第七話「繰り返しの果てに」

「エクレール……。恥をかかせてしまってすまない。でも、聖女コレットを妃とするためには、ここで婚約破棄するしかないのだ……」


 日の入り間際の光が差し込む大聖堂の中。

 パトリック王子の言葉はいつもと異なりました。


「え……ええ。わかっておりますわ。……パトリック殿下の寵愛ちょうあいがコレット様に向けられていることは察しておりました。わたくしなど、コレット様の足元にも及びませんので……」


 いつもの王子の文言と違うので調子がくるってしまいますが、ひとまず言葉を合わせるしかありません。

 ……そう言えば、わたくしを罰するような言葉もなかった気がします。

 結果的に婚約破棄をしてくれたのはいいのですが、どういう風の吹き回しでしょうか?


 まあ、王子のことなどどうでもよいのです。

 ――肝心なのはここから。


 矢を撃つ賊はディロックが対処してくれているはずですし、マルセルちゃんを救い出せていますので、コレットは敵の言いなりになって自殺することは絶対にありません。


 そして重要なのはシャンデリアや神像の下敷きになる事故。

 これに関しては以前の繰り返しの際、ディロックが大聖堂の柱の影に仕掛けがあることを見つけてくれました。

 あの仕掛けを動かす者がいれば、黒幕に大きく近づけるはずなのです。

 仕掛け自体は昨日の夜のうちにディロックに壊してもらっていますので、事故が起こる心配はありません。

 わたくしは安心しながら、柱の周囲に注意します。


 柱の周囲と言えば、近くには神官や騎士、そして貴族がおります。

 ……誰が黒幕の一味なのでしょう。



「……教皇様、お騒がせしてしまった。では、改めて詠唱の続きをお願いしたい」


「う……うむ。殿下がおっしゃるならば……」


 王子の婚約破棄宣言で中断してしまっていた儀式ですが、王子の一言で再び再開します。

 教皇ドミニエル様は、王子にうながされるままに再び聖典を唱えはじめました。

 祭壇の上に描かれた魔法陣に光が灯り、新たな王太子妃を迎える準備が整います。


「さあ、聖女コレットよ。進んで欲しい。僕の想いと神の祝福はそなたのものだ」


「そ……そんな、畏れ多いです……」


「構わない。僕は君を必ず守って見せる」


 王子は優しく促します。


 あら、あらあらあら。

 なんですの。パトリック王子、なんだか優しいじゃありませんか。


 コレットは緊張の面持ちのままですが、わたくしが視線を送ると、小さくうなづいて一歩を踏み出しました。

 一歩、また一歩。

 さすがにもう危機は訪れないはずですが、わたくしは柱の影に視線を送ります。


 ……その時、唐突に男性の咳払いが聞こえました。

 参列者のざわめきの中なので聞こえづらくありましたが、何か嫌な視線が気になります。

 音の方を振り向くと、ドミニエル様が険しい顔で柱の方に視線を送っておりました。


 コレットと言えば、あと二歩ほど進めば魔法陣の中に入れる距離。

 そして一歩を踏み出したとき、ドミニエル様はいっそう険しい顔でコレットをにらみ、咳ばらいをしました。



「――…………っ」


 これはもう、確定的に明らかです。

 黒幕はドミニエル様でした。

 いつもは穏やかな顔が怒りに燃えています。


 彼はコレットが在籍する教会の長。コレットを守るべき立場なのではありませんか?

 コレットもドミニエル様の形相に気が付き、完全に委縮いしゅくしています。



「あら、ドミニエル様。そんなに険しいお顔をなさって、くしゃみを我慢してらっしゃいますの?」


 ちょっと冗談めかして言ってみたところ、ドミニエル様は顔がしわくちゃに歪んでしまいました。


「い、い、怒りに震えておるのだ! なにが婚約破棄か。なにが僕の想いと神の祝福はそなたのもの……だ。嘆かわしい! 儀式を台無しにするとはあり得ない所業! 王よ。聖女もろとも、こ奴らを追い出させていただきたい!」


「あら、おかしいですわ。パトリック殿下に頼まれた時にはお怒りになるどころか詠唱を続けられましたのに。お怒りになるタイミングがズレすぎです」


「ええい。先ほどはあまりの驚きで怒るどころではなかったのだ。と、と……とにかく、そなたは婚約を破棄された人間。王族とは無関係になったのですから、さっさと出ていっていただきたい!」



 あらあら、あんなに慌てふためいて。

 無様ですわ。

 あれだけ騒いでいるのにコレットに危険が及んでいないところを見ると、どうやら暗殺手段もネタ切れのようです。


「……はいはい。出ていかせていただきますわ」


 わたくしは彼に背を向け、呆然と立ち尽くす貴族の皆々様の間を颯爽さっそうと歩きます。



 そして大聖堂の扉に手をかけ、外を見て大げさに声を出してみました。


「あぁら、こんなところに来てはいけませんよ。叱られてしまいます」


「……む? な、何者だ?」


 祭壇の方を見ると、ドミニエル様はいぶかしげにおっしゃっています。


「お尋ねになったのであればご紹介せねばなりませんね。……聖女コレットの妹君であるマルセル様です」


 そしてわたくしは大きな扉をすべて開け放ちました。

 入り口ではディロックがマルセルちゃんを連れて、うやうやしくお辞儀します。

 全ては手はず通り。

 賊を気絶させた後、ディロックにはマルセルちゃんを連れてきてもらったのです。

 マルセルちゃんの姿をみた時、ドミニエル様の表情が明らかにこわばりました。


「あらあら。お邪魔が増えただけですから、先ほどのようにお怒りになられればよろしいのに。どうしてそんなに固まっていらっしゃるのでしょうか?」



 ……すると、ドミニエル様のお顔がみるみると真っ赤に染まっていきました。

 祭壇の下にいた彼はズンズンと階段を登り、コレットの元へ……。

 彼の手には、いつの間にか刃物が握られていました。


 ――しまった。もう諦めたのだと思い込んで油断していました。

 まさか、こんなおおっぴらに本人が動くだなんて!

 教皇の立場を守りたいからこそ、他者を使って手を下しているのだと思い込んでいました。



 とっさに駆け出しますが、祭壇から離れすぎて間に合わない……。

 さすがのディロックでさえも、この距離だけはどうにもなりません。


「コレットーーッ!」


 ……ここまできて時を戻さなければならないなんて!



 悔しさに歯を噛みしめた瞬間……動いたのはパトリック王子でした。

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