第24話 イビカ教徒とナトラ・メレフ
オルテキア候が所有していたクルマエビは従者が移動するのに使用していたもので、2尾引きで、簡素な籠つきだった。
キオネが御者台に座るのでその隣に座り込む。
「籠に居ていいわよ」
「覚えれば次からは交替で移動できるだろ?」
「一理あるわね」
こちらの意見を聞き入れて、キオネはクルマエビの操り方を教えてくれる。
一通りやり方を教わり、慣れてきたところでキオネへと問う。
「そういえばこれから、なんて呼べば良い?
アステリアって呼んだ方が良いかな」
「キオネで良い。
アステリアは6年前に死んだのよ」
キオネがそう答えたので、分かったと返す。
途中、農村へと立ち寄り休憩がてら食事を済ませる。
クルマエビへと水を飲ませ出発の支度をしていると、キオネが告げる。
「テグミンとは連絡取れたわ。
タルフへ向かうことを伝えておいた」
「へえ。
――え、いや、それってどうやって?」
「ん、後で説明する。少し待ってて」
キオネは農村から出発しようとしている行商人を見つけて駆け出していく。
商人と話しながら、そのクルマエビの荷台に載った品物を見て、干しエビや水を補充する。
購入した品物の運搬を引き受けると、キオネは商人へと別れを告げて見送った。
「さ、私たちも出発しましょう」
「説明は?」
「移動しながらするわ」
再びクルマエビの御者台に乗り込み、行商人の後を追いかける形で簡易舗装された街道を東へと進む。
農村から離れると、キオネはクルマエビの手綱をこちらに任せて説明を始めた。
「私の能力は見たでしょ。
この小さなカニを召還できるの」
キオネは指先からカニを召還してこちらへ見せた。
頷くと彼女は続ける。
「たくさん召還できるし、魔力の消耗も少ないけど、その分1匹1匹はひ弱なの。
直射日光にも長時間は耐えられないくらいよ。
だからさっきみたいに、行商人の荷車の下に張り付かせて、次の街へと送り込むわけ。
あの行商人も行き先はタルフみたいだったから」
「あ、張り付かせてたんだ。
でもカニだけ送ってどうするの?」
その問いかけに、キオネは右目にかかった髪をどけて、瞳を指さす。
「貴族の一部にはカニ様の祝福と呼ばれる特別な力が宿ることがある。
テグミンがカニ様の耳を持っていたのと同じように、私はカニ様の目を授かったの。
目の能力によって自分が召還したカニ達と視界を共有できる」
「へえ――ってそれ、とんでもなく便利じゃない?
キオネのカニは大量に召還できるんだよな?」
「一応オルテキア選帝侯家の血を継いでるからね
泥棒するには重宝したわ」
「それはそうだろうね」
呼び出したカニと視界が共有できる。
キオネの召還するカニは小さく、意識していなければ見つけられない。
能力を知れば、キオネのこれまでの行動も納得いく。
宿場町で市場の管理人ウードの金庫からお金を盗めたのも、前日に行商人の荷車にカニを貼り付け、夜のうちにお金の在処や鍵の所有者を割り出して居たからだろう。
それ以外にも、キオネはその場に居なくても起こった出来事を把握していた。
それらも全て”カニ様の目”によるものだろう。
僕の行動が筒抜けになっていたのもきっと目に見られていたからだ。
「テグミンと連絡を取れるのもそのおかげだと」
「ええ。
テグミンが文字盤を用意してくれているから、私は視界を元にカニを操って、伝えたい言葉を作るだけ」
「カニ魔法を使った遠距離交信か。
使いようによっては超便利じゃないか」
実際キオネはこの能力を泥棒するために使っていた。
でもそれ以上に、真っ当に人の役に立てる使い道だってありそうなものだ。
ともかく、クルマエビは東へと進み続け、夕方には石造りの廃教会にたどり着いた。
「今日はここで一泊よ」
「キオネのカニを送り込んだから、夜のうちにタルフを調べると」
「そういうこと。
向こうが待ち構えている可能性あるし、何も知らない状態でタルフに踏み入るのは危険でしょ」
「全くその通りだと思う。
この建物は教会だよね? 勝手に使って良いの?」
「イビカの廃教会よ。
勝手に使ったところで誰も文句を言わないわ」
廃教会は燃やされた痕跡が残っていた。
しかし石造りのため骨組みはしっかりと残っていて、損傷の少ない2階の部屋を見つけてそこを今日のねぐらとする。
キオネは厨房の跡地で火を起こし、ザックに入っていた鍋で簡単な料理をこしらえた。
エビ殻で出汁を取り、農村で買った野菜と干しエビを煮込んだスープ。
後はパンと果物を1食分切り出して夕食の準備は終わり。
部屋に持ち込んで食事にする。
「ところで、どうしてイビカはカーニ帝国で認められてないんだ?」
問いかけるとキオネは「ああ」と相づち打って説明を始める。
「昔教皇が異教徒に攻められて、それをカーニ帝国が助けたって話はしたわよね」
「聞いたような気がする」
「300年くらい前のことね。
教皇領――カーニ帝国の南にあるんだけど、そこが異教徒――要するにエビ教徒に攻められて、教皇はカーニ帝国に軍事的支援を依頼したの。
その頃教皇勢力とはカーニ帝国内の司教人事権で揉めてたんだけど、皇帝は人事権の完全委譲を条件に軍事支援をしたわけ」
「うっわ。
つまり皇帝が帝国内のカニ教をコントロールする術を持った訳か」
「同時に帝国内の大司教領や司教領の所有者を選定出来るようになって、帝国支配の基礎を確立させたとも言えるわ。
――ちょっと話が逸れたわね。
とにかく、カーニ帝国は教皇領へ軍事的支援を行った。
その際に活躍したのが、ボレアリスやイビカ教徒。
当時アウストラリスしか信仰が正式に認められていなくて、彼らは必死だった。
教皇領の救援で活躍すれば、信仰が認められると信じて死力を尽くして戦ったのよ」
確かに異教徒との戦いで戦果を上げれば、皇帝にも教皇にも存在感を示すことが出来る。
ここまでは理解できたと頷くとキオネは続けた。
「で、戦いの結果教皇領は守られて、異教徒達は東へと逃げ帰った。
この戦いで大戦果を上げたボレアリス教徒の傭兵団は、帝国内に所領が与えられ、その信仰も認められた」
「なるほど。
――待って。イビカ教徒は?」
「そこが面倒なところよ。
そもそもボレアリスを認めるのだって、アウストラリスから見ればとんでもないことだわ。
当然、彼らは反感を持った」
「ボレアリスを認めたくないアウストラリス派と、まだ信仰を認められていないイビカ教徒が残った訳か。それで?」
「ボレアリスとアウストラリスの対立を防ぐため、帝国内にイビカ教徒の悪い噂が流されたの。
イビカ教徒はカニ教としては珍しく、エビ教の存在を肯定してるから、やり玉に挙げやすかったのね」
「えっ?
でもイビカ教徒は教皇領の戦いで活躍したんだよね?」
「したけど、それとこれとは話は別よ」
酷い話だ、と思ったが、それも300年前の話。
それはもう歴史になっていて、今からかえることは出来ない。
「あっという間にイビカ教徒はカニ教の敵となり、教皇さえもがイビカを異端だと認定した。
アウストラリスとボレアリスが、イビカという共通の敵を倒すために手を取り合う舞台を作ったわけ」
後は分かるでしょう? とキオネは告げた。
話の流れは分かる。
カーニ帝国としては国内でアウストラリスとボレアリスに争って欲しくない。
その代わりに、イビカという共通の敵を作り上げた。
「でもそれって結局イビカとの戦争にならないか」
「ええ。そうなったわ。
それがイビカ戦争。
教皇領での戦いと違って今度は国内の戦いになるから、諸侯も必死に兵を出したわ。
それに大司教領や司教領も、異端討伐とあって諸侯とは比にならないくらい戦力を供出した。
ボレアリスもここでイビカを殲滅しなければ次は自分たちが標的になるのが分かりきっていたから率先して参加した。
その結果出来上がったのは、戦争と言うより虐殺ね。
イビカ教徒は為す術なく、帝国連合軍に蹂躙された。
それ以降、カーニ帝国はアウストラリスとボレアリスを認め、イビカを異端として禁じたの」
歴史の解説を受けて、イビカ教徒が可哀想になる。
「聞いた限りだとイビカ教徒って何も悪いことしてないよな」
「何度も言ってるけど、善悪なんて所詮人間の作り出した相対的な価値観でしかないのよ。
少なくとも300年前から今に至るまで、カーニ帝国にとってイビカは悪だった。
それだけのことよ」
帝国内の多くの人にとって、イビカ教徒は悪だというのが正しい認識になっているのだ。
それは300年前に皇帝や教皇によって作られた認識であるが、宗派の違いというのは根が深い問題だ。
この世界が近代的な科学技術を有していたとしても、根本的な解決は出来ないだろう。
「でもイビカ教徒は何を目指してるんだ?」
「さあね。そればっかりは分からない。
ただ、かなり大きなことをしようとしてるってのだけは事実ね」
違法薬物の製造。傭兵団の結成。オルテキア領の所有。
これだけやっているのだから、大きなたくらみがあるのだろう。
ただ考えても分からない。
キオネの調査に期待して、日が落ちたので毛布にくるまり寝ることにした。
◇ ◇ ◇
「起きて」
キオネに身体を揺すられて目を覚ます。
窓枠だけが残る窓からは日が差し込んでいた。
「おはよう。キオネは寝てない――」
「静かに。来客よ」
キオネはこちらの口を塞ぐようにして言った。
寝起きの頭で状況を理解すると、声を潜めて問う。
「イビカ教徒?」
「タルフから来たのは事実。
若い女が1人。今は正門前。遠巻きに建物の様子を探ってるわ」
「了解。
まずは身元確認かな」
「先手打って叩いた方が懸命だと思う」
「でも敵であるとは言い切れないんだろ?」
「それはそうだけど」
キオネは不服そうな顔をしたが、やがて頷いた。
「そうね。確認しましょう。
くれぐれも油断しないで」
荷物をまとめ、1階に降りる。
女の居場所はキオネが正確に把握している。
正門から入ってくるようなので広間でそれを待ち受け、キオネは窓から外に出て彼女の背後へ回る。
足音が聞こえた。
女が崩れていた廃教会の扉を動かして通り抜けようとしている。
肩に乗ったキオネのカニがハサミを振り上げて合図を出す。
その瞬間、右手を突き出して声を発する。
「何者だ」
声をかけると驚いた女は尻餅をついた。
魔力を行使し、肩にカニを召還して出したが、戦う意志はないらしく両手を前に突き出してこちらを制止した。
「ちょ、ちょっと待って待って!
怪しいものじゃないよ!!」
懸命に訴える女性――と言うより少女と呼んだ方が良いであろう。
歳は若い。多分キオネやテグミンと同い年くらい。
ただ背は低く、やや痩せ気味であった。
フードに隠れた髪は茶色で、垂れ目がちな瞳は鳶色をしている。
尻餅ついて立ち上がろうとするのだが、背中に背負った大きなザックが重いらしく立ち上がれずに居る。
「何しに来たの?」
扉の外からキオネが問う。
退路を断たれてると知り、彼女は怯えながら答える。
「え、何って、お迎えに来たんだけど!?
人違いなら何もせず帰ります!」
「誰を迎えに来たの?」キオネが再び問う。
「ワタリさん? と、もう1人女性の方が一緒だとか」
名前が出たので、キオネのカニが攻撃しろと合図を出す。
だがそれを一旦保留して問いかけた。
「それ、何処で聞いたんだ?」
「イビカ教徒の――あ、ちょっと待って! 違うから! 殺しに来たりとかしてないから!
まずは話し合おう! 暴力反対!」
懸命に訴える少女。
キオネは相変わらず攻撃しろと合図を出している。
とりあえずキオネを説得するようにして彼女へ問う。
「まずは君が何者で、イビカ教徒とどういう繋がりがあるか教えて貰っても良い?」
少女はその問いに無言のまま大きく頷いた。
◇ ◇ ◇
ナトラ・メレフ。
それが少女の名前で、彼女はタルフの街を実効支配している、イビカ教徒達に反抗するレジスタンス組織の一員らしい。
そんな彼女と朝食を共にしながらキオネは問う。
「あんただってイビカ教徒でしょ。
本気でイビカ教徒の集団に反抗するつもり?」
「え? いや、ナトちゃんはそういうのとは違うかなーって……」
ナトラは冷や汗をかきながらキオネから視線を逸らした。
その行動は、自分はイビカ教徒だと宣伝しているようなものだ。
「別に僕たちはイビカ教徒だってだけで責めるつもりはない。
でも実際どうなんだ?」
問いかけると、ナトラはそれを認める。
「そうだけどさ、なんで分かったの?」
「別に。適応言ったらあんたが勝手に引っかかっただけよ」
「あ! ずるい!
そのやり口は卑怯だよ!」
「うるさい奴ね」
キオネは切った果物をナトラへと押しつけるように渡して黙らせる。
ナトラがそれを1口かじってから問う。
「で、イビカ教徒のあんたがどうしてイビカ教徒に反抗してるの」
「いやだってさ、もともとタルフは東の国境に近いから、イビカ教徒も見逃して貰えてたんだよ。
先代オルテキア候だって、布教しないことを条件に信仰自体は否定しなかったし。
まあそういう街だからさ、イビカ教徒でも普通に生きて来れた訳よ」
ナトラの言葉にキオネが「ふうん」と相づちを打つと、彼女は先を続ける。
「変わったのは6年前オルテキア候が事故死した後。
コルネフォロスっていうイビカ教徒が実権を握ったの。
それ自体はまあ好きにしたら? って感じだったんだけど、段々イビカの布教活動したり、違法薬物製造して輸出したり、軍備増強し始めたりして、どうも皇帝に反旗を翻すつもりらしいって分かってさ。
これがバレたらまたイビカ教徒だってだけで虐殺されるようになるじゃん?
だからそうなる前に、コルネフォロス一味を街から追い出したいって訳」
キオネは再び相づちを打ち、問いかけた。
「言ってることは分かった。
で、私たちの情報はどこから?」
「仲間がコルネフォロス側に潜入してるの。
そこから、どうも各地であいつらの計画を邪魔してる人が居るらしいって。
しかも情報収集に特化した能力があるってきいたもんだからさ。
協力して欲しいなって思って、街道沿いでそれっぽい人を探してたわけよ」
「なるほどね」
キオネは説明に満足したらしい。
代わりに問いかける。
「情報を集めてどうするつもり?」
「コルネフォロスが帝国法に反してる証拠を手に入れて、ディロス家なり皇帝なりに密告したい。
あんまり目立ちたくないから皇帝は最後の手段だけど、とにかくコルネフォロスの悪事を止められる誰かを味方に付けたいわけよ」
ナトラの言葉を聞いて、キオネへと視線を向ける。
彼女の目指しているところはこちらと同じ。
コルネフォロス側へ潜入している仲間も居るとのことなので、協力するメリットもある。
「こいつの言ってることが本当だとは限らないのよ」
「え!? 酷い! ナトちゃんは嘘ついたりしないよ!」
「嘘つきはみんなそう言うのよ。
あんた、能力は?」
「ええー。見せたら信用してくれるんですかね?」
疑いつつもナトラは肩の上にカニを召還する。
両腕を広げれば全幅40センチくらいになるだろうか。暗い色をした小ぶりなカニだった。
「1匹だけ?」
「出そうと思えば2匹」
言って、ナトラは頭の上にもカニを召還して見せた。
先ほどと同じ形態のカニ。
「これだけ?」
キオネは指先でカニをつつく。
ナトラは「つつかないで」と文句を言いつつも、もちろんこれだけじゃないと伸ばした右手の上にカニを乗せて見せる。
「ふふん。
ナトちゃんのカニさんはちょっとした芸が出来るのよ」
言うと同時に、手のひらの上のカニは口からぷくーっと泡を吹き始めた。
泡は大きくなっていき、直径30センチくらいになると空中に放たれる。
「どう? 器用でしょ」
「これだけ?」
再度キオネが問う。ナトラは胸を張って答えた。
「もっとたくさんだって出せますとも!
部屋中泡だらけにすることだって出来るんだから!」
「ふうん」
キオネは指先で泡をつつく。空中を漂っていた泡は、指先でつついても弾けない。
でも鉄顎の切っ先で表面をつつくと、簡単に弾けた。
「そっちのは?」
「え、そっちも何も、同じことだよ」
頭に乗っていた方のカニからも泡が吹き出される。
直径30センチくらいの泡は、放たれるとゆっくり床へと落ちていく。
そちらもやはり、指先でつついても無事だが、鉄顎の切っ先でつつくと弾けた。
「無害じゃない?」
キオネへと問いかける。
ナトラが嘘をついていたとしても、この泡でどうにかされるとは思えない。
「そうね。私たちもタルフの街に詳しい人間を味方に付けておきたいし」
言いながらもキオネはこちらへと視線を向け「油断するな」と訴える。
その視線に応じるように頷いて、それからナトラへと声をかける。
「協力するよ。
よろしく、ナトラ」
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