雪瀬の夕飯
5日目
弁当対決、土日の部。雪瀬が夕食を作る土曜日を迎えた。
今日はいつもよりも気温が高く、長袖で過ごすには少し暑く感じる。
太陽が沈み始め、気温が少し下がってきた夕方に初めて家のインターホンがなった。
「今いく」
インターホンの画面に映る美少女にそう伝えると、俺は急いで玄関に向かった。
「お待たせ!」
玄関のドアを開けると、私服姿の雪瀬が立っていた。
私服姿が新鮮というほど長い時間を一緒に過ごしたわけではないが、女の子の私服というのはなぜかそれだけで気持ちが跳ね上がってしまう。
「お邪魔します」
「どうぞどうぞ」
夕飯勝負を俺と楓が住む家で行うことになり、雪瀬には家まで来てもらった。
この家に家族以外が入るのも初めてだが、自分の家に女の子が遊びに来るのも初めてなことに気がついた。
楓とは毎日のように遊んでいたけど、まさか男だとはなぁ。
半年前から同じようなことが何度も頭の中に浮かんでいる、ふと気付いた時にはまた繰り返し考えてしまう。
自分の中ではそのことは、もう割り切ったつもりではいるが・・・。
「それにしてもすごい豪邸」
玄関を入るとまず見える滝を見て感心している。
「借りてるだけだけどね」
「それでも、羨ましいわ。こんな家に住むのは誰もが一度ぐらい想像する夢じゃない」
まだ玄関を入っただけだというのに、あたりを見回している。
すると、二回から降りてこようとしていたもう一人の住人と目があったらしい。
「こんにちは、雪瀬さん」
「こんにちは、井晴くん」
お互い笑顔で挨拶を交わすが、俺には二人の目から光線が飛び出し、二人の間でバチバチと火花を散らせてるように見えた。
この二人、前世からの因縁の相手なのだろうか。
表面上は愛想を振りまいているが、お世辞にも仲がいいとは思えない。
「雨戸くん、早速準備を始めたいのだけれどキッチンまで案内してくれる?」
まだ、夕食には時間があるというのに、もう準備を始めるらしく持ってきた食材などが入った荷物を持ち上げた。
「ぼくが案内するよ」
俺は雪瀬をキッチンまで案内するため、返事をして前に出ようとしたが遮られてしまった。
「あら、井晴くんはいいのよ別に。 雨戸くんに案内してもらうから。 部屋にいてもらっていいのよ?」
「ぼくじゃ不満?」
「そんなことはないわ」
階段を降りてきた楓が雪瀬の前までくると、数日前に見た言葉の殴り合いが始まった。
「雪瀬さんって料理できるんですか?」
「昨日までお弁当を作ってきたじゃない」
「あの中でちゃんとした料理と呼べるものなんてなかったよね」
「チゲ鍋があったわ」
「あれが料理?」
明らかに喧嘩腰の言い方なのにお互いが笑顔なのが逆に怖い。
互いの目線は絶対に逸らさずにどんどん距離が近くなっていく。
殴り合いにはならないよな?
どちらも、そんな暴力的なイメージはないから大丈夫だとは思うが、近寄り方が映画とかでよくある殴り合いのシーンそのままなんだが。
ヤバそうな空気が家を包む前に止めなければ大惨事になると感じた俺はすかさず二人の間に仲裁に入った。
「わー、雪瀬の夕飯楽しみだなー。早く準備を始めないと食べれなくならないかなー」
冷や汗だらだらで、止めに入る。セリフが棒読みすぎて自分でも驚いている。
「そうね、じゃあ案内してもらおうかしら」
雪瀬が楓を見下すような言い方で案内を頼んだ。
完全にどこかの国のわがまま女王だ。
楓はそう言われると、何も言わずに振り返りキッチンの方へ歩いて行った。
「ふふ」
雪瀬が前を歩く楓を見てどこか勝ち誇った顔をしている。
どうやら、今の睨み合いは雪瀬が勝ったらしい。
「雪瀬は今日何を作るつもりなんだ?」
この空気をなんとかしたかったので、ひとまず話題を変える戦法。
「リハマカローニ・ラーティッコとシュプナニ・サラート・ス・ヤグーラタン」
ん?
「なんて?」
「だから、リハマカローニ・ラーティッコとシュプナニ・サラート・ス・ヤグーラタンよ」
全くわからん。
これは料理名を言われているのかどうかさえわからん。
「それは料理なのか?」
「なんのことだと思ったの?、雨戸くんったら変なの」
なぜかお上品に笑われてしまった。
「冗談だよ、うふふ」
俺も適当に上品っぽく笑ってごまかす。
後で楓にも聞いてみよ。
先にどんどんと進んでいってしまう楓は、この謎の料理?の名前は聞こえていないようだ。
「キッチンも見たことがないぐらい大きいわね」
このキッチンを見た人は大体同じ反応をする。
俺と楓の母親も同じように驚いていた気がする。
「朝の情報番組でイケメン俳優がやってる料理コーナーのキッチンみたいだわ」
おぉ確かに。
なんかしっくりきたなその例え。
「やっぱり、女の人はこういうのテンション上がるの?」
「当たり前じゃない! 最高の場所と道具があれば最強の料理ができるわ!!」
「最強の料理・・・」
うっかり忘れかけていたが、目の前でテンションを上げているこの美少女はとんでもない弁当を持ってきた人だった。
最強の料理ってなんだと思いながら、不安がこみ上げてきた。
「それじゃあ、私は準備を始めるけど、二人はどうする?」
「手伝うことはないのか」
「大丈夫よ、そんなに大変じゃないから。一人でも問題ないわ」
「そうか、どうしよっかな・・・」
「も、もしよかったら、私が料理するところ見てて欲しいなぁ・・・なんて」
もじもじしながら、俺の方を見てくる。
そんな姿もめちゃくちゃ可愛いくて何時間でも見ていたいが、横からすごい視線を感じる。
楓が笑顔でこちらを見ている。
基本的にいつも笑顔なのだが、どうも不自然な笑顔だ。
雪瀬からの提案を受け入れたら何が起こるか想像もつかないが、決して幸せになることはないと悟った。
「それも楽しそうだけど、家の家事やらなきゃいけないなぁ」
「そうなんだ」
見るからに、しょんぼりとしてしまった。
それとは裏腹に楓はいつもの笑顔に戻っていた。
「じゃあ、夕飯は頼んだぞ」
「楽しみにしててね」
そう言って、俺は洗濯をするために二階へ向かった。
決して楓が怖かったから家の家事があるなどと言ったわけではない。
本当に洗濯する用事はあったのだ。
俺が部屋を出た後に、残された二人の空気が最悪だったことには俺は気付いていなかった。
「楓、マカロニラッコとシュプシュプサラダグラタンって何か知ってるか?」
俺は雪瀬の料理を待つ間、楓と二人で洗濯物を干していた。
いつもは洗濯物担当の俺が一人で干しているのだが、今日は楓も手伝ってくれている。
ただ黙々と干していてもつまらないので、先ほど雪瀬が言っていた謎の料理を知っているか楓にも聞いてみることにしたのだ。
「なんの話?」
「今日の夕飯に雪瀬が作るって言ってたメニュー」
「マカロニラッコ?」
「マカロニラッコ」
本当は正確な名前は覚えてないけど、確かこんな名前だったはず。
「聞いたことないな・・・本当に食べられる料理を作るつもりなのかな」
「昨日までも量とかバランスはおかしかったけど、味とかは問題なかったから大丈夫だとは思うが・・・」
シャツのシワを伸ばしながら、だんだん不安になってきた。
「ラッコ出てきたらぼく食べられないよ」
「ラッコは出てこないだろ」
「マカロニラッコなのに?」
「・・・・・・たぶん」
ラッコって食えるのか?
あんな可愛いのは食いたくないぞ。
「シュプシュプサラダグラタンはグラタンだよね」
「シュプシュプが何かは気になるところだが、たぶんグラタンだろうな」
「本当に料理名なんだよね?どこの料理なんだろ」
「アゼルバイジャン!」
「絶対名前聞いたことあるだけでしょ」
「アゼルバイジャン?」
「場所も知らないくせに」
「アゼルバイジャン」
最後は尻窄まりに行ってみた。
ごめんなさい、名前聞いたことあるだけでどこにあるかはわかりません。
せっせと手を動かしながら今日の料理はなんなのか議論を重ねていく。
議論をするために大切な料理名をうろ覚えなせいで、ラッコが出てきそうで怖いのだが。
「そういえば、なんで楓はあんなに雪瀬に突っかかるんだ?」
料理の話を続けていても数時間後の不安が大きくなっていくだけなので、話題を変えてみることにする。
普段他人と敵対することはまずない楓が、あそこまで険悪になるのは珍しい。
気にはなっていたが聞けてなかったことを聞いてみる。
「わからないの?」
楓の洗濯物を干す手が止まった。
やば! また、何かまずいことを聞いてしまったのか。
「す、すまん」
「別に謝らなくてもいいよ」
再び地獄が訪れるのかと身構えたのだが、普段通りに笑顔のままだった。
「んーなんだろ、ちょっとだけ雪瀬さんのことが苦手ってだけかな。別に嫌いではないよ」
「楓にも苦手な人いるんだな」
「ぼくは聖人じゃないからね」
そうやっていつも俺に笑いかけてくれる顔を見てると、聖人ではなくても天使なのではないかと思う。
「雨戸くんお皿運んでもらえる?」
「はいはい」
洗濯やら掃除やら家の家事をしばらくしているうちに雪瀬の料理が完成した。
時間は5時半をすぎたあたりでまだ、夕食には早いがもう食べてしまうことにした。
「井晴くんはオーブンのやつを出してもらえる?」
「わかったよ」
雪瀬は最後の仕上げに作った料理を大きな皿に盛り付けながら、指示を出していく。俺と楓はそれに従いテキパキと動き、夕飯は完成した。
食卓には美味しそうな香りが漂い、その料理たちを囲むようにテーブルに座った。
「ほぉこれがマカロニラッコとシュプシュプサラダグラタンか!」
おそらく、一人一人の前に出されたみるからにグラタンのようなものが、シュプシュプサラダグラタンだろう。テーブルの真ん中にある大きな皿に盛り付けられたほうれん草に白いソースのようなものをかけたのがマカロニラッコなのだろうか?
「間違ってるわよ雨戸くん。リハマカローニ・ラーティッコとシュプナニ・サラート・ス・ヤグーラタンよ」
「それそれ」
何度聞いてもわからん。
俺の横で楓も不思議そうな顔をしている。作った料理に対してではなく料理の名前に対してだろうが。
「それじゃあまず、温かいリハマカローニ・ラーティッコをどうぞ」
そう言って、手前に置いてある料理を勧めてきた。
「このグラタンぽいのがマカロニラッコなのか?」
てっきり、手前のグラタンのような料理がシュプシュプサラダグラタンかと思っていたがどうやら違うらしい。
「そうだけど」
知らないの?みたいな顔をしないで欲しい。
八割ぐらいは答えられないだろ、その名前は。
「雪瀬さん、これはどこの料理なの?」
聞いたことがない料理名すぎて楓も気になってきたらしい。
「フィンランドのお料理だけど?」
あまりに雪瀬が当たり前だけど?みたいな顔をするから俺たちが少数派なのかと錯覚してきた。
普通に生きてたらほとんど聞かない名前だよな?
「フィンランドのグラタンみたいなものだけれど、あまり知らないのかしら」
不思議そうにしている雪瀬を見ると、本当にこれが日本でもポピュラーな料理名だと思っているようだ。
「それじゃあ、こっちのサラダみたいな料理がシュプシュプサラダグラタンか?」
「シュプナニ・サラート・ス・ヤグーラタンね。 ロシアの料理でヨーグルトであえたサラダよ」
フィンランドの次はロシアなのか・・・。
多用的と言ったらいいのかなんなのか。
「冷めないうちに食べてね」
「そうだな、じゃあ早速」
俺のいただきますの合図で、楓も一緒に一口目を口に運んだ。
作った雪瀬は早く感想を聞きたいと言った感じでこちらを見つめいる。
「ん! うまい!!」
「本当だ、おいしい」
料理名を聞いたときは、ただただ不安だったがすごくおいしい。
もしかしたら、食べ慣れていない料理ということもあるかもしれないが家庭レベルではなく、お店で出てきてもおかしくない味だと思う。
「めっちゃうまい」
頭の悪そうな感想を早速雪瀬に伝えた。
すると、嬉しそうな笑顔を浮かべ微笑んだ。
「どんどん食べてね」
完全に油断しきっていた俺は、美少女から向けられた不意の笑顔で恋に落ちる一歩手前だった。
急に恥ずかしさがこみ上げてきて、雪瀬の方を向きにくくなってしまう。
赤くなっているであろう自分の顔を見せないためにも、下を向き夢中でなんとかラッコを食べる。
料理名は長すぎて脳が覚えるのを諦めていた。
「雪瀬さんはこんな珍しい料理をどこで覚えたの?」
「そんなに珍しいかしら? 家で母親の手伝いをしていたら自然と覚えたわ」
どうやら変わった価値観は雪瀬 椿だけのものではなく、雪瀬家が持っているものだったらしい。グローバルな両親で日本とは違った価値観なのかもしれない。
早めの夕飯を食べ終わり再びテーブルに座り、お茶を飲みながら雪瀬の料理について話す。
「雨戸くん。私の作った料理はどうだった?」
「すごくうまかった。名前は全然覚えられないけど、お店で出てきても納得のおいしさだった」
雪瀬はありがとと嬉しそうに呟く。
食べてる時も言っていたようなことを繰り返しているだけだが、俺の語彙力ではこれが限界。
「これで勝負も一歩リードかしら?」
お茶の入ったマグカップから艶かしく口を話すと、楓の方を向いた。
食事のときはいい雰囲気だったのに、雪瀬が楓を挑発し始めた。
「そうだね、ぼくも頑張らないと」
挑発には乗らず笑顔で楓は返答した。
雪瀬は予想しなかった反応に驚きと気まずさでそれ以上は何も言わなかった。
二人の会話が止まり、静かな空気に耐えられなくなった俺はなんとか会話のネタを捻り出す。
「楓は明日何を作るんだ?」
「日真は何食べたい?」
「今日はチーズとかの脂っこいものだったからなぁ。魚とかが食べたいかな」
「じゃあ魚料理を考えとく」
また、会話が止まってしまった。
いつもならくだらない話題がすらすらと出てくるのに、今日はなぜか出てこない。
雪瀬とはあまり雑談とかはしたことがないからどう話せばいいかわからないし。
こういうときに雑談をできるコミュ力を持った奴が羨ましい。
鍛えてなんとかなるものなのか?
無言の食後のお茶会は無駄な思考がよく働く。
「私はそろそろ帰ろうかな」
お茶を飲み終えた雪瀬は立ち上がると、帰る支度を始めた。
「明日は何時ごろに来ればいい?」
「6時過ぎには作り終わるようにするからそのぐらいで」
「わかったわ」
自分の使ったマグカップを律儀にも洗って水切りカゴに入れると、玄関の方へ歩いていく。
「雪瀬よかったら送っていくけど?」
まだそこまで遅い時間にはなっていないとはいえ、暗くなってきた中女の子を一人で返すわけにはいかない。という謎の使命感に駆り立てられた。
それはただの建前で、この台詞を行ってみたかっただけなのだが。
「本当!? それは嬉しい!」
雪瀬が今日一番の声をあげた。
二人で家の玄関を出ようとした時、一瞬家の中からあの地獄の雰囲気を感じたのはただの気のせいだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます