擬似新婚生活の始まり
「日真、そろそろ着くぞ。起きたらどうだ」
「うんにゃ」
俺は眠い目を擦りながらなんとか体を起こす。
車のわずかの揺れと暖かい気温のせいで俺の眠気は限界を迎えていた。
「もう着くのぉ?」
言葉の最後に大欠伸をかましながら、前の席で車を運転している父さんに聞いてみる。
「もう二、三分だな」
「はぁい」
体は起こしたが目はまだ開かない。横になればすぐにでもまた眠れるだろう。
実家から新たな引越し先まで約2時間半。こうやって移動してみると改めてド田舎に住んでいたのだと感じさせられる。
「ここの信号はどっちだ?」
「んーとね、ここを左に曲がって二つ目の信号を右に曲がると着くみたい」
夏休み最終日の撃沈から早半年。
中学を卒業した俺は高校生活を送る新たな家に引っ越しに来ていた。
あの日以来、楓とは少し気まずくなったりもしたが今は以前のように話せるくらいまでには関係も回復した。
なんだかんだあって、結局新生活は楓とのシェアハウスになった。
告白前の俺が想像していたものとは少し違うが、擬似新婚生活が始まるのである。
「ここだ、ここだ。 おっ! 井晴さん家は先についてたみたいだな」
実は俺と楓は新しい家とは初対面なのである。
両親がサプライズの方が面白いだろという謎の理由で物件探しにはついていかなかったのだ。住む本人たちが家を見ていないのに決めるというのもどうかとは思うが、絶対気にいるぞとずっと言っている。
「どれどれ、新居ごたいめーん」
開かなかった目をなんとかこじ開け車の後部座席から外を見てみる。
「でっっっっっかぁぁぁぁ!!!」
外に見える新居と思われる建物のあまりの大きさに、眠気などどこか彼方へ吹き飛んでしまった。
「ちょ!ちょ!ちょ! これが家!?」
「そうだぞ、すごいだろ!」
父さんはまるで自分の家を自慢するかのようなドヤ顔である。
自分の家じゃなくても本当にここに住めるなら十分すごいのだが。
リムジンでも止まるのかというサイズの駐車場に車を止めて降りると、先についていた井晴家が出迎えてくれた。
「どうも、お疲れ様です。雨戸さん」
「お疲れ様です」
今挨拶をしてきたのが楓の父さんだ。
うちの父さんとは性格から何まで違うのだが、とても気の合う友人らしい。
普段から農家の仕事などで交流のある両親同士は、いつも通り話初めてしまった。同じ農家というだけではなく、趣味のアウトドアなどでも気が合うらしく両親たちが話し始めると、つい長くなるのはいつものことだ。
完全に目が覚めた俺が車から降りると、楓がこちらに駆け寄ってきた。
「日真、どうしよう! 大きすぎるよこの家!!」
楓もあまりの家の大きさに困惑しているらしい。
手を顔の前で忙しなく動かし落ち着きがない。
そんな楓もやっぱり可愛いが、俺はもう騙されない。楓は男なのだ。こんなに可愛いのに男なのだ。俺は心に言い聞かせる。
「本当に俺たち二人で住むにはちょっとデカすぎるな。家族で住んでもデカすぎるけど」
俺と楓が暮らしていた「
新しく住む「
そんな見慣れない海を一望できる場所に新居は建っていた。
「これ、一般人が住む大きさじゃないよね」
「あぁ、大富豪の別荘かよ」
そびえ立つ大豪邸は、某テレビ番組で若い男女がシェアハウスをしていそうな大きさでおそらくほぼ新築なのだろう。外見が綺麗すぎる。
「父さんこの家どうしたの?」
農家をしている父は同年代のサラリーマンの平均年収よりかは稼いでいるとは思っていたが、ここまでの大豪邸を借りれるはどの金持ちではないと思うのだが。
「実はな、井晴さんの知り合いから借りてるんだ」
「僕の知り合いにIT系の事業家がいてね、この街に別荘を建てたのだけれど、事業の海外進出が決まって日本にあまりいられなくなってしまったんだ。そこで、格安でこの家を借りることができたんだよ」
「本当に別荘なのか!」
そんな都合のいいこともあるもんだな。
しかし、車の中での父さんのドヤ顔はなんだったのか、うちの父さんは別に何もしていないじゃないか。
「ほれ、日真。鍵もあるから二人で見てきたらどうだ」
そう言って家の鍵を投げて寄こした。
「おっと」
落としそうになりながらも辛うじてキャッチした。
「ん? 何これ、鍵なの?」
鍵と言われ渡されたそれは、板ガムのような形をした黒い物体だった。俺のイメージする鍵とはかけ離れている。
「まぁ入ればわかるさ」
そう言われ、よくわからないまま楓と俺は家の玄関まで来た。
「ここが玄関だよな?」
「そうだと思うけど、どうやって開けるんだろうね」
楓と二人、玄関のドアだと思われるものの前で首を傾げていた。
何度もドアと謎の鍵を交互に見るが使い方が全くわからない。
そもそもドアらしきものに鍵穴がないどころか取っ手すらついていないのだ。
「楓、なんかわかるか?」
「何にもわからないけど脱出ゲームみたいで楽しいね」
なぜ家に入るだけで脱出ゲームをしなければならないのだ。
俺たちの後ろでは両親たちがニヤニヤしながらこちらを見ている。
「取っ手のないドアをどうやって開けろって言うんだよ」
二人でしばらく悩んでいると、後ろから俺のかたを嬉しそうに突いてきた。
「おやおや二人とも、家にも入れないのかい? これからの生活が心配だなぁ」
「くっそ、俺たちを困らせて楽しんでるだろ」
うちの父さんはよく俺をこんなふうにからかってくる。
何よりも幸せそうに笑うのは俺をからかっている時と決まっている。
「ふふふ、そんなことはないさ。これが最新の家なのだよ」
俺からすっと鍵をとるとドアの前に軽くかざした。
ピッ
すると、電子音と共にドアがゆっくりと外側に開いた。
「すごい!」
「さすが、IT系社長の別荘!!」
誰も力を加えていないのに勝手にドアが開いていく。
驚いている俺たちの横で父さんは腕を組みなぜか誇らしげに語ってくる。
「どうだ、すごいだろ。これがこれからの時代の家なのだ。お前たちのスマホでも開けられるようになってるからな」
鼻を高くしてよくわからない技術を俺たちに聞かせてくるが、おそらく父さんもよくわかっていないはずだ。前に来た時にでも聞いたのだろう。
「まさか、父さん。これをやりたいためだけに俺たちを見学に連れて行かなかったのか?」
「そんなことはないぞ」
そう言って、上着のポケットに手を突っ込み目線を逸らした。
これは図星だな。
「でもね、初めて見にきたときは父さんが一番はしゃいでたのよ」
「ちょっと、母さんそれは言わない約束!」
隠したい秘密をバラされて慌て始めた。
いい歳した大人がなにをやってるんだか。
俺たちよりもはしゃいでいるぞ。
「まぁ二人とも、始めて来たわけだしゆっくり中も見てきたらどうだ? こんな家に住めるなんてうらやましい限りだ」
俺と楓は言われるままに大豪邸の中を一通り探検した。
まず、玄関を入ると目の前には大きな滝があった。
何を言っているんだと言われるかもしれないが滝があったのだ。
二階から一階玄関前の池?みたいになっているところに水が落ちてきている。
家に滝を作る必要性など皆無だと思うのだが、有り余るほど金を持つと作りたくなってしまうものなのだろうか。
滝を囲むように二階へと続く階段があるがひとまず一階を見てみることにする。
「日真、このキッチンどうなってるの? 家にある大きさじゃないよ!」
玄関からすぐ左にはキッチンがあった。キッチンにしては異様に大きな部屋で、食事をするために置かれている六人がけのテーブルがやけに小さく見える。
「いかにもパーティをする場所って感じだな」
「こんなに大きな冷蔵庫何に使うんだろう」
楓が巨大な冷蔵庫を見上げている。
備え付けられている冷蔵庫は日本ではあまり見ないアメリカンサイズだ。
「日真こっちきて! 地下もあるよ!」
次々と新しいものを見つけ走り回る楓は、正直可愛い。
キッチンの食料備蓄庫のような場所には地下へと続く階段があった。
俺は楓に続きその階段を降りて地下へと向かった。
「少しひんやりしてるね」
「地下だしな」
「何する場所なんだろう?」
地下に降りた先には見慣れないガラス張りのショーケースのようなものが壁に埋まっていた。コンビニの飲み物売り場にある棚に似ている。
なんのためにあるのかよくわからなかったが、後から降りてきた楓の父さんが説明してくれた。
「ここはワイン保管庫だね。この家をたてた友人がワインが好きでね勢いで作ったらしいんだけど、少しだけいた時も使わなかったみたいだね」
「ここは俺たちも使わないな」
「そうだね」
一階の反対側の部屋へ移動すると、巨大なリビングだった。
見たこともない大きさのテレビが壁に埋め込まれ、なぜこんなに大きくする必要があるのかわからないソファが置いてある。絶対にこんな広さはいらないと思うのだが、豪邸のイメージそのままでワクワクする。
でかいなと一言感想を漏らして二階の探索へ移る。
二階はいくつかの寝室とお風呂場があった。
寝室はお察しの通り巨大なベットが置いてあるのだが、問題はお風呂場だ。
自宅の風呂がこんなにも開放感に溢れているなんて、金持ちの考えることは俺には理解が追いつかないな。
「オーシャンビューだね」
「オーシャンビューだな」
それ以外の言葉が出ないぐらいのオーシャンビュー力。
二人で露天風呂があるテラスから海を眺めている。
オーシャンビュー力が何かは、ひとまず置いておくとして綺麗な海が一望できる露天風呂がついた家など聞いたことがない。
ガラス張りになっていて脱衣所から浴槽内が丸見えだ。体を洗う場所の先にひのきの露天風呂がある。しかもお湯は直接温泉を引いてきているらしい。
「うらやましいわぁ毎日温泉なんて」
「私たちも住んじゃう?」
「いいわねぇ」
母親たちの移住計画が聞こえてきたので後ろを振り返ると、移住計画に父親二人は少し焦っている様子。
俺の父さんの場合、基本的に家事ができないので生活ができないと焦っているのだろう。コンビニや大きなスーパーがない花言町では自炊をしないと生きていけないのである。
仕事はできるが家事があまりできない男というのはどうなのだろうか。
というか二人で暮らすなら家事は分担なのか?
俺料理とかできる気がしない。
「楓って家事できるの?」
「ある程度はできるよ」
「俺料理とか絶対にできる気がしないぞ。レシピ通りに作ってもなぜかうまくならないんだよなあれ」
昔、母さんの手伝いで味噌汁を作ったときにすごく不味かったことがある。父さんに内緒で出したら、なんか今日の味噌汁いつもと違うなと言われ美味しくなさそうな顔をされて、料理をする心はもう折れているのだ。後で父さんに教えたらめちゃくちゃ慌ててフォローしまくってきたが。
「じゃあ、ぼくが料理をするから日真は洗濯とか?」
「よし、洗濯ぐらい完璧にこなして見せる」
俺は洗濯をマスターすると露天風呂から海に向かって宣言した。
それを見て楓は変なのと笑っている。
その笑顔に思わずドキッとしてしまう。
なんかこれ、新婚生活みたいで楽しいな。
いやいや、楓は男なんだ落ち着け俺。
夏休みの例の件以来、楓にときめいてしまった時はいつも自分に言い聞かせている。
別に男同士の恋愛がいけないと言いたいわけではないのだ。
でも、俺が恋愛対象として好きなのは女性であって、好きになった女性が実は男だっただけなのだ。複雑だがそういうことなのだ。
今もたまに楓にときめいてしまう自分もいるが、俺が好きなのは女としての楓のはずだ。
「こんなに大きい家だとは思わなかったよ、二人で住むにはちょっと落ち着かないね」
「たまたま安く借りれたとしてもこれはやりすぎだよな」
「でも、いつでも両親が遊びきて泊まれるし、いいのかも」
「だな」
二人で眺める海が運んでくる潮の香りは新鮮で、新しい生活が始まるのだと改めて感じさせられる。
「二人とも、母さんたちが夕飯を作ってくれるらしいからそれまでに車から荷物下ろすの手伝ってくれ」
テラスのしたにある駐車場から声をかけられ引越し作業に取り掛かる。
家具などはほとんど備え付けのものを貸してもらえることになっているので、自分たちの服などを少し下ろすだけで引越しはすぐに終わってしまった。
大きなキッチンを使えるからか母親二人は張り切っていて、まだまだ夕食はできそうにない。なので、楓と二人で少しの間散歩することにした。と言っても、土地勘は全くないので目の前の砂浜を少し歩くぐらいだが。
「冷たくて気持ちいいよ! 日真もこっちきなよ」
楓は靴を脱ぎ裸足で海に入り遊んでいる。すごく楽しそうだ。
散歩だけのつもりだったが、目の前に海があるとなれば少し入ってみたくなるなってしまうものだ。
今日は三月の終わりにしてはいつもより気温が高く、海はちょうどいい温度差らしい。
すぐに俺も靴を脱ぎ参戦する。
「うお! つめてっ!」
冷たくて気持ちいいよりかは、冷たくて痛いぐらいの感じだ。
でも、楽しいからいいか。
「それ!」
「うわ! やめろ! 仕返しだ!」
「つめたい!!」
海にきたらこれをやらずに何をすると言わんばかりの水の掛け合いが始まった。掛け合って楽しむには少し水の温度が冷たすぎる感じもするがそこは気にしない。
「これでもくらえぇぇうぉぉっとおおっとと! おわぁ!!」
あまりに全力ではしゃいだせいで海に頭から突っ込んでしまった。
高校生にもなって海ではしゃいでひっくり返るなんてかっこ悪すぎるが、楓が笑ってくれているのでよしとしよう。
「日真ったら何やってんの」
仰向けで空を眺める俺を覗き込むように見て笑っている。
楓は昔から右手を口の前で握り、口を隠すようにして笑うのが癖だ。
あまり大声を出して笑わない楓が最大級に笑うときの癖でもある。
「風邪ひいちまう。早速、露天風呂に入らなきゃな」
「もしかして、そのためにわざと?」
そう言って左手で髪を押さえ、右手を転んだ俺に向けて伸ばしてくれた。
「そんなわけあるか!」
差し伸べられた右手をつかみながら立ち上がった。
濡れた体にあたる風邪は予想以上に冷たかった。
「はっくしゅ!!」
変な声のくしゃみが出てしまった。
「これはもう風邪をひいちまったかもな」
「バカは風邪ひかないっていうけどね」
「おい楓、どうゆうことだそれは?」
「ふふふ」
また、右手を握り口を隠して笑っている。
ビショビショのまま二人で来た道を歩いて帰った。
家に着くと父さんにバカにされたが、無視して風呂に向かう。
決して仲が悪いわけではない。仲がいいからこその無視だ。
夕飯はもう出来ていたが流石に寒すぎるので先にお風呂に入った。
ひのきの香りを楽しみながら海を眺める。温泉のお湯で足も思いっきり伸ばして浸かることができる。
自宅でこんな風呂に入れてしまうとは金持ちの家は恐ろしいな。
風呂から上がるととんでもない量の夕飯が待っていた。
広くて使いやすいキッチンにテンションが上がり作りすぎてしまったらい。
テーブルいっぱいに並んでいる料理の他にも、明日からも食べれるように作り置きをしてくれたらしい。
これでひとまず一、二週間は生きていけるな。
雨戸家と井晴家の賑やかな夕飯が終わると両親たちはもう帰るらしい。
ゆっくりしていけばいいのにと思ったが、農家の仕事も忙しいみたいだ。
両親を見送ると、賑やかな雰囲気はなくなり少し寂しさがやってきた。
「どうする楓、なんか落ち着かないな」
俺は新居で何をしていいかわからず、ひたすら歩き回っていた。
「そうだね、何しよっか」
そう言いながら煎れたお茶をすすりながらくつろいでいる。
そういえば昔から適応能力が高いやつだったなと思い出す。
「なんか映画でも見ようか」
現在の時刻は夜の9時過ぎ。寝るには少し早いが特にやることもなく、暇だったのでリビングにあったテレビで映画を見ることにした。
うちのテレビはまだ4Kに対応していないのに、この家テレビはなんと8K。4Kですらなんのことか知らないのに8Kって。
俺、時代の流れに置いていかれてる?
「日真、いっぱい見れるけど何見る?」
動画サービスにも加入しているらしく映画まで見放題。
楓は楽しそうに見たい映画を漁っている。
「このサメ出てくるやつはどう?」
「いいね! 見よう」
無駄に大きなソファに二人で並んで座り、巨大8Kテレビで映画鑑賞。
夢にまで見た楓との擬似新婚生活が、俺の予想とは少し違った形で始まった。
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