第4話 宿場町と盗難事件

 朝早くに修道院を出発し、街道沿いを歩いて行く。

 時計が無いから詳しい時間は分からないけれど、恐らく2時間程度かかっただろう。

 ようやく見えた街。

 壁に囲われているが、壁の高さはまちまちで、所々木造の壁もある。

 街には見えるだけでも3つの街道がつながっていて、それぞれからは多くの人やクルマエビが街へと吸い込まれ、そして旅立っていく。


「大きな街なのか?」キオネへ向けて問いかける。


「元々は宿場町だったけど、運河の整備が行われたのもあって最近は交易拠点としても栄えてるわね」


「何か仕事見つけられるかな」


 真っ当に生きるためには何においてもきちんとした仕事を見つける必要がある。

 だがキオネはかぶりを振った。


「よそ者に対して寛容な街ではあるけど、見ての通り都市拡張が間に合ってないの。

 定住者を受け入れてはくれないでしょうね。

 仕事探しはもっと東の街でした方が良いわ」


「キオネが言うならきっとそうなんだろうな。

 でも交通の要所ならテグミンの調査にはもってこいの場所だな」


 声をかけると、テグミンは歩き疲れた様子を見せながらも「そうですね」と微笑んで見せた。


「調査って言っても手がかり無しにどうするつもりなのよ」


 問いかけにテグミンは悩みながら答える。

 

「エリオチェアの街で違法薬物が見つかって、アクベンス伯爵領を経由して持ち込まれたことは分かっています。

 ですのでこのあたりを調べていけば、流入元も判明するのでは無いかと……」


「その違法薬物、見せて貰っても良い?」


 キオネが首をかしげ問いかける。

 それに対してテグミンも首をかしげて返した。


「なんで持ってないのよ。実物見つけたんでしょ?」


「騎士様に預けて、そのまま……」


「おバカ。

 調査するのに現物持たないなんてあり得ないわよ」


「うぅ……。

 家族以外に初めてバカと言われました……」


「選帝侯家のお嬢様だから今まで遠慮されて言われなかっただけよ。

 口頭で説明できる内容なの?」


 キオネは厳しく追及する。

 仲裁に入るべきか迷ったが、テグミンは懸命に違法薬物について思い出して語り始めた。


「原料は不明ですがエビが使われているだろうとは言われています。

 食べると魔力が急速に回復する作用があるのですけれど、中毒性がありまして一度口にすると定期的に食さないと身体が震えるなどの症状が出ます。

 形状は棒状で、といってもそう長くも無く、ねじれていて、色は黄色気味と言いますか――」


「エリオチェアに戻った方が早いわよ」


「ですよね……。

 ですけれど戻るわけには――」


「ま、ともかく街に入りましょう。

 1泊するからその間にどうするべきか考えておきなさい。

 通路の右側に寄って。検問抜けたら声をかけてくる人間の対応は私がするからあなたたちは無視して」


 キオネの言葉に頷き、街の門へと入る。

 3人ひとまとまりで進み、衛兵に街へ入る目的を問われるとキオネは巡礼の旅だと言って青い表紙の本を提示する。

 衛兵はそれを検めると頷いて通行を許可した。


 キオネが先導するので検問を通過して街へと入る。

 入って直ぐ右手には市が開かれているらしく人々が露天を並べ活気に満ちていた。

 先に進んでいくと、物売りや宿屋の客引きが声をかけてくる。

 言いつけを守り、対応を全てキオネに任せて彼らの言葉には取り合わない。


 キオネもしばらく客引きたちを軽くあしらっていたが、唐突に宿屋の客引きの呼びかけに答えた。


「お嬢さん、今日の宿はもうお決まりで?」


「見ての通り今街に入ったばかりよ。

 この街のことも全く分からないし、宿が決まっているわけないでしょう」


「おっしゃるとおりだ。

 でしたら良い宿がございますよ。大通り沿いで部屋も綺麗でもちろん鍵付き。料理も絶品です」


「大通り沿いにあるのは良いことだわ。

 2人部屋1つと1人部屋1つ空いています?」


 キオネは余所行きの態度で接する。

 客を捕まえられたことに客引きの男も上機嫌で、営業用の笑みを浮かべて話を先へと進める。


「ええ、空いていますよ。

 それではご案内します。こちらへどうぞ」


 客引きに先導されて大通りへ入ると進んでいく。

 キオネは歩きながら眉根を寄せて男へと問いかける。


「街の入り口近くだと思っていたわ。

 遠いの?」


「直ぐそこでございますよ。

 確かに若干の距離はございますが、これくらいの場所の方が入り口の喧噪から離れてゆっくりお休みになれますし、お部屋も広く満足出来ますよ」


「部屋には自信があるようね。

 気がついているかも知れないけれど、こちらのお嬢様は相応の身分のお方よ」


 キオネはテグミンの腕を引いて男の前に引き出す。

 男は商売人として、キオネの言葉を受けてテグミンを褒め称える。


「ええもちろん気がついていましたとも。

 高貴なお方は隠そうとしても隠しきれぬ魅力というものがございます」


「この方に見合う一番良い部屋が取りたいけれど、そちらの宿に相応の部屋はあるでしょうね?」


 キオネは厳しい目つきで問いかける。

 だが男も負けなかった。彼は絶対の自信があると大きく頷く。


「もちろんでございます。

 貴族の方々も満足頂ける最上級のお部屋の準備がございます。

 ――ただ、少しばかり室料は高めにはなりますが」


 キオネは「ふん」と鼻を鳴らして、内ポケットから硬貨を一枚取り出した。


「これで足りるかしら?」


 金色に輝く硬貨。

 この国で金貨1枚がどれほどの価値を持つのかは分からない。

 されど男の目の輝きがあからさまに変わったことから、この宿の部屋に対しては十分すぎるほどの価値があるのは明らかだった。


「ええ、ええ! 十分ですとも」


「ではその部屋と、あと小さくて良いので1人部屋を1つ。

 先ほど料理も絶品だと申し上げていましたが、もちろん期待してよろしいのでしょうね?」


「もちろんですとも!

 必ずやご満足頂けると保証しますよ」


「結構。荷物を運んでくださる?」


「はい喜んで」


 男はテグミンとキオネの荷物を担ぎ、至福の笑みを浮かべて宿へと先導した。

 上客をつかまえれば客引きの彼にもそれなりの報酬が与えられるのだろう。

 嬉しそうに労働にいそしむ人を見ていると、こちらまで嬉しくなってしまう。


 大通りを進んだ先。通り沿いにある大きな宿『八つ足亭』へと入り、客引きの男が宿の主人へといくつか言葉を伝えると、もてなしを受けて3階奥の豪華な部屋へと案内された。

 大きなベッドが2つ。色鮮やかな絨毯が敷かれ、室内に洗面台とトイレ、木製のバスタブを備えた広々とした部屋だった。


「ありがとう。

 私は従者のキオネよ。この街には不慣れだから何か尋ねることもあるかも知れませんがよろしくて?」


「何なりとお申し付けください」


 荷物を運び入れた客引きはもちろん、宿の主人、メイドまで深く頭を下げる。

 キオネは短く礼を言うと、部屋を見渡して感想を述べる。


「良い部屋ね。これで良いわ。

 そうそう。荷物の運賃はこれで足りまして?」


 キオネは客引きへと大きな銀貨を差し出す。

 小さな銀貨より2周りは大きい。チップとして渡すにはきっと破格だろう。

 男は頭を垂れてそれを両手で受け取る。


「もう1部屋も確認しておくわ」


 キオネが言うと、宿の主人が先導して部屋を出て、大部屋の隣の部屋の扉を開けた。

 小さい部屋とキオネが注文をつけていたが、こちらもベッドは2つ。トイレやバスタブはないものの、悪くない部屋だった。


「あんたには十分な部屋ね」


「ああ。一切文句ない」


「当然ね。

 こちらもこれでいいわ。

 何かあればこちらからお呼びしますから、後はお構いなく」


 キオネは部屋の鍵を受け取ると主人へと金貨を渡して、今は何もしなくて良いと言いつけて退室させた。

 彼らが退室し、部屋から離れるのを見送ってからキオネは言う。


「金貨に対しては微妙な部屋だったけど、まあ良いでしょう。

 ひとまず旅の準備よ。

 市がやっているうちに水とパンを買いに行きましょう」


 キオネから部屋の鍵を受け取って、特に準備もすること無くそのままの格好で廊下へ。

 テグミンは荷物の準備をしてくると、大部屋へ戻っていった。

 キオネも部屋に入るがザックだけ担いで直ぐに戻ってきた。

 テグミンを待つ間にキオネへと問いかける。


「なあ、鉄顎ってこの間貰った銀貨で買えるかな?」


「買えないこともないけど、そうね。長旅には必要だわ。

 あんたとテグミンの分、買うと良いわ。これで足りるはずよ」


 キオネは腰の布袋から大きな銀貨を2枚取り出して渡してくれた。


「テグミンの分があれば良いかな。

 カニ魔法で自分の身は守れるし」


「それでも旅をするなら持っているべきよ。

 これを――テグミンはアウストラリスね」


 青い表紙の本を差し出したキオネだが、何か思い出したのかそれを引っ込める。

 代わりにザックから取り出した赤い表紙の本を渡してきた。

 先ほどの青い本とは違い、分厚く、表紙に装飾の施された厳かな本だ。


「これ持ってて」


「これって聖書、だよな?

 鉄顎を買うのに聖書が必要なの?」


 キオネはめんどくさそうにしながらも質問に答えてくれた。


「護身用と言っても武器よ。

 誰だって何処の誰だか分からない奴に、自分を殺せる武器を渡したくは無いでしょ。

 自分はあなたを殺しませんと証明する必要がある。

 でも口で言ったってそんなの信用できないでしょ」


「それで聖書か」


「そう。私はあなたと同じ信仰を持っていますと証明するの。

 店主に見せて、巡礼の旅をするのに必要だと言えば、よほど頑固者じゃ無い限り売ってくれるわ」


「なるほど。ありがと」


 聖書を受け取りザックへ入れようとするが、キオネに制止された。

 聖書をしまう用のブックカバーを渡されて、言われるがままに装着。

 ローブを脱ぐとブックカバーを肩からかけて、その上からローブを着直す。


「絶対に肌身離さず持ち歩くこと。

 他人には触らせないこと」


「分かった。約束する」


 キオネにとって聖書は大切なものなのだろう。

 借り物だし、なくしたり盗まれたり汚したりは出来ない。

 大切に扱うと約束すると、キオネからも念を押すように「細心の注意を払いなさい」と言いつけられた。


 ちょうど荷物の準備を終えたテグミンがやって来て、「お待たせしました」と頭を下げる。

 3人そろったのでこれから出かけるのかと思いきや、キオネはテグミンへ銀貨を3枚渡して言った。


「水筒いっぱいの水と、3日分のパン。干しエビとあったらエビ殻も。

 保存の利く果物もいくつかあると良いわ。

 その前に鉄顎を買うのよ。お金はワタリに渡してある。

 鉄顎は市じゃなくて職人街よ。

 看板が出てるから迷うことも無いでしょ。

 分からなければ宿の人間に聞けば良いわ。

 先に行ってて」


 そう言ってキオネは部屋へと戻ろうとする。

 そんな彼女へと提案した。


「待ってるよ」


 キオネは振り向き、不機嫌そうに目を細める。


「先に行けと言ったわよ」


「え、でも」


 きっとキオネが居てくれた方が買い物は上手くいく。

 だがテグミンも何かを察したのか、ローブの裾を引っ張って、背伸びして耳元に顔を寄せるとキオネに聞こえないよう小さく呟く。


「トイレですよ。

 部屋の外で待つのは失礼です」


「あ、そういうこと。

 分かった。先に行ってるよ。

 先に鉄顎を買って、次に水とパンとエビと果物ね」


「分かれば結構。

 テグミン。ちゃんと案内してあげて」


「はい! お任せください!」


 大きくテグミンが頷くと、キオネは部屋に入って内側から鍵をかけた。

 2人で『八つ足亭』から外に出て、まずは鉄顎を購入する職人街を目標にする。


「で、職人街ってどこだっけ」


「宿の人に聞いてきました。

 通りを真っ直ぐ進んで、後は看板に従って左に曲がれば良いとのことです」


「それじゃあとりあえずあっちかな」


「はい。きっとそうです」


 街の入り口とは反対側。

 大通り沿いに進んでいく。職人街を示しそうな看板を探しながらも、通り沿いに軒を連ねる店を見ていく。

 しばらくは宿屋が多かったが、次第に服飾品や嗜好品を扱う店が増えてくる。


「あ、あの看板ではありませんか?」


「確かに職人っぽい」


 鈍色に光るカニのハサミを模した看板。

 それを見て看板の位置で左折。その先の通りを進んでいく。


「後は鉄顎屋さんを探すだけですね」


「そうだね。

 ところでテグミンは聖書持って来た?」


「はい。肌身離さず持っていますよ」


 テグミンはローブの前を開けて、ブックカバーにしまわれた聖書を見せた。

 テグミンの聖書も赤い表紙をしていた。


「そういえば、聖書って赤と青があるよね」


 キオネから借りた聖書を確かめる。こちらもテグミンと一緒の赤い表紙だ。


「はい。宗派によって変わりますね。

 ワタリさんの聖書は、わたくと同じアウストラリス派のものですね。

 ――待ってください。その装丁、かなりの高級品ではありませんか?」


 テグミンは目聡く聖書の装丁を指摘した。


「いや、これはキオネから借りたもので」


「聖書を借りたのですか?

 あれ? ですが街の検問を通るときにキオネさんは青い表紙の聖書を見せましたよね?

 キオネさんはボレアリス派――ではないですよね。キオネさんはカニ様のことをカニ様と呼んでいたはずです。

 どういうことですか?」


 どういうこと、と問われたって、何も答えられない。

 確かに考えてみればキオネが聖書を2冊所有しているのは変な話だ。

 しかも別々の宗派のもの。だとしても、その理由はキオネにしか分からない。


「キオネに聞かないと分からないと思う」


「キオネさんは答えてはくれないでしょうね」


 テグミンの認識は正しいだろう。

 きっとこのことを追求しても、キオネは回答を拒否するはずだ。

 だがテグミンはそれなら自分で調べると、手を差し出して聖書を差し出すように催促した。


「少しだけ見せて頂けませんか?」


「ごめん、他人に触らせるなってキオネから言いつけられてて」


「ですがワタリさんもキオネさんのこと、知りたいとは思いませんか?」


 その提案には心を引かれた。

 キオネのことを知りたいか。

 当然その答えはイエスだ。

 だけれど約束を違えて渡してしまっても良いのか。

 答えを出せないで居ると、テグミンが譲歩案を出す。


「では渡してもらえなくても良いです。

 外側だけ見せて頂くだけで構いません。それだけなら、お店の人にも見せるわけですから構いませんよね?」


 確かに言うとおり、このまま店に行けば店の人には聖書の表紙を見せるのだ。

 それくらいならば良いだろうと、ブックカバーから聖書を取り出してテグミンへと見せる。


「やっぱり。しっかりした造りです。

 かなりの高級品ですね。裏を見せて頂いても?」


「じゃあ一瞬だけ」


 聖書を裏返して裏面を見せる。テグミンはそこに書かれていた文字を見つけて、緋色の瞳を大きく見開く。

 何か興味を引くことが書いてあったのだろうが、自分にはこちらの文字はさっぱり読めない。


「何が書かれてるの?」


「いえ大したことでは。

 ただ聖書の持ち主はキオネさんで間違いないと思います」


「そっか。

 それなら良かった」


 盗品では無かったようなので胸をなで下ろす。

 テグミンが満足したようなので聖書をブックカバーにしまい直した。

 それから気になることを問いかけてみる。


「聖書って高いものなの?」


「はい。基本的に書籍は値が張りますね。

 装丁のきちんとした聖書は教会に置かれているものと、貴族や街の有力者所有のものくらいです。

 巡礼の旅に出る方は簡素な小さな聖書を持ち歩くのが普通です。

 それ以外ではそもそも聖書は個人所有されません。聖書は教会で、神父様に読んで頂くものですから。

 特別な教育を受けていないと古代カニ語は読めませんからね」


「へえ。確かに、キオネの青い表紙の方は造りが簡素だった」


 となると問題は、何故キオネが高額な聖書を個人所有しているかだ。

 しかし今日の宿の支払いを見る限り、キオネは金銭的には全く困っていない。それどころか十分に余裕があると考えられる。


 かなり宗教には熱心のようだし、聖書があれば見知らぬ土地でも信頼を得られる。

 装丁のきちんとしたお高い聖書であればそれなりの人物として迎えてもらえるメリットもあるし、そう考えると大金をはたいて自分用の聖書を造る行為はおかしなものではない。

 むしろ問題なのは、別の宗派の聖書まで所有していることだろう。


「宗派って何があるんだ?」


 話題を切り替えるように問いかける。

 テグミンは問いかけられたことを喜んで、よくぞ聞いてくれましたと自信満々に説明を始める。


「カニ教には大きく分けて3つの宗派があります。

 1つはわたくしやキオネさんが信仰するアウストラリス派。

 由緒正しいカニ教の教えで、昔からの伝統を守る貴族の間で信仰が根強いです。教皇庁が正式な宗派としているのもこちらです。

 カーニ帝国では主流の宗派ですね。


 もう1つはボレアリス派。

 最近騎士階級や、振興の貴族の間で広まりつつある宗派ですね。

 選帝侯にも信望者がいるのでカーニ帝国内での信仰も認められています。

 今伸びつつある宗派ですね。

 カニ様のことを神様と呼ぶ人はこちらの宗派です。


 わたくしとしては、ワタリさんにはアウストラリスがふさわしいかと存じます。

 よろしければ詳しい教義についても解説しますよ」


 思わぬところで火をつけてしまったらしい。

 テグミンは新規入信者を獲得できそうとあって、緋色の瞳を爛々と輝かせて、聖書片手に詰め寄ってくる。


 この国で生活していくならいつかは向き合わなければならない問題なのだろうが、今のところ自分は仏教徒だ。

 ただテグミンの好意を無碍にしないよう、話をすり替える形でそれとなく断る。


「あれ、宗派は3つって言ってなかった?

 あと1つは?」


 問いかけにテグミンは短く「あっ」と口にして、3つと言いました? と確認をとる。

 頷いてみせるとテグミンは身体を寄せてきて、小さな声で説明してくれた。


「あまり大きい声では言えませんが、イビカという異端の宗派があります。

 国内での信仰は認められていませんが、隠れて信仰している人も多く居る現状です。

 ですが異端ですので、発見次第処刑するのが決まりです。

 カニ様のことを”始祖”と呼ぶような人が居た場合は注意が必要です。

 当然ですけれどこちらの信仰はお勧めしません。

 宗派の存在すら、人目のある場所では話さない方が賢いでしょうね」


「それは覚えとく。

 ありがと」


 この国の異端審問がどのようなものかは分からない。

 されどまともなことでないのは明らかだ。

 積極的にイビカとやらを信仰する理由はないし、距離を置くのが懸命だろう。


「あ、あそこに並んでるの鉄顎じゃないか?」


「本当です。たどり着けましたね!」


 いつの間にか目的の店に到着していた。

 店の戸を叩き中へ入る。

 商店、という感じではない。職人街にふさわしい、工房と呼ぶべき内装だった。

 店員の姿も工房にふさわしい風貌の大柄な男性で、工場焼けした肌からは長くこの職場で働いてきただろう歴史を感じた。

 

 堅物そうに見える彼だったが、聖書を見せて巡礼の旅のための鉄顎が欲しいというと気さくに応じてくれて、テグミンの手に合う女性用のものと、自分用のものを1つずつ見繕ってくれた。

 相場が分からないのでキオネから渡された大きな銀貨を2枚差し出したら、鉄顎を収納しておくホルスターをつけてくれた。

 無事に買い物も終わり、テグミンと2人外に出る。


「次は市で買い物だな。

 ええと、どっちから来たか覚えてる?」


 店内に居た時間ですっかり記憶が飛んでしまった。

 テグミンの方はそんなことないらしく、「こちらからです」と道を指さす。

 しかし彼女は付け加えるように提案した。


「市につけば良いのでしたら、こちらの道を真っ直ぐ進めばきっと早くたどり着きますよ!」


「なるほど。言われてみればその通りだ」


 大通りを通り、途中で左折して職人街に来たのだ。

 斜めに真っ直ぐ進めば最短ルートなのは間違いない。

 その素晴らしい考えに賛同して、早速テグミンの示した道を進む。


 途中で分岐があったが、恐らくこっちだろうと左を選択。

 その後も分岐のたびに感覚で道を選んでいたら、いつの間にやら一体ここが何処なのか分からなくなってしまった。


「ま、迷いましたかね」


「まだ大丈夫だと思う。多分」


 焦るテグミンを落ち着かせるように言ってはみたが、迷っているのは間違いない。

 テグミンもこっちの世界の人間なのだから大丈夫だろうと考えていたが見積もりが甘かった。

 貴族のお嬢様で、この街はカルキノス領では無い。テグミンも訪れるのは初めての街だ。

 土地勘などあるはずが無かったのだ。

 

 とにかく狭い路地から脱出しようと道の広い方へと出てみたら、建物が密集する通りに出た。

 こんな場所、一度も通っていないはずだ。


「こういうときこそ落ち着かないとダメなんだ。

 そう。太陽の方角を確認しよう。

 カーニ帝国が北半球にあるとすればあっちが南だな」


 方角の確認はよし。

 太陽の位置が分かるのだから後は簡単な話だ。

 街の入り口へ――


「街の入り口、どっちの方角にあったか覚えてる?」


「東に向かって街にたどり着いたので西口?

 いえ、道が曲がっていたので南西から入りました?」


「確認しておけば良かった……。

 とにかく、西方面から大きく外れないことだけは確かだ。

 太陽を目印に西へ向かおう。大きな通りに出たら人に道を聞けば解決するよ」


「なるほど。

 ワタリさんは頼りになりますね!」


 頼りにされても、おおよそ期待には応えられないのが悲しいところだ。

 今の自分は絶賛迷子中で土地勘は無し。状況としてはテグミンと全く変わらないのだ。

 

 ともかく視界を覆う建物の隙間から太陽の位置を確認しながら、西へ西へと進んでいく。


「そこの旅人。

 ここで何をしている!」


 背後から声をかけられた。

 人だ。道を聞ける!

 喜びのあまり笑顔で振り向いたのだが、向こうはこちらを歓迎している様子では無かった。


 エビ殻で作られた簡素な鎧を見つけた、槍を手にした男が2人。

 明らかに敵意を持った視線を向けている。


「ええと、道に迷いまして」


 とりあえず現状を報告。

 エリオチェアの街での失敗を繰り返さない。

 こちらは何も悪いことはしていないのだ。きちんと話せば分かってもらえる。


「荷物を見せろ」


 男に槍の穂先を向けられる。

 驚いて後ずさりすると、そこにも別の男が現れた。


「こいつらが犯人か」


 新たに現れたのは男2人を護衛につけた初老の男。

 恰幅が良く、身につける衣類も周りの男達とは別格で明らかに質が良い。

 手にした杖には大きな宝石が埋め込まれていた。


「ごめんテグミン。この人達は?」


「街の有力者さんと自警団の方だと思います。ですよね?」


 初老の男は険悪な表情をしながら応じた。


「いかにも。

 領主様より市の管理を任されているウードと言うものだ。

 当然、君たちのような市の運営を脅かす人間の対応も行っておる」


「わたくしたちは何も悪いことはしていません」


 テグミンが無実を主張するが、ウードと名乗った男は自警団へと荷物を調べるように命じた。

 自警団相手に手をあげるわけにもいかない。

 こちらは無実なのだから、それを証明しようとザックを下ろした。


「ありません。こちらも」


 自警団はザックとテグミンのカバンの中身を検めて首を横に振る。

 これで解放されるかと思いきや、ウードはそれを許さなかった。


「どこかに隠したに決まっておる。

 ここは旅人には用の無い場所だろう」


「ですから迷ったんです。信じてください」


「信じてくださいで野放しにすると思うか?

 屋敷に連行しろ。

 なんとしてでも盗品のありかを吐かせるのだ」


「ちょ、ちょっと待って――」


 自警団が力尽くで連行しようとする。

 あろうことかテグミンまで無理矢理拘束しようとして、彼女が短く悲鳴を上げた。

 頭が沸騰し、身体の奥へと意識を向ける。

 テグミンを守らなければ。その一心でカニ魔力を呼び起こす。

 カニ魔法を行使し――


「あんたたち何してるの?」


 カニ魔法を使う直前、聞き慣れた声が響いた。

 狭い路地から姿を現したのはキオネだった。

 彼女は状況を確かめようとしているのか、濁った細い目で僕とテグミン、そしてウードと自警団を順々に見ていく。

 しかしそれでも何も分からなかったらしく、重ねて問いかけた。


「説明してもらえる?」


 自警団に槍を向けられてもキオネは動じること無く、ウードの前まで進んで説明を求めた。


「貴様もこいつらの仲間か」


「仲間なのは事実。

 先にそっちが説明なさい。

 その2人を拘留する容疑は?」


 高圧的な物言いをするキオネに対して、ウードは顔を赤らめて怒りを見せながらも応じた。


「盗みだ。

 市の管理所から領主様へ納める金が盗まれた。

 こいつらは近くを彷徨いていた」


 キオネはバカバカしいと鼻を鳴らして、相変わらずの濁った瞳でウードを一瞥して追及する。


「いつ、何処で、何が、どうやって盗まれたのか説明を」


「だから市の管理所から――」


「いい。きりが無いから順を追って聞くわ。

 こっちの質問に答えて」


 返答を待たずにキオネは問いかけを始める。


「お金がなくなったのに気がついたのは?」


「つい先ほどだ」


「最後にお金があるのを確認したのは?」


「今朝、市を開ける前に確認している」


「つまりその間なら誰にでも盗めたと。

 どこから盗まれたの?」


「市の管理――」


「それはさっき聞いた。

 何階? 部屋に鍵は? お金はどういう状態だったの?」


「管理所の2階。部屋に鍵はかかっていない。だか金は革袋に詰めた状態で金庫にしまわれていた」


「最初からそう答えなさいよ。

 で、金庫は開けられたの? 壊されたの?」


「開けられた。

 鍵が金庫にささったままになっていた」


「鍵を持っていたのは?」


 問いかけに対して自警団の一人が手を上げた。

 キオネはその人物へと怪訝そうな目を向けて言い放つ。


「私なら彼を疑うわね」


 だがウードはそれを認めない。声を荒げて彼の無実を主張した。


「彼は市のために18年も働いてくれている」


「18年。素晴らしいことだわ。

 ではそちらが時間的な根拠を述べるなら、こちらも同じようにさせて頂きましょうか。

 私たちは先ほど街に入ったばかりなの。半刻も経っていないでしょうね。

 街に入って直ぐ、『八つ足亭』の客引きにつかまってそのまま宿に入ったわ。宿の人が間違いなくそう証言してくれるでしょう」


 キオネの言葉を受けてウードが合図を出すと、自警団の1人が宿へと事情を確認するため駆けだしていった。

 キオネは構わず続ける。


「ここまで理解した上で判断をして欲しいのだけれど、街に入ったばかりの私たちが、お金の存在も、街の地理も、金庫の場所も、鍵の持ち主も分からないのに、お金を盗み出せると思う?」


「それは……」


 ここに来てウードから当初の威勢がなくなった。

 回答を迷う彼に対してキオネはたたみかける。

 

「そこの2人にとりあえず言いがかりつけてるってことは、泥棒の顔も見てないんでしょ。

 その管理所、人の出入りはどれくらいあるの?」


「市が開いている間はそれなりに人は居るが――」


「その人の目を掻い潜って、見つかることなく目的のブツを盗み出したとしたら相当な手際の良さね。

 間違いなく計画的な犯行よ。

 決して街に来たばかりの旅人の、行き当たりばったりな犯行じゃない。

 そう思わない?」


 ウードはぐうの音も出ないと言った風で、口元を引きつらせてキオネをにらみつけた。

 そこに先ほど宿へと事情を伺いに向かった自警団が帰ってくる。


「『八つ足亭』の確認が取れました。

 確かについ先ほど、街に来たばかりの3人組の旅人を迎え入れたと。

 それに彼女たちの身元は確かで、決して盗みを働いたりはしないと。主人の保証付きです」


 自警団の報告にキオネは満足して、それからテグミンの手を引いてウードの前に立たせる。


「最初に言っておくべきでしたね。

 こちらの方は由緒正しき名家のご息女です。

 お忍びの旅故大っぴらに貴族とは名乗らず、見知らぬ街で道に迷いもしますが、決して盗みなど働きません。

 もちろん、私たちに対する容疑は解いてくださいますね?」


 キオネが回答を強要するように問いかける。

 ウードは最初に言いがかりをつけてしまった手前直ぐには結論を出さなかった。

 だがその場に、別の自警団員が大慌てでやって来た。


「お取り込み中のところ失礼します。

 報告したいことがあるのでお屋敷へ――」


「ここで良い。報告を」


 ウードが命じるとやって来た自警団員は報告を始めた。


「街の南門外側で行商人が襲われ金品を奪われました。

 最近この近辺に出没している、エビ教徒の盗賊団の仕業とのことです」


 初老の男は杖を握る手を震わせる。

 対照的にキオネは肩をすくめて、もう帰っていいでしょと言い放つとこちらに目配せして、さっさと来いと合図した。

 既に自警団による拘束は解かれて、彼らもこちらに対して一切の敵意を向けていなかった。


「待て、待ってくれ」


 去ろうとしたとこと、ウードが声を上げる。

 キオネはもう帰るつもりで居たようだが仕方なく足を止め振り返った。


「まだ私たちを疑う理由がありますか?」


 その問いかけにウードはかぶりを振った。

 顔は赤らめているが、それは怒りからではない。

 彼は泣きそうな表情で懇願した。


「名のある貴族様でしたらどうか盗賊団から盗まれたお金を取り返して頂けませんか。

 我々は市の治安維持が精々で、とても盗賊団とは戦えません。

 収めるお金が盗まれたなどと説明しても、領主様は信じてくれません。

 このままではわたくしたちは処刑されてしまいます」


「不用心だった自分を恨むのね。

 領主様とやらを説得して衛兵を貸して貰いなさい」


 キオネはそう言い残して立ち去ろうとした。

 そんな彼女を引き留めようとしたのだが、それより先にテグミンが立ち止まり、ウードの言葉へと答える。


「分かりました。

 わたくしたちも微力ながら協力させて頂きます!」


「はぁ? 何を言って――」


 困惑するキオネ。

 だがこの件に関しては、自分もテグミンと同じ気持ちだった。

 一度は疑われもしたが、困っている人を放ってはおくわけにはいかない。


「自分も手を貸します!

 一緒に、盗まれたお金を取り返しましょう!」


 ウードを始め、自警団の男達もその提案を喜んで受け入れてくれた。

 ただキオネだけは、嫌悪感をむき出しにして小さく悪態をつき続けていた。

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