第9話 アビーは負けない
廊下を疾走するリリィたち。事情を知らない彼女は、兵士の手を振りほどこうと抵抗する。
「ちょっと離してっ! 今の人、もしかしてフランキー!?」
「……フランキーには気づくんだな」
「ヘッ?」
兵士が仮面を脱ぎ捨て、振り返る。そこには一度見たら忘れない美貌があった。
「アビーッ!?」
「遅ぇよ、そして何だその小綺麗なドレスはっ! オレの方が似合うわっ!」
相変わらずの口汚い台詞だが、今のリリィには心地よく感じた。
「何で二人がいるの? 三日前、地下の落盤で……!?」
「ああ、あれウソ」
「ウソッ!?」
「オメーが寝こけてる間に、オレたち三人は作戦を練ってたんだ。首輪を外せるのは組織だけ。だったら、オメーを組織の元へ送ればいいんじゃねぇかって。一旦だぞ。一旦!」
アビーたちの作戦はこうだ。
ゴーツたちを呼びつけ、ゲンスミスが技師団へ戻りたいとウソの交渉をする。その見返りにリリィをエリオット、眠ったフリをするアビーたちをガーディアンにそれぞれ引き渡すという条件で。組織に潜入したゲンスミスが、施設の内情を探る。そして首輪の発信器の信号を解析。周波数を調整し、こちら側も感知できるようにした上で居場所を特定。そしてアビーたちが潜入し、リリィを救出するという手筈だった。
しかし訝しんだゴーツが想定外の行動を起こしたため、ゲンスミスを残したまま地下の崩落を敢行させたのだ。
「実際崩落したのはアジト内の天井数カ所と、エリオットたちが進入してきた入口だけだ。しばらくしたら崩落が収まるように、予めゲンが設定してたんだよ。せっかく作ったアジトが勿体ねぇってな。あいつらしいぜ」
「ってことは……!」
エレベーター前にたどり着いた二人。開扉した先にはゲンスミスが立っていた。
「よう、お嬢ちゃん。一丁前に着飾ってんじゃねぇか。よく似合うぜ、ダーハッハッハッ!」
「ゲンさんまでっ! ……良かった!」
「ゲン、ちゃんと仕事は終わらせてきたんだろうな? あと、オレの刀は?」
「おぅ、受け取れ。安心しろ、ビルのシステムは乗っ取った。ガーディアンにも通報しておいたぞ。それとほれ、お嬢ちゃんの荷物と服だ。ドレスじゃ動きにくいだろう? 早く着替えな」
「着替えろったって、ここエレベーターだし、ゲンさんもいるし……」
「こんなときに人目なんか気にしてんじゃねぇ! 向こう見ててやっから、早くしやがれ!」
「は、はい!」
エレベーターは上階へと動き出した。
「全く一時はどうなることかと思ったぜ。俺がまず組織に潜入しねぇと始まらねぇのに出鼻挫かれちまってよぅ」
「ギガント姉妹の手を借りて、このビルに出入りしてる連中のリストをアップしてな。手頃なやつに変装して潜入したのさ。何とかここまで上手くいったが……おい、聞いてるか?」
「あぁ、ごめん……まだドキドキしてて。みんな、危険を冒してまでわたしを助けに来てくれたんだと思うと」
唇を噛み締めて俯くリリィ。髪に伸ばしかけた腕を、アビーが掴む。反対の手を彼女の頭に置き、強引に撫でた。
「バカやろう。何もオメーだけのためにここまで頑張ってきたわけじゃねぇ。これはオレたちのためでもあるんだからよ。お前はおまけだ、おまけ」
「おまけ……」
「これは復讐でもあり、過去との決別でもあり……別に正義感で動いてるわけじゃねぇ。やるべきことをやろうとしただけさ」
「着いたぞ。さっさとここからずらかろうや」
エレベーターが地上一階に到着する。先陣を切って、ゲンスミスが走り出そうとした。その肩を、一発の銃弾が貫いた。
「……ッ!?」
「どこへ行こうと言うのダネ、諸君?」
そこにいたのは、はるか下層にいるはずのゴーツだった。手には硝煙を吐くリボルバーが握られている。
「ゲンさん、しっかりして!」
「あぁ、俺は平気だ、ちくしょう……」
「おいおい、何でオメーがここにいるんだ?」
ゴーツの足元を見ると大理石の床が粉砕され、地下に続くであろう大穴が口を開いていた。
「まさか……地下から階層をぶち破ってきたのか!?」
「さぁ、少女を置いてユケ。これが最後の警告ダ」
「そうすりゃ見逃してくれんのかよ?」
「いや、貴様らは殺ス」
「何だそりゃ」
アビーは肩を竦める。
「無様に抵抗して死に恥を晒すカ、潔く命を差し出すカの違いダ。後者には敬意を表し、一撃で仕留めてやろウ」
「だったら両方とも拒否だな」
「とすると?」
「押し通る」
刀を構えるアビー。今度はゴーツが肩を竦めた。
「分からんナ。万が一にも吾輩を退け、ここを脱出できたとしよウ。しかしエリオットだけではない、“無欲な肌”を求める輩はごまんとイル。それでも貴様らは一生守り続けるというのカ?」
「……」
「人間の価値とは、その者が持つ技術や経験、容貌に由来する。“無欲な肌”の希少性は、この人体拡張社会において値千金の代物! その少女を無駄に生かしておくこと自体が、宝の持ち腐れというものダッ!」
「違うな。オメーらはあいつを商品だの貴重な存在だの持ち上げるけどよぅ。あいつにそこまでの価値はねぇよ。ただのクソガキさ」
ゴーツの主張を一蹴する。
「自分のことを何も知らねぇ、可哀想で、素直で、アホな普通の人間さ。そんなあいつにオレらは、オレらと違う、てめーの見た目に翻弄されない人生を送って欲しいだけなんだよ。だからオメーらには渡せねぇ」
「そうか……残念とは思わんゾ。これで心置きなく、貴様をぶちのめせるというものダッ!」
ゴーツの脚部が展開し、ロケットエンジンが始動。火炎が吹き上がった瞬間、超加速を伴う突撃を開始した。アビーは咄嗟に刀で防御する。しかし、ガガリサの右腕と比較にならない膂力に打ち負かされ、エレベーター横の壁に叩きつけられた。
「ダニー!」
「グ……ッ、まだまだぁっ!」
壁を蹴ることで加速をつけ、ゴーツへと肉薄する。居合の体勢をとり、柄のダイヤルを解放せんと握りに力を込めた刹那。
「甘いワァッ!」
ゴーツが柄尻に右拳を叩き込んだ。内側からの圧力と外側からの剛力。互いの力が拮抗する。それは抜刀の初動を抑え込まれたことを意味し--。
「ここダァッ!」
居合の不発という最大の隙を逃さず、左腕を繰り出す。アビーの横っ面に強打。仰け反ったことで露わとなった首元に、右腕のラリアットが追撃する。
「ガッ、ハァ……ッ!?」
アビーの体が垂直に落下する。まるで水面に零れた雫が放射状の飛沫を生むように、大理石の床が瓦礫と化して飛び散った。遥か遠くに見える天井。それを遮るように影が覆う。ゴーツの巨体が舞っていた。
「……ッ!」
全体重をかけた片肘が、胸部に深々と突き刺さる。瓦礫の軋みに混じり、硬いものが砕け、柔いものが潰れる不穏な音が鳴った。
アビーは言葉にならない呻きとともに吐血し、体を激しく痙攣させていた。
「この感触……なるほどナ」
ゴーツが左腕を伸ばす。アビーの首を掴み、易々と持ち上げた。これまで苛烈な猛攻を喰らい続けても手放さなかった刀が、落ちた。
「吾輩は勘違いしていたらしイ。貴様は病に蝕まれた体を完治させたとばかり思っていたガ……」
銃口を肩に押し当てる。
「貴様の居合はその速度ゆえ、肉体にかかる負荷は尋常ではナイ。それこそ生身では耐え難いレベルのナ……つまり!」
直後、爆音が五発鳴り響いた。
「グ、アァア……ッ!」
アビーは宙空で身悶えする。その足元に落下したもの。それは右腕としての機能を完全に停止させた“機械の義手”だった。
「え……っ!?」
リリィが絶句する。
「やはり……貴様もオートマンだったわけだ」
キャスケット帽ごとフードを脱がす。露わとなったアビーの頭部。それは金属の骨格に女性の面皮を張り合わせたような姿だった。
「イッテェなぁテメェ、クソやろ……!」
悪態を吐く間も与えられず、床に投げつけられる。苦悶すら間に合わず、腹部への蹴りが炸裂する。床を転がり、数メートルもの後方へと吹き飛ばされた。
「痛い、カ。解せんナ……なぜ“痛覚信号”を取り付けタ? 一度は苦痛から解放された身に、なぜ枷をつけたがる?」
「……枷ダァ? 全然違ぇよクソッタレ」
ゴーツの問いを一笑に付した。
「そりゃ叶うなら、普通の、生身の体で生きていたかったさ……でもできなかった。金がありゃ治せると聞いて、二人ですがった希望を踏みにじられて……この体を選ぶしかなかった。他に選択肢がなかったんだ! だからこそ仮初でもいい、痛みが欲しかった」
アビーはかつて絶望を味わった頃の心境を吐露した。
「痛みってのは、命の危険を知らせる大事な信号だ。それを取り払っちまえば、他人の苦痛にも鈍感になっちまう。全身をそっくりそのまま機械に作り変えたら、そいつは以前と同じ人間って言えるか?」
「……」
「『モチロンダ』--そう答えてくれたヤツがいた。オレは人間でありたい。そいつと同じ痛みを分かち合いたい。オレは……っ!」
「もうヨイ」
ゴーツは呆れた様子で言葉を制した。
「吾輩はそのような人間同士のしがらみを超えた存在でありたいと思い、この姿を受け入れタ。苦痛を退け、あらゆる攻撃を跳ね返すこの屈強な肉体こそ強さの象徴だとは思わないカ、フハハハハッ!」
ゴーツの哄笑が高らかに響く。
「痛みを知りたいと言うなら、教えてやろウ。安心シロ、一発で済ム。その端正な顔を傷つけるのは惜しいがナ」
照準器を取り付けた銃を差し向ける。アビーの額に赤いレーザー光が照射された。
「さらばダ、同胞」
「……!」
「ダメェエエエーーーッ!」
リリィの絶叫が、爆音をかき消した。アビーの頭部が大きく跳ねる。天井を仰ぎ、倒れ込む。体は完全に脱力し、後頭部からドス黒い液体が床に広がっていった。
「い……いやぁ……!?」
崩れ落ちるリリィ。爪を立て、頭髪を掻き毟る。大粒の涙が、床を叩いた。
「感傷に浸るのはいいが、それでは頭皮や髪が痛んでしまうダロ? 商品価値が下がってしまうのではないカ……」
「待ちやがれっ!」
ゴーツの正面に、ゲンスミスが立ちはだかる。
「嬢ちゃん、早く逃げな。時間稼ぎになるかは分からねぇがよぅっ!」
地下で一度は投げ捨てたリボルバーを構え、発砲する。鎧に命中するも、丸みを帯びた形状の装甲に弾かれてしまった。
「おお、見事な腕だナ。だがそれは吾輩のコレクション。返却願おぅ……カッ!?」
銃に手を伸ばしかけたゴーツが、何かを避けるように顔を逸らした。突如現れた怪光に、視界を一瞬奪われたのだ。
ゲンスミスが振り返ると、リリィが唇を噛み締めつつ立ち上がっていた。光の正体は、その手に持つ“Leat”からのレーザー光だった。
「ゲンさんこそ逃げて! わたしが捕まれば、それで……」
「バカなことを言うな、お前が無事じゃねぇと意味ねぇだろ!?」
「でも……!」
「フハハハハッ! 何かと思えばつまらんマネをするじゃないカ!」
彼女の小さな抵抗に、ゴーツが苦笑する。
「“Leat”カ。吾輩もたまに嗜むゾ。その色は何味だったカナ……?」
「チョコだよ、バーカ」
「!?」
頸部に衝撃が走り、硬直する。首の可動に干渉を受けつつ、強引に背後へ視線を向ける。
そこには、背中にしがみつくアビーの姿があった。額の弾痕から垂れる液体を舌で舐め取り、不敵な笑みを浮かべる。
「バカナ……頭を撃ち抜いたはず……なぜ動ケル!?」
「そりゃ、オメーらみたく脳みそが残ってたらの話だろ? うちの技師の腕舐めんじゃねぇ!」
その言葉に、ゲンスミスは誇らしげに笑みをこぼした。ゴーツは、直前のダニーの言動を思い返す。
『全身をそっくりそのまま機械に作り変えたら、そいつは以前と同じ人間って言えるか?』
「まさかキサマ、全身とは……脳すら機械に変えたという意味カッ!?」
「おうよ、それでもオレは……アビーっつう人間様だぁ、覚えとけっ!」
刀を握る左腕に力を込める。兜と鎧の隙間に差し込んだ刀身が、さらに深々と突き刺さっていく。
ゴーツの体には痛覚が存在しない。しかし内部回路やケーブルが切断され、体内機関がショートする感覚は、オートマンにとっておぞましき苦痛というほかなかった。
「グ、ギ、ガ、お、の、レェ……ッ!」
「つうかよぅ、どうしてくれんだぁ、テメェ……!」
慣れない左手で柄を一度、二度、三度と回転させるダニー。本来の居合の準備はそこで完了するはずだが、さらに四度、五度、六度と続けていく。
「この面だけはぁ、傷つけちゃいけねぇ預かりモンなんだぞ!」
ゴーツの背部から飛び退きざま、刀の機構を解放させる。直後、アビーの天地は翻った。抜刀の勢力は著しく、さながら竜巻の如く周囲を引き込み、切っ先に触れるもの皆等しく両断した。床も天井も空気も、そしてゴーツの鎧も。通常より高い圧力を加えたことで、居合をさらなる高みへと導いた結果だった。
回転が落ち着き、アビーが床に腰を打ち付けた頃には、ゴーツは人型を失っていた。
「アビー!」
リリィが駆け寄り、胸に飛び込んだ。
「アビー、良かった! やっつけたんだね、すごいすごい!」
「あぁ、何とかな……オメーもケガしてねぇか? さっきの居合に巻き込んじまってたらどうするかと思ったぜ」
「わたしは平気だよ! それよりアビーこそ傷だらけじゃん! 腕も取れてるし、頭も……」
「あ? これぐらいヘーキヘーキ」
額から流れる液体を、まるでケチャップを舐めとるかのように口に含んだ。
「ギットギトのベッタベタ。何とかオイル新発売! ってか?」
いつかのCMを思わせる仕草は、心配をかけさせまいとするアビーなりの気遣いだと、リリィは察した。
「悪かったな、リリィ。その内詳しく話そうかと思ったんだけどよ」
「なんで謝るの? アビーは二度もわたしを守ってくれたヒーローなんだよ?」
「……ハハッ。ヒーローねぇ」
照れ臭そうに笑うダニーを、ゲンスミスが担ぎ上げる。
「腕の一本や二本ぐれぇ、俺がいくらでも見繕ってやるよ! さぁ、とっとと出るぞ!」
「ゲンさん、肩大丈夫!?」
「構わねぇって、これくらい。むしろこいつが心配だ。オートマンとはいえ、ここまでボロクソに壊されちまってるとまずい! 一旦、痛覚信号をシャットダウンしねぇと、いやまずはオイル漏れを……」
「あぁ〜、クソだりぃ……」
ゲンスミスが自身の修復方法を模索しているのを尻目に、アビーは欠伸を噛み殺していた。
ふと、リリィからの視線に気づく。
「なぁに人の顔ジロジロ見てんだよ? まぁ、オレの面じゃねぇけど」
「ねぇ、アビー。さっき、預かり物だって言ってたよね? それって……あ!」
リリィの反応に、アビーはしたり顔で笑った。
「んじゃ合流するか……このツラの持ち主んところに」
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