第27話 正義と分かれ道

 崖の上から落下してくるワタリ。

 その身体を泡の層が受け止めた。

 ワタリの身体をクルマエビへと運び込み、キオネは出発の合図を出す。


「直ぐ出して!

 とにかく安静に出来る場所へ!」


「お任せくださいキオネ様!!」


 ナトラは返答すると手綱を操り、クルマエビを旋回させて街へと向ける。

 揺れるクルマエビの中、キオネはワタリの傷口を確かめる。


「内臓を損傷してる」


 とにかくまずは止血。ワタリの呻き声を無視して傷口を清潔な布で押さえる。

 クルマエビは街の外れにある、使われていない納屋へと入った。

 埃っぽいがベッドと椅子と机はあって、早速キオネはナトラに手伝わせてワタリをベッドへと運ぶ。


「空気が汚い。

 綺麗にして」


「簡単に言ってくれるけどさ」


「出来るの? 出来ないの?」


「出来ます出来ます!」


 ナトラはキオネの指示に従う。

 ナトラの体内にはキオネのカニが埋め込まれていた。刃向かえばどうなるのか、自らの身をもって体験したナトラは従順そのものだった。

 すぐさまカニを召還して泡を膨らませる。

 泡の内側はカニによって濾過された清潔な空気に満たされ、それはベッドごと覆った。


「水、綺麗にして」


「液体は難しいよ」


「出来ないの?」


「やってみます!」


 桶に入れられた水の中へ、ナトラの新たに召還したカニが入れられる。

 そのカニは口からコポコポと泡を吹き始める。水が綺麗になっているかどうかは分からない。

 それでもキオネはその桶の水を持って泡の中へと入る。

 机の上に桶を置き、椅子に座ってワタリの傷口を注視する。


「治せるの?」ナトラが問う。


「分からない。でもやってみる。

 あんたは医者呼んできて」


「分かった。行って来る」


 ナトラが納屋の外へと出て行く。

 キオネはワタリの方へと集中し、魔力を練って小さなカニを無数に召還した。

 カニ達は傷口からワタリの体内へと入る。

 キオネの右目には内臓の損傷の様子が、様々な角度から映し出される。


「だから逃げろって言ったのよ。バカな奴」


 悪態をつきながらも、キオネは魔力の行使を続ける。

 召還したカニの視界はカニの目によって共有される。

 大量の視覚情報に脳を焼かれながらもカニを操る。小さなハサミで傷ついた血管を塞ぎ、傷口から入ったゴミを洗い流し、失った組織を修復する。

 更にワタリが失った魔力と血液を、カニを介して補充。


 高い精度の微細な制御を要求され続け、意識を失いそうになるものの、キオネはついに内臓の修復を終えた。

 魔力を全て使い果たしベッドに倒れ込む。

 ちょうどそこに、ナトラと医者がやって来た。


「内側の傷は塞いだわ。

 外側の傷だけ縫っといて」


 言うだけ言うと、キオネは眠りに落ちた。

 駆けつけた医者はワタリの傷口を確かめ、縫合を始める。


「あれ?

 今ならサクッといけちゃうのでは?」


 ナトラは意識を失っているワタリとキオネを見て思いつく。

 2人を始末するのは簡単だ。

 毒を直接嗅がせれば、反撃の機会を与えず始末することも可能だ。


 肩の上にカニを召還して、キオネの様子を確かめる。

 憔悴しきった顔で、すうすうと寝息を立てる彼女を見て、ナトラは召還したカニを引っ込めた。


「これならいつでもいけそうだし、今やる必要もないな」


          ◇    ◇    ◇


 窓から差し込む光で目が覚めた。

 視界はぼんやりとしていて、腹の底から重々しい痛みがこみ上げてくる。

 満足に動かない身体を、なんとか首から上だけ操る。


 ベッドにはキオネも上体を伏せて寝息を立てていた。

 疲れ果てている様子の彼女。

 いつも髪で隠している右目が露わになっているので、なんとか手を動かし、髪へと触れる。

 その瞬間、キオネは目を覚ました。


「何よ――その様子だと無事みたいね」


 驚きを見せたが、こちらの無事を見て安堵したのか、息を整えてそう言った。

 キオネは上体を起こし、自分で髪を整えて右目を隠す。

 それから部屋の隅っこで丸くなっていたナトラへと視線を向けた。


「あいつ、私たち殺さなかったわね」


「ナトラ――」


 声を出すと腹部の傷が痛む。

 痛みが引いたところで、小さな声で再度話した。


「ナトラは味方だろ?」


「あいつ盟主側についてて私を殺そうとしたのよ。

 今は体内にカニを埋め込んで言うこと聞かせてる。

 ――最初に会ったときの食事に仕込んでたからずっとだけど」


「え、そうだったの?」


 キオネは頷き、それからこちらの傷口に巻かれた包帯を確かめた。


「これだけの傷でよく無事だったわね」


「ああホントに。運が良かったみたい。

 治療はキオネが?」


「ちょっと手を貸しただけ。傷を縫ったのはナトラが連れてきた医者よ」


「ありがとう、キオネ」


 お礼を言うと、キオネは顔をうっすらと赤く染める。


「手を貸しただけって言ったわよ」


「それでも、ありがとう。

 そうだ、コルネフォロスは?」


 キオネはかぶりを振った。

 それからナトラをたたき起こして椅子に座らせる。キオネはベッドの端に腰掛けて、尋問を始めた。


「ああ、おはよう。

 元気になったみたいで良かったよ。

 と言うわけでナトちゃんはしっかり働いたよね。早くカニ消してよ!」


「質問に答えて。

 コルネフォロスはこれで一体何するつもりよ」


 キオネがカニカマを取り出してナトラへと追求する。

 ナトラは視線を逸らしたが、キオネが指先で魔力を操ってみせると白状した。


「無敵の軍隊を作るそうですキオネ様。

 違法薬物を帝国内に蔓延させて国力を削ぎ、稼いだお金で傭兵を雇い、その傭兵をカニカマで強化するとのことです」


「目的は?」


「皇帝選挙とききました」


「皇帝選挙ね」


 キオネは得心いったように頷く。

 皇帝選挙。名前の通り、皇帝を決める選挙だろう。


「どうして選挙を狙うんだ?」キオネに対して問う。


「皇帝を決める選挙だから、現皇帝に皇帝候補。選挙に参加する選帝侯。それに各地の有力諸侯も一堂に会するわ。

 ここへの襲撃を成功させられれば、カーニ帝国の中枢を一気に叩くことが出来る」


「なるほど」


 コルネフォロスの目的は自分の国を作ること。

 イビカが差別されず、実力のある者を重用する国家。

 そのためには現在の帝国を取り払う必要がある。皇帝選挙を襲うのは理にかなっているかも知れない。


「それって何処でやるんだ? 首都?」


「首都ではないわね。プラウタスってガーキッド伯領にある街よ」


「ガーキッドってことはデュック・ユルのあたりか」


「そうね。あそこから北にずっと行ったところ」


「と言うことはマガトさんがあの時集めていた傭兵団も、そのために集められてたのか」


「デュック・ユルの都市議会を押さえていたのも、あの街を最前線の策源地にするつもりだったからでしょうね」


 これまでの話が繋がっていく。

 コルネフォロスは本気でカーニ帝国を支配する皇帝と選帝侯たちを一掃するつもりだ。


「戦力は?」キオネがナトラへと問いかけた。


「タルフに居るイビカ兵と、この後東方からエビ教徒の軍勢が合流するって。

 明日到着予定だったはず。

 軍が動き出してからディロス伯も沈静に動くと見せかけて合流するって。こっちは日程未定」


「エビ教徒の軍勢と合流されたら打つ手はないわね。

 足止めするか、コルネフォロスをなんとかするか、どっちかしないと手遅れになるわ」


 キオネはコルネフォロスによる皇帝選挙襲撃を止めるつもりらしい。

 その意志は分かる。

 でも、どこかで引っかかるものもある。

 コルネフォロスのやり方は間違っているかも知れない。だけど彼の言っていることだって正しい。


「ワタリは反対?」


 キオネがこちらの迷いを読み取って問いかける。

 どう説明したものかと一瞬だけ考えて、言葉を紡ぐ。


「反対と言うか、確かに皇帝選挙を襲うなんてだめなことだと思う。

 でもコルネフォロスにだって正義はあると思う。

 イビカ教徒は迫害され続けてきた。

 あの人は、宗派とかじゃなくて、実力が評価される国を作ろうとしてる」


「だったら何よ」キオネはこちらの言葉を突っぱねて、続けた。

「あいつに正義があるのなら、私にだってある。

 間違ったやり方で皇帝権を手に入れても、その国家が持つわけがない。

 エビ教徒、教皇領、西の大国、北東の新興勢力、北西では小国が海洋交易で力を蓄えてる。カーニ帝国を狙う勢力はいくらでもあるのよ。


 カーニ帝国が皇帝を持ちながら選帝侯による実質的な分割支配制度を敷いているのは、そうでもしてまとまらなければ国家という形態が保てないからよ。

 今の大陸の均衡は、カーニ帝国がカーニ帝国であるから保たれている。

 イビカやエビ教徒が皇帝を名乗っても国はまとまらない。

 ただイビカ戦争より酷い虐殺が起こるだけよ」


 長い説明を終えた後、キオネは一息ついて、それから胸を張って宣言した。


「私は戦うわよ。

 父様と母様が守ろうとしたカーニ帝国を好き勝手にさせられないわ。

 直接戦えなくたって、手段はある」


 その宣言に心を動かされる。

 正義なんて誰にでもある。誰だって自分自身が正義だと信じている。

 自分が信じるべきは、コルネフォロスの正義か。キオネの正義か。

 答えは決まっていた。


「ごめんキオネ。迷ってた。

 でも決めたよ。僕も戦う」


 決意を告げると、キオネは冷淡に返した。


「怪我人は休んでなさいよ」


「いいや、そういうわけには行かない。

 貴族が先陣を切って戦う勇気を出したんだから、それに続かないと」


「私は貴族じゃないわよ」


 キオネは言うがその言葉を否定する。


「貴族は貴族の家系に産まれたから貴族なんじゃない。

 行動が伴って初めて貴族たり得るんだって、テグミンが言ってた。

 今のキオネは立派な貴族だよ」


 キオネはため息をつく。

 呆れたような、でもいつもの濁った冷たい目ではない、優しげな温かな目をこちらへと向けていた。


 そんな彼女の表情に安らぎを覚え、敗れたのと、深手を負ったことで抱えていた恐怖が薄れていく。

 恐怖がなくなることはない。でもそれ以上に、恐怖と共に戦う勇気を与えられた。


「コルネフォロスを止めないと、何度でも同じことが繰り返される。

 次は勝つよ」


 キオネは愛想笑いと共に言う。


「頼りにしてるわ。

 もちろんナトラも手伝って貰うわよ」


「え、ええ!?

 手伝ったらカニ消してくれるんですよね! キオネ様!」


「働き次第よ。精々頑張りなさい」


「はい! 不詳ナトラ・メレフ! 誠心誠意務めさせて頂きます!」


 拳を握りしめてやる気をアピールするナトラ。

 不本意ではあるが、手伝いはしてくれるようだ。


「3人居ればきっと何か出来るはずだ」


 希望的観測を口にすると、キオネがかぶりを振った。


「いいえ。3人じゃない。もう1人来たわ」


 納屋の扉が勢いよく開かれ、肩を怒らせた女性が入ってくる。

 ローブで身体を隠しているが、露出していた足首にはリボンが巻かれている。

 彼女――シュルマはフードを脱ぐと、長い青い髪を払い、憤怒の形相でキオネに詰め寄っていった。


「あたしの金返しなさいよ!!」

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