第2話 アビーは逃げない

「到着、と。ほら、さっさと降りろ」

 着いた先は、郊外の住宅密集地の一軒家。ガレージの壁と車の間隔は数センチほどしかなく、ドアを開く余裕すらない。

「あの、これじゃ出られない……」

「サンルーフから出りゃいいんだよ、こっち」

 アビーが天井を指し示す。それは人一人通れる大きさの穴に鉄板を被せたお粗末なものだった。

「サンルーフ……」

「ほらほら、さっさと行け。あとがつかえてんだ」

 鉄板を押し除け、“サンルーフ”を抜ける。頭上には梯子が備え付けられ、そのまま二階へ上る構造となっていた。

 そこは一目見渡すだけで間取りが把握できるほど窮屈なものだった。キッチンと冷蔵庫にテーブル、ソファと本棚がそれぞれ居心地悪そうに配置されている。リリィをテーブル横の椅子に座らせると、アビーは冷蔵庫を開いた。

「腹減ってねぇか? 何か食うか? 昨日の残りならあるぞ?」

 彼女の返事も聞かずに、取り出した料理をテーブルに置く。皿に盛られていたのは、肉と豆の煮込みだった。

「悪りぃけど、そのまま食ってくれ。レンジ故障しててな、ハハッ」

 続いてトマトソースの缶詰を取り出し、鼻歌甘じりに右手の親指を曲げる。すると、第一関節から鉤型の刃が飛び出した。そのまま缶の縁に刺し込み、手首のスナップを効かせながら開封していく。

 リリィが目を丸くしているのに気づくと、鼻先に突き出した。

「何だ? ツールの改造なんざ珍しくもねぇだ……あ、そうか」

 彼女の頭を引き寄せると、首筋や頭皮を乱暴に弄り始める。

「お前、がされてるな。人身売買に遭ったんじゃ、当たり前か」

「じ、人身売買? 誰がですか?」

 アビーはため息混じりに、缶詰の中身を皿へぶち撒けた。フォークでかき混ぜると、そのままリリィに差し出す。

「オメーだよ。組織に記憶を消去されたのさ。もし保護されてもペラペラ喋らせねぇためにな。身元が分からねぇと捜査の手も遅れる。その間に組織はトンズラってわけだ」

「そんな……わたしが?」

 困惑しつつ、角切り肉と緑豆の山をかき分けるリリィ。彼女は豆が苦手だった。

「オメー、名前は?」

「名前? えっと……リリィ・ローリー、です」

「オーケーオーケー。名前は覚えてると。生まれは“ガ”か?」

「がりがちゅあって……何ですか?」

「この都市の名前だよ。オメー、そんな基礎知識すら……待てよ。さっきオレの缶切り刃に驚いてたよな? あー……重度の記憶喪失だな、こりゃ」

 アビーは何やら思案し、テーブル上のリモコンに手を伸ばした。

「見知らぬ土地の文化を知るには、こいつを観るのが手っ取り早い」

 壁に据え付けられたテレビが明滅し画面が映った。陶器のように滑らかな肌を持つ美女が、こちらに向かって微笑んでいる。

『メイクも注入着色ももう古い--時代はワンタッチ』

 女性が自らの顔面を掌で覆い、弄るように動かし始める。すると白くきめ細かい肌が瞬く間に“紫”へと変色していく。

『真皮層に極小極薄のセンサーシートを埋め込むことで脳内の念波と連動。あなたの理想の肌色へと--』

 チャンネルを切り替える。

 ティーンエイジャーの少女が二人、じゃれ合うようにお互いの右目に指を突っ込む。取り出した眼球を、空いた自身の眼孔へと嵌める。

『友達と眼球シェアしない? オキュラスチェンジ!』

 チャンネルを切り替える。

 ロボットたちが軽快なダンスを披露した後、ジョッキを持ち上げる。

『疲レヲ知ラナイボクタチダケド!』

『エネルギー補給ハ必要サ!』

『パイプニ馴染ム、ギアニ馴染ム、ギットギトノベッタベタ! 天然由来オイル新発売!』

 グビグビと飲み干しているのはオイルだ。全く食指を動かされない。

 ふと横を見ると、フランキーが同じくジョッキを握っていた。なみなみと注がれた琥珀色の液体。仮面の口元を開け、隙間へ流し込んでいく。

 嗚咽をこらえるリリィの耳元でアビーが囁く。

「美味そうに飲むだろ? お前もどうだ?」

「遠慮しときます……」

 モニターに映る光景に、リリィは驚きを隠せなかった。いずれも公共の電波で流すにはあまりにショッキングな映像だからだ。

「大昔はアクセサリーだのピアッシングだのインプラントだので満足してたらしいが、今の“”じゃママゴトさ。人体改造がトレンドとなった現代、ああいうCMは珍しくもなんともない」

「いやいやいや、人体改造なんてまずいでしょ! すっごく痛そうですけど!?」

「痛覚除去手術や麻痺薬も売られてるから、そこんところはダイジョーブだ」

「全然大丈夫じゃないですよ! 聞いただけで怖い!」

 リリィは慌てて椅子から飛び退いた。

「そういえばあなたも、トラックに乗ってた人をバラバラに斬ってましたよね……わたしをどうするつもりですか!?」

「別にどうもしねぇよ。それにあいつらは平気さ。“”だからな」

「おーとまん?」

「ほぼ全身を機械に造り替えた連中のことさ。脳みそが無事なら首ちょんぱされようが死にはしねぇ」

 アビーは親指の缶切り刃で首を裂くようなジェスチャーを見せつける。

「えっと……要するに何ですか? ここはサイボーグの世界ってこと?」

「まぁ、そんなとこだ」

 リリィは頭を抱えて、座り込んだ。記憶を失う前の自分が、こんな奇妙な世界で暮らしていたとは思えなかったのだ。まさか自分も何らかの改造を施しているのではと思い、全身を撫でてみるが不審な点はない。普通の人間そのものだ。

「あの……アビーさん」

「あー、アビーでいいよ。フランキーのやつも呼び捨てでいいぜ。敬語もくすぐってぇから勘弁な」

「じゃあ……アビー。どうしてわたしなんかが誘拐されたの? 親がお金持ちだった、とか?」

「オメーの親がどうとかは知らねぇが、少なくとも身代金目的じゃねぇのは分かるぜ」

「どういうこと?」

「--99.85%。今の出生児に関するとある割合だ。なんだか分かるか?」

 リリィが首を横に振る。

「先天性の形態異常を伴って生まれた子の割合だ。症状の程度も色々あってな。頭蓋骨が角みたく盛り上がったり、体内にプラスチックや金属片が含有されていたり……ま、こいつに目を通せば分かるさ。オレらのジジィのそのまたジジィが鼻垂れだったもーーーっと昔の頃からまとめたやつだ」

 アビーが本棚から取り出したのは古い新聞のスクラップブックだった。

『異常児の出生率増加、社会問題化』

『環境汚染? 人為的な遺伝子操作? 神の啓示? 原因解明進まず』

『医療技術の進歩により、異常児の生存率上昇』

『彼らの個性、尊重を。差別反対運動、各地で活発化』

『健常児と異常児の出生割合、逆転』 

『健常者と同等の社会保障を。政府、法改正へ動く』--。

 見出しを追っていくと、当時の社会情勢の変化がよく分かった。読み進めると、年単位の浸透ではあるが他人と違う姿形を個性として受け入れようという風潮が広がっていったらしい。それはやがて性差や人種問題にも波及し、改善に取り組む動きが定着していった結果--今のようなファッション感覚や自己の確立のために気軽な改造を施すという価値観に至るわけだ。

「ここがどんな世界なのかはよく分かったけど、それならおかしくない? わたし普通の人間なのに、狙われる理由がないよね?」

「理由? 自分で言ってんじゃねぇか。その、どこ触っても突っかかりのない肌! カルシウムの骨! タンパク質で満ち溢れた、無個性な体! オメーはいわゆる“無欲な肌アルビニアン”っつう、現代において何ら特徴のない希少な“遺伝子疾患”扱いなのさ。そんなオメーの体に大きな価値を見出す連中もいる。今回、お前を誘拐した奴がそれだ」

 何もないことが希少。自分がこの世界、社会において異端な存在と知り、リリィは困惑した。町へ出れば奇異な目を向けられ、気味悪がられるのだろうか。想像するだけで、息が苦しくなった。

「それじゃあ……二人はなんでわたしを助けてくれたの?」

「あー、それなんだが……」

《オイ、アビー》

 フランキーの一言で何かを察したダニー。立ち上がり、神妙な面持ちで耳を澄ます。何重にも重なったサイレンが、家の外から聞こえてきた。

「来たか……」

《意外ト早カッタナ》

 アビーは気だるそうに窓を開ける。

 外には数台のパトカーが停まり、屈強な兵士たちがこちらを睨みつけていた。最前線に立つ金髪の女性がスピーカー越しに叫ぶ。

「あー、あー……聞こえるかしら? 私はガーディアン第十二支部衛士長、ガガリサ・ギガント。貴方たちは完全に包囲されている!」

「ほーいされている〜」

 隣では瓜二つの顔をした銀髪の女性が、熱心に何かを磨いている。

「あーあー、嗅ぎ付けられちまったか」

《ギガント姉妹カ。仕事熱心ナコトダ》

 顔馴染みか、それともこういった事態は日常茶飯事なのか、二人は平然とした様子だ。

「ギギルナ補佐。まだ終わらないの?」

 急かすガガリサに対し、ギギルナはマイペースに作業を続ける。

「あともうちょっと……うん、いい感じ。ほい、ど〜ぞ」

 彼女が差し出したのは、艶が出るほどに磨かれた眼球だった。ガガリサはそれを自身の空いた眼孔に嵌め込み、瞬きを繰り返す。

「よし……これでよく見えるわ」

 視界良好となったガガリサが、窓辺にいるアビーたちに気づいた。

「ご機嫌よう、アビー。ハイウェイじゃ派手にやってくれたそうじゃない?」

「ガガリサちゃん久しぶりだなぁ。今回はツケで頼むわ」

 それを聞いたギギルナがケラケラと笑った。

「ウフフ、ツケで見逃すなんて聞いたことな〜い。ねぇ、お姉ちゃん?」

「何度も言うけど、勤務中はガガリサ衛士長と呼びなさい? ギギルナ補佐?」

「は〜い承知しました〜、ウフフ」

「それと……勤務中の“Leatリート”も厳禁よ」

「は〜い」

「……?」

 素行を嗜められるギギルナ。だが彼女は下品に突き出した舌に、手に持つポインターから照射されたレーザー光を当てているだけである。その行為の意味を理解できないリリィは、不思議そうに見つめた。

「あいつらはガリガチュアの治安部隊“ガーディアン”の連中さ。本当はあいつらに保護されるのがオメーにとっちゃいいんだけどな。悪ぃがこっちに付き合ってもらうぜ」

 言うな否や、リリィを部屋の奥に押し込んだ。

「フランキー。リリィ連れて逃げろ」

《了解》

「え、ちょっとアビーは!?」

「オレの心配はいらねぇよ。ちょっとあいつらとくっちゃべるだけさ。それと」

 腰のベルトから刀を外し、フランキーに投げ渡す。

「こいつをゲンに渡しとけ、調整し直しとけってな! あと」

 リリィの手を取り、何かを握らせる。

「これ、やるよ。オレの形見だと思って大事にしてくれや。じゃ、また会おうな」

「……うん」

 アビーに見送られ、不安を抱えたままガレージの車に乗り込む。

「このまま外に出ても囲まれてるから、すぐに捕まりそうだけど……!?」

《問題ナイ。シートベルトハ……シテイルナ。デハ、行クゾ》

 窓際の壁に備え付けられたボタンを押す。すると、警告音とともに赤色灯の光がガレージ内を駆け巡る。

「なに、なに!?」

《アマリ喋ルナ。舌ヲ噛ムゾ》

「へっ?」

 リリィがその理由を聞くことは叶わなかった--ガレージの底が開き、車体が急降下したためだ。周囲の景色が暗転し、内臓が持ち上がる奇妙な感覚に襲われる。

「ひぇ……うげっ!?」

 悲鳴を上げる直前、車体は着地。その衝撃で、頭を天井に打ち付けた。

 ヘッドライトが点灯する。そこは地下洞窟が広がっていた。

《タイヤハ無事ラシイ。コノママシバラク進ムゾ》

「ふぁ、ふぁい……!」

 聞きたいことは山ほどあるが、とりあえず今は大人しくしておくのが賢明だと、リリィは悟った。

 ふと、アビーに持たされたものが気になり、確認する。歯車のキーホルダーがついたポインターだった。

「これ、何?」

《アア、“Leatリート”ダナ。舌ニレーザー光ヲ当テ、カートリッジニ応ジタ味覚ヲ楽シムノサ。嗜好品ノ一種ダ、試シテミロ》

 ギギルナが姉に窘められていた光景を思い出すリリィ。舌に向けてレーザー光を当ててみる。

「……甘い! チョコレートの味がする!」

「咀嚼モ嚥下モ消化モ必要ナイ。タダ、腹ハ満タサレナイシ、栄養モ摂レルワケジャナイガナ。煙草ノヨウナモノダ。間違エテ目ニ当テルナヨ》

「うん! フフ、こんな面白いものがあるんだね」

《アビーニ会ッタラ礼ヲ言ッテオケ」

「うん! また会えるかな……」

 リリィは窓の外を眺める。代わり映えのない、岩肌が後方へ流れるだけだった。

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