお終いよ、ねぼすけのお兄さん。夢から覚めて、お家に帰る時間だわ」


「え?」


 その声に振り向くと、さっきまで確かに隣に居たはずの少女の姿が。


 ――消えている。


 慌てて辺りを見回すが、周囲に人が隠れられそうな場所はない。

 どこからか、愉快そうな少女の声だけが聞こえてくる。


「そうそう、言い忘れてしまったわ。いい、お兄さん? 女王様のご機嫌を、損ねちゃダメよ? もしも間違ってしまったら、その時は――」


「その時は……?」


 

 少女が、俺の前に現れた理由。

 これを、伝えるために――。


「“ワタシ達のお茶会”に入るといいわ。普通は入れてあげないのだけれど、お兄さんは特別よ」


 “お茶会”。何かの隠語だろうか。それとも単純に、遊び友達くらいの感覚なのだろうか……?


「それじゃあね、やっぱり素敵だったお兄さん。次にまた会う時を、楽しみにしていてね。――暗い夜も、眠れなくなってしまうくらいに」


 それだけを言い残して。

 少女の気配は、完全に消えてしまった。

 最初から最後まで、よくわからない事ばかりを言っていた女の子。


 ――これが俺と、“不思議な少女”との初めての出会いだった。

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