第7話 エリオットには心がない

「--あれ?」

 窮屈な心地悪さを感じ、リリィは目が覚めた。それは精神的なものではなく、物理的に手足が拘束されていたせいだった。

「あれ? あれ!?」

「お早う、リリィ・ローリー。目覚めはいかがカナ?」

 リリィが仰ぎ見たのは、全身を鎧で固めた大男だった。

「え、え?」

「ああ、失礼。吾輩、ガーディアン統括衛士長ゴーツ・ガシャルダンでアル。お会いできて光栄ダ」

 突然の邂逅に、リリィはどう反応すればいいか分からなかった。

 ふと、視線の端に映ったものが気になり、改めて注視する。それは、手足を縛られた状態で横たわるアビーとフランキーだった。

「アビー! フランキー!」

「安心しな、眠ってるだけさ」

 そう耳元で囁いたのはゲンスミスだ。彼だけ拘束されていないことに、リリィは戸惑った。

「ゲンさん、どういうこと?」

「悪りぃな、嬢ちゃん」

 気づけばアジトには、ハイウェイの誘拐犯と同型のオートマン兵が数名たむろしていた。

「え、えっ?」

「やぁ、こんばんは」

 突然、目の前に丸坊主の男の顔が飛び込んできた。

「きゃあっ!?」

「あはっはっは、驚かせてすまない。一度、間近で見てみたくてね、うんうん」

 男は両手を上げて、一歩退いた。毛皮のコートを羽織り、宝石類を散りばめた派手な身なりではあるが、何より目を引くのはツギハギだらけの顔面である。

「はじめまして。僕はエリオット・ルマルシャン。君のさ」

「持ち、主?」

「いやぁ、ハイウェイから連れ去られたと聞いたときは肝を冷やしたよ。大々的に告知していた目玉商品が出品できませんなんてなったら、うちの信用に関わるからねぇ。どうやら日程を変更することなく、無事にオークションを開催できそうだ。いやぁ、安心安心」

 訳が分からないと、リリィが視線で訴える。それを察したゲンスミスが口を開いた。

「その御方は嬢ちゃんを拐った組織のボスさ。俺がここへ来るように連絡した。何で連絡先を知ってるかって? 俺の元雇い主でもあるからさ」

 ゲンスミスは口角を吊り上げた。今までの豪快な笑顔は見る影もなかった。

「それにしても、驚いたよ。うちの裏切り者として一度は去った技師団に戻りたいだなんてね。ここに来るまで半信半疑だったが……」

「約束通り、お嬢ちゃんを引き渡す。頼む、もう一度俺を技師団に入れてくれ!」

 エリオットに深々と頭を下げるゲンスミス。自身の情報を売ったのが彼だと知り、リリィは幻滅した。

「そんな……どうして!?」

「一時の迷いであの二人に手を貸したのが間違いだと気づいたのさ! いつまでもこんなしみったれた地下暮らしなんかしたくねぇんだよ!」

 まさかの裏切りに、リリィは言葉を失った。

「分かる、分かるヨゥ。確かに君は、技師団の中でも屈指の腕の持ち主だった。そのときの最上級の待遇を忘れられない……そういうことだろ? 賢明な判断だと思うよ」

 彼の申し出を、エリオットは拍手で受け入れた。

「いいかい、リリィ・ローリー? 僕は多くの顧客を抱えているんだ。中でも“無欲な肌”を一部分でも求める者は少なくない。僕の顔にも、“無欲な肌”が使われている。それだけ素晴らしい価値があるのさ、君にはね!」

 興奮した様子でリリィの肩を掴むエリオット。

「この人体拡張社会。身体改造によってオンリーワンの個性を追い求める一方で、旧人類の真っ新な肉体に回帰したいという者もいる。人の欲というのは難儀なものだねぇ。しかし、僕はその強欲にこそ答えたいのだよ! 分かるかい!?」

 彼の目は不気味なほどに爛々と輝いていた。その倒錯した価値観は、リリィには理解しがたいものだった。

「さて、商品は無事取り返した。優秀な技師も戻ってくれた。あとは足元をしつこく這い回るネズミ二匹をどうするかだが……」

 眠らされたダニーとフランキーに視線をやる。

「あぁ、そいつらはガーディアンに引き渡そうと思ってるんだ。ついでにいろいろ濡れ衣でも着せてやりゃあいい。そうすりゃ、ゴーツ。あんたがどうとでも……」

「待テ。吾輩はまだ貴様を信用していないゾ」

 ゲンスミスはゴーツを睨みつける。

「だったらどうしろってんだ?」

「エリオット殿。貴方が人皮を蒐集することを愉悦とするように、吾輩はアンティーク--それも武器をこよなく愛するクチでナ」

 ゴーツが鎧の隙間から取り出したのは、.44マグナム搭載のオートマチックリボルバーだった。

「1900年代の信頼できる逸品ダ。これを貴様に貸そウ」

「……どういう意味だ?」

「察しが悪いのダナ。これで二人を殺せと言っているノダ」

「!?」

 ゲンスミスの喉笛が大きく上下するのが分かった。

「どうシタ? ここで始末した方が遥かに手っ取り早いではないカ?」

「そ、それは」

「まさか銃の使い方が分からないのカ? それとも撃てない理由があるト?」

「う、うるせぇ! そこまで言うならやってやるよ!」

 ゲンスミスは拳銃をひったくると、大股で二人の元へと歩み寄る。その表情は青ざめ、唇は引きつっていた。

「ターゲットは二名。どちらも動くことはナイ。冷静に照準を合わせロ……」

 ゴーツは一歩後退し、腕を組んだ。ゲンスミスの動向を見守るつもりだ。

「……!」 

 彼の手は震えていた。アビーに向けられているものの、照準が定まっていないように見える。

「……チクショウ。そう上手くはいかねぇか」

 そう吐き捨てるようにぼやくと、銃を遠くへ放り投げた。

「貴様!」

「できないということは……そういうことでいいんだね?」

「ゲンさん……!」

 彼が裏切ってなどいないことが分かり、リリィの胸に微かな希望が芽生えた。

「こうなりゃ最終手段ってな!」

 ゲンスミスが懐を探る。

「おい、妙な動きをするト……」

「もう遅い」

 不敵な面構えで呟く。その瞬間、地下全体が揺れ動き始めた。

「貴様、何をシタッ!?」

「何年この地下で暮らしてきたと思ってんだ? 物騒な連中に攻め込まれたときのために、至る所に爆薬を仕掛けてある。今、その起動スイッチを押した。五分もありゃあ、ここは跡形もなく崩壊する!」

「おのれェ!」

 激昂し、殴りかかるも、落下してきた瓦礫に阻まれる。エリオットがリリィの腕を掴み、後退する。

「ゴーツ、退がれ! さっさと逃げるぞ!」

「ク……ッ!」

 ゴーツは渋々エリオットの指示に従う。一方、リリィは必死にその場へ留まろうと踏ん張り続ける。

「嫌、離してぇっ! みんながぁっ!」

「ええぃ、小癪ナッ!」

 リリィの抵抗虚しく、その短躯はゴーツの肩に軽々と担ぎ上げられた。なす術なく連れ去られる彼女を、ゲンスミスは茫然と見送っていた。その目はどこか寂しげだった。

「悪ぃな、嬢ちゃん。達者でやれよ……」

「ゲンさんっ!」

 アジトを抜けた直後、背後で一際大きな地鳴りが起きた。振り返ると、落石が入り口を塞いでいた。

「アビー! フランキー! 嫌ぁああ〜っ!」

 瓦礫にかじりつき、泣き崩れるリリィ。エリオットは慌てた様子で、彼女を引き剥がそうとする。

「こらこら、そこから離れなさい。顔が汚れてしまうだろ」

「ひどい、こんな……こんな別れ方……!」

「人生に別れは付き物だよ。安心しなさい、君はこれからたくさんの人間と触れ合うことになるんだからね」

 彼の慰めとも皮肉とも取れる言葉は、泣きじゃくる彼女に届いてはいなかった。

「ともかく、これで邪魔者はいなくナッタ。近頃嗅ぎ回ってるギガント姉妹がネックだが、奴らなど後でどうとでもナル。さぁ、出発しましょう。オークションは三日後でしたナ?」

「おお、そうだったね。準備を急がないと。いやぁ、忙しくなるよ。あはーはっはっはハッハッはははっ!」」

 嗚咽と涙をこぼしながら、リリィは再び担ぎ上げられる。皮肉にも腕を拘束されているために、悪癖が表面化することはなかった。

 エリオットの笑い声が洞窟内に反響し、まるで無力な自身への嘲笑に聞こえた。それらに耳を傾けまいと頭を振り乱すことのみが、彼女ができる精一杯の抵抗だった。

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