第3話 泥棒キオネと選帝侯令嬢テグミン

 密漁漁船から海へと飛び込んだ先はカニ魔法の存在する異世界だった。

 異世界で出会ったのは、銀色の髪をした美しい少女、キオネ。

 身寄りがなく、顔に消えない傷が残る彼女は泥棒を生業にしていた。


 彼女へは自分が別の世界から来たことを説明し、彼女もその言葉を信じてくれた。

 この世界で真っ当に生きていく。

 新しく立てた人生の目標を達成するため、彼女にこの世界について学びながら旅をすることにした。


 そして旅立ってすぐ。

 街道沿いの林の中で、アーマーエビに襲われている少女を助けた。


 少女の荷物を盗んで売り払ったのはキオネ。

 そして、少女の護衛につくはずの騎士を倒してしまったのは自分だ。


 少女と途中まででも一緒に行こうと提案したのだが、その事実を知って意見が変わった。


「あの子の目的地まで送ってあげられないかな」


「本気で言ってる?」


 キオネは正気を疑うように、濁った左目でこちらを睨む。

 だが答えはもう決まっていた。


「そのつもり。

 過ぎたことはもう取り返せないけど、せめて罪滅ぼしをしないと」


「したところで荷物も護衛も戻ってこないのよ」


「だから、なんとか力になってあげられないかなって」


 キオネはうんざりした様子だった。

 顔をしかめて、茂みの向こうへと消えていった少女の方へと一瞬視線を向ける。


「バレたらタダじゃ済まされないわよ」


「バレないようにする」


「上手くいくとは思えないけどね」


 否定的な言葉を重ねるキオネ。

 だが茂みの向こうから少女が戻ってくるのを察すると、短く結論づけた。


「精々ボロが出ないようにしなさい。

 異世界云々の話も無しよ」


「分かった。上手くやる」


 正直あまり自信は無い。

 無いけれど、こうなった以上やるしかない。

 これから少女に、荷物を盗み護衛を倒した犯人だとバレないようにしながら、彼女の旅を手助けするのだ。

 それがきっと真っ当に生きる、第一歩だと信じている。


「すいません、こんな場所でお待たせしてしまいまして」


「全くよ。

 早く街道に戻りましょう」


 キオネが不機嫌そうに言い放つ。

 少女と共に来た道を戻り、街道へと出た。

 そこまで来てから、再び少女は頭を下げて礼を言う。


「助けていただきありがとうございます。

 わたくし、テグミンと言います」


 肩まである赤い髪。

 大きな瞳は緋色で、陽光を浴びて爛々と輝いていた。

 身長はキオネよりも小柄で、少女という呼び方がしっくりくる。

 年齢的にもきっと中学生くらいの年頃になるのだろう。

 あどけなさが残る朗らかな微笑みは、ここしばらく癒やしのなかったせいもあってとてつもなく眩しく見えた。

 とにかく、美人というよりは可愛らしいと形容すべき少女だった。


「自分がワタリで、こっちがキオネ。

 よろしく、テグミン」


「ワタリさんとキオネさんですね。

 こちらこそよろしくお願いします」


 テグミンはこちらに一礼し、それからキオネへと一礼。

 彼女は顔を上げると、キオネの顔を間近で見る。髪で右目を隠しているのが気になったのだろうか。のぞき込もうと距離を詰めて首をかしげていた。


「何よ」


「キオネさん。以前何処かでお会いしたことがありませんか?」


 テグミンが問いかける。

 その問いの言葉に心臓が高鳴った。

 もしかしたらテグミンは、自分の荷物を盗んだ犯人に目星がついているのかも知れない。

 だがキオネの方は相変わらずすまし顔のままで、つんとした態度のまま返す。


「とんでもない。私は身寄りの無い平民よ。

 カルキノス家のお嬢様と会うのはこれが初めてだわ」


「そうでしたか。

 ――あれ、家の名前名乗りましたか?」


 テグミンは首をかしげる。

 対してキオネはやはりすました顔のままで返した。


「そんな豪勢なマント身につけていたら、よほどのバカじゃなければ気がつくわよ」


「なるほど!

 勉強になります」


 やはりテグミンは良いところのお嬢様らしい。

 幼いながらも身のこなし、言葉遣いが落ち着いているのはそのおかげだろう。


「カルキノス家って偉いのか?」


 どうにも気になってキオネへと尋ねる。

 カルキノス家といえば、先ほどまで居たエリオチェアの街もカルキノス領だったはずだ。

 キオネは眉根を寄せて答える。


「この国で一番偉いわよ」


「え!? ってことは皇帝の家なの!?」


 今居るこの国はカーニ帝国だ。

 帝国で一番偉いのは皇帝だろう。

 そう確信していたからこそ驚いて声を上げたのだが、キオネの反応はいまいちだった。


「あれ……。

 帝国で一番偉いのって、皇帝、だよな……?」


 誰にでもなく問いかける。

 テグミンは「その通りですよ」と答えながらも目を泳がせている。

 どうやら違うらしい。観念してキオネへと回答を求める。


「ごめん。教えてもらっても?」


 キオネは一瞬渋い顔をしたが答える。


「カーニ帝国は多民族国家なの。

 多くの民族、いくつもの地域、いくつかの言葉。

 宗教はカニ教で統一されているけど、許されている宗派は2つ。

 こんな国で皇帝が絶対的権力を持ったらどうなると思う?」


 問いの内容を頭の中で咀嚼して、それから答えを口にする。


「皇帝とは異なる民族だったり言葉を話す人たちが不満を覚える」


「そうでしょ。じゃあどうしたら良いと思う?」


 今度の問いかけには熟考を重ね、しばらくしてから答えをひねり出す。


「教皇が決める、とか」


「300年位前ならそうだったかもね。

 異教徒の襲撃を受けて、ギリギリのところでカーニ帝国に助けてもらったせいもあって、今の教皇権は昔ほどのものじゃないわ」


 それじゃあ、と答えを求めて言いかけると、キオネはようやく教えてくれた。


「選挙で決めるの。

 それぞれの地域だったり民族を代表する7人の貴族代表。――選帝侯と呼ばれる大貴族の投票によって皇帝を決定するのよ。

 だから皇帝は選帝侯には逆らえないし、彼らには皇帝に匹敵する権限が与えられている。

 カルキノス太公はその選帝侯の1人よ」


 そう説明されると、傍らに居るテグミンがとても神々しく思えてきた。

 皇帝を選ぶ貴族の一員。

 国家の運命すら左右しうる存在な訳だ。


「つまりテグミンはもの凄く偉いのか。

 ――ええと、こういう場合はなんとお呼びしたら?」


 軽い気持ちで名前を呼んで良い存在では無いと、テグミンへと恐れながらも確認をとる。

 だが彼女は照れくさそうにかぶりを振った。


「普通に呼んでくださって構いませんよ。

 選帝侯家だから偉いというわけでも、永遠に選帝侯権が与えられる訳でもないですから。

 最近でもオルテキア辺境伯が世継ぎを残さないまま重い病を患って、選帝侯権を親戚に譲ったりしていますし。


 そもそもわたくしは4男4女の末っ子で今のところ相続権もないですから。

 与えられたのはカルキノスの名前くらいのものです」


 貴族にも貴族の事情があるのだろう。

 しかしながら本人が普通に呼んで良いと言うのなら、その言葉に甘えさせてもらおう。


「ま、そうでもなければ皇帝選挙の近いこの時期に、選帝侯の娘が一人で領外を彷徨いてるわけもないわね。

 巡礼の旅でもしようとしてたの?」


 キオネが旅の目的を問うと、テグミンはうつむき気味に、神妙な面持ちで告げる。


「それなんですが――。

 領内で発見された違法薬物の調査をしています」


「違法薬物の調査?

 それってあんたがやらないといけないことなの?」キオネが問いかける。


「おっしゃるとおり皇帝選挙が迫り他の兄弟姉妹は皆忙しいのです。

 相続権はないですけれど、わたくしだってカルキノス家の一員です。

 貴族として、カルキノス家四女として、役に立ちたいのです」


「殊勝な心がけだと思うわ。

 でも1人でどうやって調査するつもりよ」


 キオネに言われてテグミンは表情を暗くする。


「それは――。

 本当は騎士様と衛兵がついてくれるはずだったのです。

 ですがエリオチェアの街で騎士様が盗賊に襲われて負傷してしまい、衛兵の皆さんも騎士様がいなければついて行けないと。

 荷物も盗まれてしまって人を雇うことも出来ず、という事情がありまして」


「ならその騎士様とやらが回復するのを待つか、別の騎士を呼ぶかすべきよ。

 今からでもエリオチェアに戻るべきだわ。

 あそこだってカルキノス領ですもの。実家に泣きつけば物資も騎士も送ってもらえるでしょ」


 キオネの言うことはもっともらしく聞こえた。

 テグミンにこのままエリオチェアへと戻って欲しいという気持ちもあるだろうが、言い分は正しい。

 それでもテグミンはかぶりを振る。


「それは出来ません。

 忙しい家族に代わってわたくしが調査を行うと宣言して出てきたのです!」


「今更泣きつけないってこと?

 見栄を張っても良いことは無いわよ」


「分かってます。

 それでも見栄を張らないといけない時もあるのです。

 わたくしだって貴族です。一度やり始めたことは、最後までやり通します!」


 キオネもついに肩をすくめて「言っても無駄だ」と諦めを見せた。

 それを受けて、ようやくテグミンへと同行を提案する。


「それなら提案なんだけど、もし東の方へ行くなら一緒に行かないか?

 1人旅は危ないみたいだし、もしかしたら調査も手を貸せるかも知れない」


 その提案に、テグミンは表情を明るくして大きく頷いてくれた。


「はい。お邪魔でないのでしたら、是非ご一緒させていただきたいです!

 1人で街を出たのは良いのですが、実は旅には慣れていなくて困っていたのです」


「そうでしょうね」

 

 キオネは冷たく言い捨てるが、そんな彼女に対してもテグミンは笑顔のまま「よろしくお願いします」と頭を下げた。

 自分の中にある貴族像とは大分異なる、誰にでも優しく朗らかな少女。

 新天地の旅は始まったばかりだが、新たな仲間を加えて再開された。


「お二人に会えたのは良い巡り合わせでした。

 アーマーエビさんと小さなカニ様には感謝しないといけませんね!」


 テグミンは微笑みながらそう口にする。

 自分を襲っていたアーマーエビに感謝するのはいかがなものだろうかと思いつつ、もう1つのほう。小さなカニ様の方が気になった。


「小さなカニ様って?」


「はい。実はわたくし、カニ様の耳を持っていまして――」


「え!? カニの耳を持ってるって、どういうこと!?

 カニに耳ってあるの!?」


 驚いているとキオネに小突かれる。

 彼女は冷ややかな目線を向けて、それから説明してくれた。


「本物のカニ様の耳があるわけじゃないのよ。

 貴族の、特にカニ魔力の高い人間には、カニ様の祝福と呼ばれる特別な力が宿ることがあるの。

 それをカニ様の身体の一部を授かったとして、”カニ様の耳を持っている”とか表現をするのよ」


「なるほど。そういうことか。

 それで、耳を持ってるって言うのは?」


 問いかけるとキオネに代わってテグミンが説明する。

 

「耳の場合は近くに居るカニ様を感知する能力です。

 わたくしは正確な位置とおおよその大きさが分かります。

 それで先ほどアーマーエビに襲われているときに、街道に小さなカニ様がいるのが分かって、声をかけたら来てくれたのがおふたりだったというわけです。

 ――ですけれど、あのカニ様はどうしたのでしょう。

 今は近くに気配がありませんね」


 テグミンは耳を澄ますように両手を耳の後ろに当てる。

 だが結果は芳しくなかったようだ。

 それに対してキオネは告げる。


「もう遠くへ移動したんでしょ。

 カニ様は気まぐれな生き物ですもの」


「お礼を言いたかったですけれど、きっとキオネさんの言うとおりですね」


 キオネが「日が暮れる前に先へと進みたい」と言うので、後に続いて街道を歩く。

 行く先は分からないけれど、とにかく東へ。

 キオネが先導しているのだから、きっとこの先に街があるのだろう。


          ◇    ◇    ◇


「ここで一泊するわ」


 日はまだ落ちていないが、キオネはそう言うと街道沿いの石造りの建物を示した。

 宿屋――という感じではない。

 正門にはカニの彫り込まれた像が飾ってあった。

 カニ教の修道院みたいなものだろう。


「もう少しで街があるはずですよ」


 テグミンが問いかける。

 生憎このあたりの地理を一切知らないので、口を挟まずキオネの返答を待った。


「だとしても到着が夜になるわ。

 順調に進めるとも限らないし、夜に街に着いたら宿も取れないかも知れない。

 だからここで一泊して明日街に入る。

 急ぎたい気持ちもあるでしょうけれど、無理はしないのが旅の鉄則よ」


 その言い分は全くもって正しく思えた。

 ここは日本とは違う。

 エビに襲われることもあるし、道があるとも限らない。夜になったら明かりもないし、身動きがとれなくなった場合は野宿になる。

 当然、そんな装備は持っていない。


「そうですね。

 旅慣れたキオネさんの言うことが正しいです。

 今日はこちらで休ませてもらいましょう。

 ――ちなみに、お金は必要ですか?」


「寄付は任意よ

 聖書さえ見せれば部屋は用意してくれるわ。

 先に行って3人分とってきて」


「はい。任されました。

 キオネさんは?」


 テグミンの問いかけに、キオネは修道院の外に停まっていたクルマエビが繋がれた荷車を手のひらで示す。

 荷車にはいっぱいに食べ物や雑貨が積まれている。

 恐らく次の街へと向かう行商人だろう。


「買い物」


「なるほど。ではこちらは任せてください」


「ちなみに自分は何をしたら?」


 自分を指さして問いかける。

 キオネは短く「好きにしたら」と答えた。

 テグミンについて行こうかと思ったが、聖書を持っていないので邪魔になるだけだ。

 しかしキオネの方は少しばかり役には立てそうだ。

 荷物持ちくらいなら出来るのだから。


「分かった。ついてくよ」


「大したものは買わないわよ」


 言いながらもキオネは同行を拒否しない。

 荷車の元へと赴くと、傍らでクルマエビへと水を与えていた行商人へと声をかけて、あれこれ交渉して目当てのものを入手した。

 

 テグミンに着せるローブ。

 今日と明朝の分のパン。

 小さな布袋いっぱいの干しエビに、おまけでつけて貰った果物。

 キオネは銀貨を数枚支払ってそれらを受け取り、そのままこちらへと押しつける。

 そして荷車へと幌をかけて出発の準備を始める行商人へと礼を言って、修道院へと足を向ける。


「いまいち貨幣価値が分からない」


「そのうち慣れるわ。

 ひとまずこれ1枚で1週間分のパンが買えることだけ覚えておきなさい。

 ただし白いパンは高いから買わないこと」


 キオネは口にすると、内ポケットから取り出した銀貨を3枚こちらへ差し出した。

 実際手に取って見ると、1枚1枚が芸術品のような作りだった。

 銀貨には大きな身体に小さなハサミを備えたカニの姿が描かれている。


「無駄遣いしないように」


「貰って良いのか?」


「使わないと覚えないもの。

 間違っても盗まれたりしないで。

 盗人は相手が貧乏だろうが関係なく盗れるところから盗っていくわよ」


 キオネに言われると説得力がある。

 不用心にローブの表ポケットに入れたりせず、ベルトに下げていた布袋へとしまっておく。


「ローブ、テグミンのだよね?

 さっきの貨幣価値をきくかぎり、安くない買い物だった気がするけど」


「街で買うより割高だったのは事実ね。

 でもあの目立つマントで一緒に居られるよりはずっと良いわ」


 ちょうど、修道院から出てきたテグミンが目の前に現れた。

 会話を聞いていたらしく、身につけていたマントを恥ずかしそうに持ち上げてみせる。


「そんなに目立ちますかね?」


「目立つわよ。ローブ買ったからしばらくこっちを着なさい。

 部屋はとれたんでしょうね」


 テグミンはローブについてお礼を述べて、それから部屋について報告する。


「はい。中部屋が空いていたのでそちらを使って良いそうです」


「同じ部屋?」


「はい。そうですけれど、問題ありましたか?」


 キオネは視線をこちらへと向ける。

 それを見てテグミンもはっとするのだが、キオネはため息1つつくと告げる。


「貸して頂く身ですもの。

 多くは望まないわ。屋根と壁があるだけでもありがたいことね」


「そ、そうですね」


 キオネは「荷物を置きましょう」と修道院へと入ろうとする。

 だがテグミンは首をかしげて、一歩外に出ると先ほどの行商人の荷車をじっと見つめる。


「何か欲しいものあった?」


 問いかける。

 それにテグミンは直ぐには答えず、少し経ってから「そういうわけではないです」と答えた。

 それからキオネへと声をかける。


「すいません、キオネさん。

 何かわたくしに隠していたりしませんか?」


 追求するような問いかけ。

 しかしキオネはすまし顔で平然と返した。


「当たり前でしょ。

 何もかも教えてあげる義務は無いわ」


「おっしゃるとおりですね。

 部屋まで案内します」


 テグミンに案内されて、修道院の2階。角部屋へと荷物を置いた。


          ◇    ◇    ◇


 夕暮れ時。

 太陽が地平線の向こうに沈み空が藍色に照らされる頃、修道院の庭に出て、キオネとカニ魔法の訓練を行った。


 カニ魔法を行使して全身をカニ化。

 全高6メートル。大きなハサミを持つ、濃緑色のカニとなった。


「ゆっくり横に歩いて。

 足を絡ませない。

 魔力で身体を制御するのよ。速い、もっとゆっくり、一歩一歩動作を確認しながら」


 キオネの指導の下、なんとか指示通りに身体を動かそうとする。

 魔力の扱い方はどうしても慣れない。これまで“魔力”なんてものとは無縁だったのだから当然だ。

 それでもキオネは的確に指示を出してくれて、段々と思い通りにゆっくりと歩けるようになってきた。


「そうよ。きちんと魔力を制御なさい。

 いい。完全カニ化能力はカニ魔法の中でも、特に魔力の優れた人間にしか使えない強力な能力よ。

 でも身体が完全にカニ様と同じものになるのは弱点にもなり得る。

 人間の身体とはあまりにかけ離れているもの。

 きちんと身体を制御できない完全カニ化能力者は自滅することも珍しくないわよ。

 大切なのは魔力の量でも、能力の強さでもない。

 能力をどう使うかよ。

 ただ強いだけの力は害でしか無いわ。

 そこのところをよくよく考えて訓練なさい。

 その場でゆっくり一回転。足の動きに注意して」


 指示に従い、足の動きに細心の注意を払いつつ、魔力を送って身体を動かす。

 8本足の身体はその場で回転するのに難儀した。

 だがキオネのアドバイスを受けて、足の動かし方を補正していくと自由自在に回れるようになる。

 突然逆回転と言われても、身体の動かし方の基礎を学んだおかげですんなりと対応できた。


「筋が良いわ。

 今日はここまでにしましょう」


『え。まだまだやれるけど』


 魔力はまだ残ってる。

 能力をいち早く思い通りに扱えるようにしたいので訓練の継続を願い出たのだが、キオネはかぶりを振った。


「魔力は必ず残しておくものよ。

 修道院だって必ずしも安全な場所じゃないのよ」


 そう言われてしまうと従うほか無い。

 カニ化を解除して、キオネが腰掛けていた石造りのベンチへと座る。

 そしてキオネが差し出す干しエビを受け取った。


「カニ魔力を回復するにはエビを食べてきちんと眠るのが一番よ。

 忘れないように」


「肝に銘じておく」


 キオネ曰く異様なほど多いカニ魔力は日本でカニを食べたのが原因だった。

 きっとこちらの世界でもカニを食べれば魔力を回復できるのだろうが、カニはカニ様で神様だ。

 だからカニの代わりにエビを食べて魔力を回復するのだろう。

 同じ甲殻類だし、きっとそんな感じなのだ。


 干しエビを口に運び、キオネがちぎったパンを受け取る。

 パンは色が黒く、堅くてあまり美味しくはない。だが食べ物に文句を言える立場にもない。

 顎を痛めながらも固いパンをかみ砕いて食道へと押し込んでいく。


「ちなみに、カニ魔法って完全カニ化能力の他にはなにがあるんだ?」


 問いかける。

 キオネは噛んでいたパンを飲み込むと答えてくれた。


「まず部分カニ化能力ね。

 言葉通り、部分的なカニ化能力よ。

 テグミンがこれね。

 身体をカニ様の甲羅で覆っているわ。恐らく甲羅以外には変化させられないでしょう。

 それでも魔力が高いからとんでもない防御能力を持っているわ」


「テグミンも魔力が高いのか」


「基本的に貴族は魔力量が多いのよ。

 それにあの子はカニ様の耳を持つほどの血筋だし」


「へえ。流石は選帝侯家のお嬢様だ」


「そういうことね。

 最後はカニ召還能力。

 魔力を使ってカニ様を作り出すの。

 召還されたカニ様が何を出来るかは能力次第ね」


「そういえばさっきのアーマーエビも召還されたエビって言ってたよね」


 キオネは頷いて答える。


「エビ魔法のエビ召還能力ね。

 異教徒の魔法よ」


「ってことは、テグミンは誰かに狙われてるってこと?」


 それにキオネは同意しなかった。


「単純に1人で林に入ったから襲われただけでしょ。

 選帝侯の娘とは言っても相続権最下位だし、身代金目当てに襲う対象としては微妙なところだわ」


 「そういうものか」と勝手に納得する。

 それからキオネについて問いかけた。


「キオネの能力は何なの?

 戦闘向きの能力じゃ無いとは聞いたけど」


 問いかけにキオネは顔をしかめる。

 つんと視線を逸らして、それから答える。


「秘密よ。

 最初に言っておくべきだったけど、どんなカニ魔法が使えるかはあまり他人に話さない方が良いわ」


「え、ええ……」


 なんだかだまされたような気持ちだ。

 だけれどキオネはカニ魔法の訓練をつけてくれているのだから、教えないという選択肢はない。

 こちらとしてはキオネに対して全幅の信頼を寄せているものの、向こうからはそうでは無いと言うことだろう。

 こればかりはこちらから文句は言えない。

 キオネが何を信じるかは、全て彼女の自由だ。


 キオネが何を信じて、何を信じないのか。

 この世界で初めて会った人物で、これまでずっと頼りにしてきたから後回しになってしまったが、ここに来てキオネについて、彼女がどういう人間なのか知りたくなった。


 キオネが果物の皮へと鉄顎で切れ込みを入れてこちらへと投げ渡す。

 それを受け取ってどう食べたら良いものかと迷っていると、キオネが手本を見せるように切れ込みから皮を剥がし、むき出した果肉にかじりついた。

 真似して食べてみると口の中に酸味が広がる。身はパサパサしているが、不味くはない。

 果物を食べながら、折を見てキオネへと尋ねる。


「キオネはどうして泥棒をしてるの?」


 その問いかけに彼女はうんざりした様子を見せ、不機嫌そうに答えた。


「生きるためよ」


「そうじゃなくて、その、何か目的があるのかなって」


 キオネは視線を逸らす。

 それから遠い空を見ながら、やはり不機嫌そうにして返した。


「どうしてもやり遂げたいことがあるの」


「それって泥棒をしてでもやらないといけないこと?」


「そうよ」


 短い答えだが、その答えにはキオネの強い意志が込められている。

 彼女にとってはきっと、そのやり遂げたいことは何においても成し遂げなければならないのだろう。

 そして彼女は説教するように告げる。


「いいこと。

 この国でのそれぞれの生活圏は閉じた世界なのよ。

 私みたいに身寄りを無くして一度その世界からはじき出された人間だったり、あんたみたいにそもそも外側の世界からやって来た人間が、閉じた世界の内側に入れて貰うのは極めて難しいことなの。

 生き方に条件つけていたら生きてはいけないのよ」


 キオネの言うことはきっと正しい。

 社会保障の完備された世界ならば身寄りを無くしても生きていけるし、仕事にもありつける。

 だが身内や地域の繋がりが絶対的価値を持つ中世世界では、一度身内の小さな世界から外に出てしまったものには厳しい現実が突きつけられる。


 キオネは言い過ぎたと思ったのか、少し声色を和らげて問う。


「それでもあんたは真っ当に生きるつもり?」


 問いかけには即答できた。


「そのつもり」


 キオネは呆れたように大きくため息をついてみせる。

 それでもこちらの意思は否定しなかった。


「相応の覚悟が必要よ」


「かも知れない。

 でも難しくても諦めない」


 その言葉に再びキオネはため息をつく。

 彼女は「精々頑張ることね」なんて呟いて、残っていた果物を食べきると、近くに居たエビへと向けて皮を投げつけた。

 立ち上がったキオネへと声をかける。


「いつか実現できたら、きっとキオネにこれまでの恩を返すよ」


「期待しないで待ってるわ」


 彼女は修道院へと歩いて行く。

 後を追おうと果物を食べきり、キオネに習ってエビへと向けて皮を投げる。

 雑食性のエビだろう。彼らは皮に群がり、あっという間に平らげてしまった。

 キオネの後を追って部屋へと向かう。


 慣れない旅で疲れたのか、テグミンはベッドで寝息を立てていた。

 キオネはそんな彼女の様子を見て悪態をつきながらも、脱いだローブを床に敷いてそこで横になる。


 それを真似してローブを床に敷いて寝転がった。

 快適とは言えない環境だったが、疲れのせいか気がついたときには眠りに落ちていて、そのまま朝を迎えた。

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