第23話 襲撃者と過去との決着

 翌日、仕立屋で喪服を仕立てて貰い、オルテキア候夫妻の葬儀に参列する。

 選帝侯権を失い、闘病生活も長かったとあって、参列者は少ない。

 街の人々もあまり来なかったようで、ひっそりとした寂しい葬儀だった。


 葬儀が終わると街の小高い丘にある墓地へ。

 キオネは両親に合わせる顔が無いからと墓地には来なかった。1人にして欲しいと言い残して、教会へと去って行く。


 小雨の降る中、少ない参列者に見送られ、オルテキア候夫婦は同じ墓に納められた。

 参列者達は墓前で最後の挨拶を終えると墓地を去って行く。


 いつしか墓地には誰も居なくなった。

 1人取り残され、オルテキア候の墓前で手を合わせる。

 それからその隣のお墓へ。


 先代オルテキア候。キオネの両親の墓。

 それはオルテキア候の墓よりも立派で、人々から未だに信望があったのだろう。いくつもの花が供えられている。

 その墓前で手を合わせ、キオネに変わって彼女の近況を両親へと報告する。


 これまで彼女は辛い人生を送ってきた。

 これからも、あまり幸せとは呼べない生活が続くだろう。

 それでも彼女が再び正しい道を歩めるように精一杯努めると、両親へと固く誓った。


          ◇    ◇    ◇


 時刻は昼頃。

 小雨の降る中、人々は昼食のため通りに出てきていた。

 キオネはその中にまみれて教会へと向かう。


 ふとキオネの右目が、背後に居る男を捉えた。

 フードを深くかぶって居る。雨が降っているのだから別に変ではない。

 とはいえ、先ほどからキオネの真後ろにぴったりと張り付いているのは不自然だった。


 キオネは唐突に方向転換し、果物の露店販売の元へ。

 その突然の移動にも男はついてきた。

 そしてキオネが商人へと話しかけると同時、ローブで隠していた右腕を後ろに引き――


「何処触ってるのよ!!」


 キオネは怒りながら身体を横に滑らせて、背後から繰り出されたハサミの一撃を避ける。

 攻撃は空振りに終わったが、男のカニ化を解除した手は前に突き出されている。

 商人が突如現れた変態に向けて苦言を呈すると同時、キオネは果物の籠をぶちまけて駆け出した。


 人をかき分けて通りを走る。

 ――暗殺者を差し向けられた。


 一体誰がと思案する。

 オルテキア候や婦人だったら、存命のうちに殺そうとするはずだ。

 そうで無いとしたら――例のイビカ教徒達? わざわざゴッドフリードとも、デュック・ユルとも離れたオルテキアの街まで結構なことだ。


 相手は部分カニ化能力者。

 先ほどの一撃から見てそこまで強力な能力では無いが、魔力の扱いに関してはかなりの熟練者とみた。

 攻撃は正確無比。ハサミの先端は鋭利で、それは易々とキオネの身体を貫いただろう。


 1人で相手するには分が悪い。

 ワタリと合流したかったが、確認するとまだ彼は墓地にいて、両親の墓へと祈りを捧げている。

 ここから墓地までは距離がある。

 キオネは元々の目的地であった教会へと向かう。


 男は背後から追いかけてきている。

 キオネは教会の広間に入ると扉を締め、閂をかけた。

 それから入り口を塞ごうと槍棚を引きずって運ぶ。


 あまりに重い。

 カニ召還能力者のため魔力の行使で身体能力を増強できない。

 呼び出したカニだって、非力すぎて力仕事の足しにはならない。


 槍棚をなんとか広間の途中まで引きずったところで、扉が外側から叩かれる。

 鋭利なハサミによる攻撃。

 それは易々と木造の扉に穴を穿った。


「何事かね」


 老神父が礼拝堂から顔を出した。

 キオネは叫ぶ。


「ごめんなさい厄介ごと持ち込んだわ。

 危ないから今すぐ逃げて!」


「しかし――」


「早く逃げて!! 今すぐ!!」


 言いつけて、老神父を裏口から逃がす。

 その間も槍棚を運んだが、扉まではたどりつけない。

 扉に開いた穴から手を入れられて閂が外される。


「クソクソクソッ!

 何だってのよ!!」


 槍棚を諦めて2階へと続く階段へ。

 暗殺者はキオネの姿を見ると、真っ直ぐに追いかけてきた。


 2階の廊下を走るキオネ。

 ついに追いつかれ、背後からの攻撃に晒される。

 ハサミの攻撃が右足首を捉え、キオネはその場に倒れた。


「クソッ!!

 一体私に何のようよ」


 悪態をつきながらも、キオネは床を這って進む。

 廊下に広げられた絨毯を越えてその先へ。

 暗殺者はそれをゆっくりと追いながら言った。


「殺せと依頼を受けた。

 だから殺す。それだけだ。――ふむ」


 暗殺者の男は両腕をカニ化させると、真上へ向けて攻撃を繰り出す。

 天井からカニ同士ではしごを作り、暗殺者の頭部を目指していたキオネのカニ達が、瞬く間にバラバラにされた。


 ハサミは小さいものの攻撃は非常に精確だ。

 1撃1撃が確実にカニの急所を潰している。


「少しは頭を使ったようだが、届かなかったな。

 神父を逃がすために、裏口へ向かわなかった点は褒めてやろう。

 しかしそのせいで自分の寿命を随分と縮めることになったな」


 這って進むキオネへと暗殺者は歩み寄る。

 キオネは観念したように振り返り、暗殺者の顔を見ようとした。


「ちょっと待ちなさいよ」


 キオネが言うが、暗殺者は止まらない。


「俺は賢いからな。

 待てと言われて待ったりはしない。

 確実に仕事を果たさせて貰う」


「待ちなさいって――ほら」


 暗殺者が更に一歩踏み出し、絨毯の上へ。

 その瞬間、絨毯ごと穴に引きずり込まれた。


 絨毯の下にあった床の穴を塞ぐように、キオネのカニ達が互いの手を結び網を張っていた。その手が離されたのだ。

 吸い込まれるように落下する暗殺者。

 彼は床へと向かってカニ化したハサミを突き出したが、キオネはそのハサミへと容赦なく鉄顎を振り下ろす。


 床を掴むことかなわず、暗殺者は落下する。


「だがこの程度の高さ――」


 高さは大したことない。1階の床に落ちたところで死にはしなかっただろう。

 だがそれは落ちた先が床だった場合の話だ。暗殺者が落下した先には、穂先を真上へ向けた槍が待ち受けていた。

 キオネは槍棚を、床の穴の真下に来るよう運んでいたのだ。


「ぐあっ――」


 槍が暗殺者の身体を貫く。

 両腕しかカニ化できない部分カニ化能力者は、それ以外の箇所を守る術が無かった。

 吹き出した血が槍を伝い流れていく。


 キオネは床の穴からそれを見下ろした。

 暗殺者は動かない。槍は急所を刺しているように見える。


 されど油断しない。

 カバンから薬ビンを取り出す。錬金術師から買った酸の秘薬。

 その原液を、穴から振りかけた。


「がああぁっ!!」


 酸に身体を焼かれて暗殺者が苦悶の声を上げる。

 キオネは彼を見下ろしたまま告げた。


「やっぱり生きてたわね。

 私は賢いから、あなたの心臓が止まるまで、間合いに入ったりしないわよ」


 召還された小さなカニ達ははしごを作り、床の穴から暗殺者までの道を築く。

 暗殺者はカニを振り払おうとしたが、身体を貫通した槍によって身動きがとれず、傷口から侵入を許す。

 キオネのカニが血液の流れに乗って心臓までたどり着き、そこへ繋がる重要な血管へと小さな穴を穿つまで、大して時間はかからなかった。


          ◇    ◇    ◇


 先代オルテキア候のお墓の前で祈りを捧げていると、雨脚が強くなってきた。

 教会へと向かったキオネのことも心配だ。

 ゆっくりと立ち上がると、背後に人の気配。

 振り向くとローブ姿の、フードを深くかぶって顔を隠す男の姿があった。


「あなたも先代オルテキア候の――」


 男の右腕が魔力を纏い閃光を放った。

 魔力の行使に対して、反射的に右手をカニ化。目の前に掲げた甲殻に、鋭い一撃が叩き込まれる。


「ぐうっ」


 甲殻が破られ、勢いよく魔力が溢れ出す。

 何故襲われているかは分からない。だけど殺意を持って攻撃してきたのは事実だ。

 魔力を爆発させて全身をカニ化。

 左のハサミを叩きつけるように繰り出した。


「おっと危ない」


 男は後方へと飛び退いて攻撃を躱す。

 一瞬だけ脚部がエビ化したのを見逃さなかった。

 こいつ、エビ化能力者だ。


『何の用だ!』


「そりゃ自分の胸にきくんだな。

 貴様は我々の邪魔をしすぎた」


 男が両腕を構える。

 それは拳を前にしたボクシングのような構えで、軽快な足さばきでこちらとの距離を測る。


 さっきの攻撃は突然のことでよく見られなかった。

 分かっているのはとてつもなく速いこと。こちらの甲殻を砕く威力があること。そして発動の瞬間光を放つこと。


『何の話だ』


「とぼけたって無駄だ。

 貴様も、連れの女ももう終わりだ」


『キオネが――ぐっ』


 一瞬警戒を解いた瞬間、男が踏み込んで攻撃を放つ。

 あまりに速かったせいで防御が間に合わない。足先を潰され、魔力が流れ出た。


「自分の心配をした方が良い。

 と言っても、心配したところで無駄だろうがな」


 またしても相手が踏み込む。

 移動先を予想してハサミを突き出すが、華麗なフットワークによって寸前で躱され、突き出したハサミに連続攻撃が叩き込まれる。


 強い衝撃を受けてハサミが関節から折れた。

 魔力が血のように吹き出す。

 まだ攻撃が見えていない。だが、その本質は分かった。

 要するに超高速のパンチだ。だとすればこの能力は――


『シャコってエビじゃないよなあ!?』


 左のハサミを薙ぐように振るう。

 敵は足をエビ化させて素早く後退。攻撃は掠りもしない。


「ここで死ぬ貴様には関係の無い話だ!!」


 一時距離をとるが、敵は地面を滑るように移動してこちらを逃がさない。

 突き出したハサミは回避され、攻撃後の隙にシャコパンチを叩き込まれる。


『くそっ!!』


 攻撃が読めない。

 相手が手をエビ化させるのは攻撃の瞬間のみ。


 視認不可の超速攻。

 そしてシャコパンチは発動の瞬間、拳から光を発する。

 それは超高速の攻撃で空気が圧縮されて生じる熱による視覚効果だろう。

 光によって攻撃のモーションが見えなくなり、間合いが計れない。


 防戦を続ける限り甲殻を削られ続けるだけだ。

 攻めなければ勝機はないが、高速後退を可能にするエビの尻尾に邪魔をされる。


 ――だったら、攻撃を避けられない隙を作り出す!!


 魔力を解き放ちハサミを完全回復。愚直に真っ直ぐに敵へと邁進する。


「ほう、まだ余力を残していたか」


 ハサミの間合いへと踏み込み、大地を蹴って回転運動。

 周囲をなぎ払う攻撃を繰り出す。


『秘技! カニ工船!!』


 遠心力によって振り回されるハサミ。

 だがやはり敵はエビ化した尾部で地面を叩き、緊急後退して間合いから逃れる。

 更に間合いを計りながら拳を構えている。

 

 回転運動が弱まる。

 敵が一歩前へと踏み込んだ。


 ――今だ!!


 8本の足で地面を捉え緊急停止。

 停止した反力を利用して、バネのように右腕を繰り出す。


『秘技! カニ道楽!!』


 右ハサミを限界まで巨大化。

 砲弾の如く突き出したハサミは、攻撃に転じた敵を捉え――


『兄さん!!』


 女性の声。

 突如現れた全長2メートルばかりのエビが、敵を弾き飛ばした。


 空振りに終わった攻撃を引き戻して状況把握。

 敵は、今し方攻撃に割り込んできたエビの背に乗っている。


「危うく一発貰うところだったな」


『兄さん、まだ戦いますか?』


 男を乗せたエビ。恐らく女性の完全エビ化能力者が問う。

 上に乗る男は答える。


「仕事は終わったな?

 ここは退こう。人が集まり始めている」


『了解です兄さん』


『ま、待て! 逃げるな!!』


 だが兄妹はこちらの言葉に決して耳を貸さず、尻尾で後退し方向転換すると、すさまじい速度で墓地はおろか丘からも瞬く間に立ち去ってしまった。


 現状がいまいち把握できていない。

 だが直ぐにやらなければいけないことは分かる。


「キオネを助けに行かないと!」


 カニ化を解除。丘から教会の方向を見定めて――


「その必要は無い。

 エビライダーね。しかも兄妹で息も合ってる。

 厄介なの送りつけられたわね」


 墓地に植えられた木の裏から、キオネが姿を現す。


「ああ良かった。キオネは無事で――足大丈夫?」


 キオネは右足首のタイツを破かれ、包帯を巻き付けていた。包帯にはじんわりと血の色が滲んでいる。


「かすり傷。

 私のところに送られてきた暗殺者は大したことない奴だったから始末したわ」


 口ではそう言うが、キオネの足取りはおぼつかない。

 肩を貸そうとするとキオネはそれを拒否して、両親の墓石の元へ。


「無事で良かった」


 墓石の無事だけを確認すると、それ以降墓へは視線を向けようとしない。

 本当に、両親には合わせる顔がないと考えているのだろう。

 キオネは「雨が強くなってきたから」と墓地から離れて歩いて行く。

 足を怪我している彼女の歩幅に合わせて歩きながら、差し向けられた襲撃者について話す。


「ごめん。

 僕がテグミンの違法薬物調査に手を貸そうなんて言ったから」


「謝らなくて良い。

 昔の知り合いを死なさずに済んだし、それに恐らくそんな単純な話じゃ無い」


 キオネはこちらの言葉を否定して、持論を述べ始める。


「違法薬物の調査は発端でしかない。

 あの違法薬物製造に関わっていたのがイビカ教徒だったのは事実。

 私たちはその製造拠点を潰して、協力していた帝国騎士を捕らえた。


 次はデュック・ユル。

 私はあんたの殺害依頼を出したシュルマの雇い主を殺したわ。そいつは都市議会議員。つまり街とイビカ教徒の間には繋がりがあった。

 私たちと関わったシュルマはイビカ教徒の仕事を辞めて、連絡役をしていたイビカ教徒の幹部を殺した。


 で、今度はオルテキア領。

 オルテキア候は6年前、イビカ教徒の力を借りて選帝侯の座を奪い取った。

 そのオルテキア候を私が殺した。


 相手からしたら、私たちは意図して妨害しているようにしか見えないでしょう」


 これまでの行動が、全てイビカ教徒という黒幕と繋がっている。

 キオネは続けて言った。


「これは確証無いけど、恐らくディロス辺境伯もイビカ教徒と繋がりがあるわね。

 オルテキア候がすんなり選帝侯権を譲ったのも、過去の悪事を握られているからでしょう」


「ディロス辺境伯――そういえば、マガトさんが集めていた傭兵、雇い主はディロス辺境伯だって」


「そのマガトを殺したのも私ね。

 恨まれる訳だわ。

 恐らくイビカ教徒の拠点は辺境伯領のどこかね。

 わざわざオルテキア領まで追ってきたのかと思ったけど、私たちが敵の拠点へ向かっていると考えた方が正しそうだわ」


 これまで幾度か襲撃者を差し向けてきたイビカ教徒。

 その拠点がこの近くにある。

 キオネは告げる。


「これから先とるべき行動として一番まともなのは、今すぐオルテキア領を後にして2度と近づかないこと。

 こちらが無害であることを示さない限り、相手はいくらでも刺客を送ってくる」


「待って」


 キオネの言葉を肯定出来なかった。

 言っていることはきっと正しい。でも、その選択は結局のところ何も解決できない。

 こちらの意見を述べる前に、キオネは頷いて言う。


「分かってる。

 でも行動に移すには情報が足りていない。

 イビカ教徒の拠点が辺境伯領にある証拠もないし。

 でも、まだこの街でやるべきことはありそうだわ」


          ◇    ◇    ◇


 オルテキア候の屋敷。

 主人不在となった屋敷だが、正門には警備がついていた。

 キオネが貴族の証を見せると通してくれる。

 屋敷の中は無人だった。

 

 まずはオルテキア候の病室だった1階の部屋へ。


「荒らされてるわね」


「うん。誰かが来たみたい」


 薬棚の引き出しが開けられ、中身が周囲にぶちまけられている。

 何かを探した跡。それも非合法的な手段で。


「政務室へ行きましょう」


 キオネは言うと、部屋を出て2階へと向かう。

 廊下を歩いて行き、ある部屋の前で立ち止まった。


「ここ?」


「いいえ」


 否定される。

 気になって扉に手をかけてみる。

 部屋の中はがらんとしていて、何もなかった。


「開けなくて良いのに」


「誰の部屋だったの?」


 なんて、問う必要はなかっただろう。

 キオネは「アステリアの部屋」と短く答え、それ以上興味もないと先へと進む。


 後に続いていよいよ政務室へ。


「これは酷いわね」


「ああ。何が目的だったんだろ」


 政務室は荒らされつくし、棚という棚が開かれ、書類が床にぶちまけられている。

 かなり急いで部屋を調べたらしい。


「多分、私たちの探しているのと同じものね。

 さっきのエビ教徒の妹の方。完全エビ化能力者の移動能力なら屋敷への侵入も可能でしょう。

 襲撃はついでで、本命はこっちでしょうね」


「ってことは、もう証拠は残ってないと」


「持ち去られたと考えるのが普通でしょうけど――

 きちんと探された場合の話よ」


 キオネは政務机の引き出しを取り外し、床に置いた。

 それから机の下に潜り込む。


「何してるの?」


「隠し部屋の入り口」


 ガコン。

 音がして、壁際にあった本棚が小さく揺れた。

 何だろうと本棚に触れてみると、軽く力を加えただけで棚が動く。

 本棚の後ろには扉があった。


「流石お嬢様」


「昔の話」


 キオネは机の下から這い出すと扉の前に立ち、貴族の証を手にする。

 ナイフの先端を鍵の部分へと差し込んで回すと、扉は奥へと開いた。


「何が隠されてるの?」


「父様の時代は、隠し財産とか、本当はやっちゃいけない事業の記録とか」


「選帝侯の闇の部分か」


「誰だって一から十まで清廉潔白とは行かないものよ」


 キオネに続いて隠し部屋の中へ。

 隠し部屋だけあって広くはない。細長い部屋に本棚と、棚が1つずつ。

 キオネは棚の一番下の戸を開けて、中に入っていた箱を確かめる。


「お金は残ってないわね。

 何か資料が残っていると良いけど」


 キオネは棚の引き出しを開けては中身を検めていく。

 字が読めないので確認に手を貸せない。代わりにキオネが不必要と判断した資料をまとめて整理しておく。

 数分そんな作業を続けると、キオネが「あった」と声を発して、書簡を持って政務室へと戻った。


 政務机にその書簡が広げられる。


「領地分割の資料だわ。

 叔父がオルテキア選帝侯となった際、領地分割が行われたの。

 不当な手続きで選帝侯権を手に入れたから、配下の離反を恐れて領地を分け与えたのよ」


「なるほど。

 それで、問題点は?」


「1カ所だけ、領地と一緒に過剰な権限委譲が行われてる街がある。

 地方都市の運営を配下に一任するのはよくあることだけど、流石にこれはやり過ぎだわ。

 徴税権、専売権。それに城塞建設兼まで渡してる。

 選帝侯特権を切り売りするようなものよ。

 それも親類でもない相手――コルネフォロス。知らない名前だわ」


 不審な権利譲渡を見つけると、キオネは政務室に飾られていた旧オルテキア領の地図を広げる。

 その東の端。国境間際にある街を指さして告げた。


「開拓都市タルフ。

 東方植民事業の策源地として築かれた街だわ。

 公にはなっていないけれど、タルフにはイビカ教徒が多く住んでる」


「ってことはそこに違法薬物の製造してたイビカ教徒達が居るってこと?」


「可能性が高いってだけよ」


「行ってみよう!」


 帝国内に違法薬物を蔓延させている組織。

 そして彼らは、キオネの両親殺害にも関与している。

 だがキオネの方は冷ややかな視線を向けてくる。


「行ってどうするのよ」


 問いに対して一瞬だけ考えてから回答する。


「多分、僕たちだけで解決できる問題じゃない。

 でも皇帝や他の選帝侯に動いて貰うには情報が足りない。

 タルフへ行って、彼らが一体何を目論んでいるのか調べよう」


 キオネは提案に対してため息をついた。


「反対?」


 問いかけると、彼女はかぶりを振って返す。


「親類の不手際の始末をしないといけないわ。

 それに、どんな都合でイビカ教徒が私の両親を殺したのか、興味がある」


 行く先は決まった。

 旅の目的は真っ当に生きることだったが、その前に違法薬物調査から続くイビカ教徒との因縁。そしてキオネの過去との決着をつけるため、オルテキア領から更に東。タルフの街を目指した。

  

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