第六話「囚われの少女」
いったん屋敷に戻って準備を整えたあと、わたくしとディロックは誰にも気づかれないように王城跡へと向かいました。
もちろんドレスを脱ぎ捨てて、動きやすく目立ちにくい衣服を身にまといます。
正体を隠すために目元には仮面をつけてみました。
うっそうと森の生い茂る王城跡は高い城壁に囲まれておりますが、ここは幼い日に遊びまわっていた場所。
見張りの兵士に見つからない場所を選びながら、ディロックを隠し通路の入り口まで案内します。
「ここまでは問題なく来れましたわね。通路を抜けると宮殿の地下を抜けて地上に出れますの。……この秘密の通路の入り口を見ると、幼き日のパトリック王子を思い出しますわ」
あの頃、彼はよく泣いていましたね。
……王宮の大人たちは嘘ばかりをつく、と。
……だからエクレール、友達として嘘はつかないでほしい、と。
約束した見返りに、この秘密の通路を教えてもらったのでした。
大きくなってからわかりましたが、大人の世界とはしがらみも多く、他者を
わたくし自身も自分の野望のためとはいえ、悪女の仮面を身に着けて彼を
王子の繊細さを利用したわけで、彼には申し訳ないことをいたしました……。
パトリック王子のことを考えていましたら、ディロックが口を開きました。
「お嬢様は殿下を悪くおっしゃいますが、俺は嫌いではありませんよ」
「あら、ディロック。どういうことかしら?」
「平民である聖女様を見初めた。……その点だけでも、身分の差に壁を作らないと分かります」
彼はよく真理をついてくれます。
王子のふがいなさばかりが目に付いて、根本的なことを忘れておりました。
コレットを王太子妃にしようと計画した時には考えもしませんでしたが、結果的に彼の思想が透けて見えることになったわけです。
「確かにそう……。だけれど、皮肉なことですわ……。王子を騙さなければ、彼の思想を知ることなんてなかった。でも彼を傷つけてきた今、もう共に手を取り合えないのですから……」
「心配ありませんよ。パトリック殿下とお嬢様は似たところがありますので、腹を割って話せば関係も修復できるはずです」
「似てる……? あの王子とわたくしが?」
よくわからないままディロックを見つめると、彼はポンポンと優しく頭をなでてくれました。
「お嬢様も俺と対等に接してくれる。身分の差を気にしないところが似ています」
「ディロック……」
彼の優しい微笑みがあまりに眩しくて、それ以上の言葉が出てきません。
これから潜入だというのに、緊張感がなくなってしまったではありませんか!
彼の顔を直視できなくなり、わたくしは隠し通路の奥へと駆け出すしかありませんでした。
◇ ◇ ◇
マルセルちゃんが捕まっている場所は塔の中でした。
見張りの兵士に気付かれることなく調べ上げてくれて、ディロックは本当に優秀です。
さらに塔の垂直の壁を素手だけで登って見せるものですから、本当に惚れ惚れしてしまいました。
「……こ、怖かったですわ」
塔の最上階の窓から見下ろすと、先ほどまでいた地面が遥かに遠く、めまいがするほどです。
ディロックが「こんなこともあろうかと」と
塔の中を見回すと、なんだか懐かしさがこみ上げます。
そう言えば幼い日、ここにも忍び込んだことがございます。その時は見張りの兵などいなかったので、外壁を登るなんて体験はしませんでしたが……。
ふと見ると、扉の前で珍しくディロックがてこずっているようでした。
「どうなさったの?」
「鍵ぐらいなら開けられますが、
よく見ると、鉄製の棒が扉を封じている上に、端が折り曲げられているので取り外すことができません。
その扉の様子を見て、怒りがこみ上げてきました。
「ま……まるでマルセルちゃんを二度と出さないとでも言わんばかりではありませんか!」
「……でしょうね。元々、解放するつもりがないのでしょう」
コレットを追い詰めるためとはいえ、これではマルセルちゃんがあまりにも可哀想。
でも、わたくしには一つだけ光明が見えていました。
「問題ありませんわ。この部屋にも抜け道がありますの」
「抜け道? そんな都合のいいものが?」
「戦乱の中で建てられた王城には付き物ですのよ。いざというときに逃げられるように、出口は一つと限らないのです」
そう言いながら、通路の突き当りにしゃがみ込み、石壁に小さく開いた隙間に指を滑り込ませました。
力をこめると、石の一つがゆっくりと引き出されていきます。
「この奥に、確か仕掛けが……。あ、ありました!」
取っ手のようなものを引っ張ると、ガチャリと金属の動く音が響きます。
そして、周囲の石壁が扉のように開いていきました。
◇ ◇ ◇
「……誰なの?」
奥の空間から聞こえる少女の声。
ほんの小さな窓しかない薄暗い部屋の中で、コレットによく似た女の子がうずくまっておりました。
「マルセルちゃん! わたくしがわかりますか? 助けに参りましたわよ!」
「エクレール……様……」
マルセルちゃんは目元が腫れていて、泣いていたことが分かります。
「怖かったでしょう。もう大丈夫ですからね……」
マルセルちゃんをつれて通路に出ようとした時、ディロックの表情が険しくなりました。
「お嬢様、来ちゃダメだ!」
彼の視線は階段の方に向けられているようです。
恐る恐る視線を送ると、そこには見張りの兵がおりました。
「驚いたぞ。まさか外から入ってくるとはな……。おおーい、上に上がってきてくれ! 侵入者だ!」
兵は階段下に向かって大声で応援を呼びます。
それどころか、兵は窓辺に近づくと縄梯子をつかみ、外に放り投げてしまいました。
……これでは逃走経路が封じられたも同然ではありませんか!
ディロックが腰に携えた短刀で即座に兵を切り伏せてくれましたが、その表情は険しいままです。
「お嬢様、申し訳ない。……俺が手間取ってしまったばっかりに……」
「そんな。仕方ないことですわ! 扉が開けられなかったわけですもの……」
しかし彼の表情は重いまま。
「……近づいてくる足音が聞こえますか? 数十は聞こえます。……俺一人では、さすがにお嬢様とマルセルさんを守り切れない!」
……確かに、彼一人であれば外壁を伝って逃げることもできるでしょう。
体の小さなマルセルちゃん一人であれば、背負って脱出することもできるかもしれない。
わたくしこそ、足手まといと言えました。
「……わかりました。わたくしが……なんとかしてみせます!」
「何を馬鹿なことをっ!」
「慌てないで、ディロック。わたくしが公爵家の人間だと明かし、交渉するだけですわ。……少し時間稼ぎをするだけですので、窓からお逃げになって!」
わたくしはそう言い残し、彼の手を振り切って走り出しました。
◇ ◇ ◇
……ごめんなさい。
交渉するなんて嘘です。
敵が何者なのかわからないのに、公爵家の人間だと明かしても交渉できる保証はありません。
それに、ここまでコレット殺害に執念を燃やす者なら、下手に正体をあかせば、我がルヴニール家に矛先を向けるに決まっております。
ここはわたくし自身の手で兵を鎮圧するしかありませんでした。
塔の螺旋階段を下っていくと、わらわらと虫のようにうごめく兵の群れが見えます。
わたくしは覚悟を決め、左手の手袋を取りぎ去りました。
――そこにはくっきりと浮かび上がった魔法陣。
魔法が使えるほど魔力は満ちていませんが、兵たちに向けて振りかざしました。
「これをご覧なさい!」
そう告げた次の瞬間、兵の大部分がその場に崩れ落ちました。
皆、一様に呼吸を乱し、階段にうずくまっています。
魔法陣を見てしまったことでの呪いで、彼らは立ち上がれないぐらいに年老いてしまったのです。
わたくし自身も全身を切り裂くような激痛に襲われましたが、まだ倒れるわけにはいかない。
螺旋階段の下方では後続の兵士たちが目の前の異常事態に慌てふためいておりますので、倒れた兵士をかき分けるように進み、呪いの追撃を食らわせます。
……そして振り返った時、息も絶え絶えのお爺さんたちが階段にうずくまっておりました。
◇ ◇ ◇
「お嬢様……これはっ?」
その声に振り返ると、塔の入り口からはディロックが見上げておりました。
その傍らにはマルセルちゃんも立っていて、わたくしはほっと胸をなでおろします。
「……うふふ。よくわからないのですが、見張りの人たちはお爺ちゃんばかりでした。階段を登ってきただけで疲れたようなので、わたくしは無事ですのよ……」
本当のことを言うわけにもいきませんので、わたくしの仕業だと告白できません。
ですが、見張りの兵士さんたちから時間を奪ってしまったのは間違いなくわたくし。
罪を抱えたわたくしは、本当に悪役令嬢となってしまったのかもしれません……。
ですが、神の罰とやらには詳しくないわたくし。もしかすると呪いを解く方法があるかもしれません。
……あの神のことですから、意図的に隠しているような気もするのです。
「……うっ」
その時、再び激しい痛みが全身を襲いました。
……神罰を多用しすぎたようです。
もう立っていられないほどの痛みに目の前がかすみ、気が付くと地面に倒れ込んでいました。
「お嬢様! やはりお怪我をっ?」
「な……なんでもないのです。この痛みはしばらくすれば消えるはず。……それより、ディロックはマルセルちゃんを連れて、急いでコレットの元に行ってくださいませ……」
朦朧とするなかで、なんとか声を絞り出します。
……すると、ふいに自分の体が地面から離れました。
ディロックが背負ってくれたのです。
「お嬢様も行くのです。お嬢様が儀式に出ていただかなければ、これまでの計画も水の泡になってしまいます!」
「……そう、ですね。……ありがとう、ディロック」
彼の広い背中に触れながら、王城跡を脱出します。
あとは儀式の中でコレットを守るだけ。
必ず彼女を王太子妃にしてみせるのです――。
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