第三話「神とは、なんて理不尽なのでしょう」

 神は言いました。

 ――『奇跡の秘密をもらした者には罰を』……と。


 それが例え神の定めた決まりであっても、後出しで言い出すのはあり得ません。

 わたくしは天を仰ぎ、にらみつけました。


「罰だなんて……。秘密をもらしてはならないなんて、教えていただけなかったじゃありませんか! ……それに、なぜコレットがこんなことにっ?」


 声の限りに叫びますが、何の答えも返ってきません。


 あぁ、神の行いとはなんと理不尽なのでしょう。

 力を与えるのであれば、説明のための書類も一式、与えるべきではありませんか?

 魔法の秘密をもらせば罰が下る。

 ――こんな大切なこと、儀式の準備でも聞かせてもらえませんでした。

 ひょっとすると、それを教えることも秘密をもらしたと判断されるのでしょうか。


「……そうだ、時戻しの魔法。こんなことになる前まで時を戻せば、何も問題ありません!」


 わたくしは強く念じます。

 初めて魔法を授かった時のように、強く、強く念じます。


 ……しかし、いつまでたっても魔法は使えません。

 おかしいと感じて自分の手を見ると、刻まれていた魔法陣が消えていました。

 いえ、うっすらとアザのような痕跡だけが残っています。


 その時になってようやく思い出しました。

『魔法陣に魔力が満ちし時、願えば望みは叶えられよう』――その神の言葉を。


 魔法陣が薄まっているということは、今は魔力が空っぽになっているのかもしれません。

 では、魔力とやらはいつ溜まるのでしょうか。

 すぐにでも?

 ひと眠りすれば?

 ひょっとして一年以上もかかるのでしょうか?

 なにも分からないまま、不安だけが襲い掛かってきます。



「お嬢様!」


 わたくしの名を呼ぶ男性の声。

 心臓が止まりそうになるほどに驚いて視線を送ると、いつの間にか身だしなみを整えた若い男性が寄り添ってくれていました。

 彼は我がルヴニール公爵家に仕える執事、ディロック。

 そう、わたくしが密かに想いを寄せている男性です。


 ディロックはこの場の異常にひどく驚いた顔をしつつも、即座にわたくしを抱きかかえました。


「お嬢様。とにかくこの場を離れましょう」

「でも、コレットが……!」


「何が起きたのかは、あとで聞かせてください。俺の務めはお嬢様を守ること。誰かに知られる前に、とにかく逃げるんです」


 彼はそう言って、教会の外に付けてある馬車へと走り出します。

 遠ざかっていく懺悔室からは、老いたコレットがいつまでもわたくしを見つめておりました……。



  ◇ ◇ ◇



 屋敷の自室にこもったまま、窓の外を見つめます。

 神罰の痛みはあの後しばらくしてから収まりましたが、後悔は決して癒えることがありません。

 眠れないままに一日が経過した頃、ディロックが教えてくれました。


 コレットは謎の失踪ということにされ、パトリック王子は夜通しで街中を探し回っていたようです。

 そして、老いたコレットは身元不明の女性として教会に保護されているとか……。


 当然のように結婚の儀は取りやめになりましたが、コレットが呪いにかかった今、そんなことはどうでもいいのです。

 彼女の幸せを望んだわたくしが、彼女を苦しめてしまうだなんて……。



 目をつむれば、コレットとの出会いが思い出されます。

 それは幼い日、貧民街に迷い込んだ時のことです。

 今日食べる物もない貧しい街の片隅で、同い年の少女は必死に誰かの病を治し続けておりました。

 魔術は気軽なものではありません。

 使用者の精神を摩耗させ、下手をすれば廃人にすらなりかねない負担の大きな御業なのです。


 しかし彼女は誰かを救いたいという慈愛にあふれ、懸命な姿はとても眩しいものでした。

 何もできないわたくしがドレスで着飾っていることに、恥ずかしさを覚えるほどに……。

 だからこそ、わたくしは決意したのです。

 ――素晴らしい人がまっとうに認められる世の中にしたい、と。

 わたくしは彼女が幸せになるために、陰ながら応援し続けてまいりました。

 貴族が表立って行動すれば彼女は周りからやっかまれてしまいますので、気づかれないようにするのも一苦労でしたね……。



「お嬢様。お茶ぐらいはお飲みになってください……」


 ディロックが心配そうな顔でカップに紅茶を注ぎ込んでくれます。

 彼は我がルヴニール家の執事として数年前から仕えています。屋敷でのことのみならず、外出時の護衛もこなせるほどに強く、頼りになるのです。

 そして信じられないほどに顔が整っていて美しい……。

 わたくしが惚れてしまうのも、無理はありません。


 彼の優しさに感謝しながらカップを手に取ろうとした時、彼の視線がわたくしの左手に注がれました。


「左手の内側……。何か文様のようなものが……」


 彼の指摘で手のひらを見ると、魔法陣が浮かび上がっておりました。

 ――戻った。

 最初は薄くておぼろげだった魔法陣が、今は細かな部分まではっきりと描かれております。

 そして白く輝き始めておりました。


 待ちわび続け、永遠に戻らないとさえ思えた魔力が戻りました。

 時計を見れば、今は結婚の儀が行われるはずだった時刻。

 魔力がたまるのに必要な時間は一日なのだと分かりました。

 これでいつでも魔法が使えるはず。



 わたくしが魔法陣の復活を喜んでいた時、部屋の中にカップが割れる音が響き渡りました。

 ディロックが苦しみながら床に伏せっています。

 ……そのつややかだった黒髪が、真っ白になり果てて。

 同時に、わたくしをひどい頭痛が襲い掛かります。


「な……なんてこと。魔法陣を見られただけでも許されないということですの?」


 本当に理不尽すぎます。

 神はそこまで罰を与えたいのでしょうか。


 でも、魔力がよみがえった今ならやり直しはいつでもできます。


「ごめんなさい、コレット。そしてディロック。……もう間違いは致しません」


 強く目をつむり、願います。

 ――そして周囲は光に満ち、魔法は再びわたくしを過去に戻しました。



  ◇ ◇ ◇



 目を開けると、暗がりに包まれた小さなお部屋。

 間違いなく懺悔室の中です。

 そして柔らかな少女の声が聞こえました。


「エクレール? エクレール、どうしたの?」


 若々しいコレットの声……なんて愛おしいのでしょう。



 大きな過ちを通して分かったことは二つ。

 わたくしの場合、空っぽになった魔力が満ちるのに必要な時間は一日。

 そして、時戻しの魔法はきっかり一日分を戻すようです。

 右手に刻まれた魔法陣がよみがえった瞬間に魔法を使ったところ、前回の時戻しとほとんど同じ時点に戻ることができましたから。

 あとほんの少し遅れていたらコレットを魔法の呪いで老いさせてしまった後になるわけで、本当に危ないところでした。


「コレット。……いえ、なんでもなくってよ。さ、打ち合わせの続きをいたしましょうか」



 今度こそ、必ずあなたを守ります。

 時を何度繰り返すことになってでも――。

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