水色とピンク

増田朋美

水色とピンク

水色とピンク

その日は、11月らしく、しとしと雨が降って、静かな日だった。まあ、こういう日こそ、秋らしくて、のんびりしていると言えばいいのかもしれないが、相変わらず、製鉄所では、いろんな事情を抱えた利用者が、今日も勉強したり、仕事の一部をしたりするために、来訪しているのであった。

そんな中で、様子を見に、花村さんが製鉄所を訪れた。応対は、ジョチさんがした。

「あれ、この靴、又、見えているんですか?」

と、花村さんが言うと、ジョチさんは、ええ、とだけ頷いた。幸いなことに、先日の腕の傷はきれいに治っている。

「はい、時々というか、毎日ですが、来てもらっています。僕が、お願いしたわけではないんですけど、利用者からの希望が多くて、菅さんが自主的に来てくれるようになったんです。」

とジョチさんは、御礼するようなつもりで、にこやかに笑った。

「そうですか。私も紹介してよかったです。そういってくれるとうれしいです。」

花村さんがそういうと、

「いやあ、あの菅という人は、かなりのやりてですね。彼のおかげで、ハンガーストライキを繰り返していた儀間貴が、キチンと食事をするようになってくれました。今は、暇があったら、プサルターの練習に没頭しております。彼は、もともと、一つのことを極めるタイプだったんでしょう。もちろんそれが、現代社会に対応できるかというわけではないですけれど、すくなくとも、何もしない状態から抜けることはできましたからね。其れが一番悪いということは、誰でもご存じだと思いますから。」

と、ジョチさんは嬉しそうに言った。

「そうですか。其れは良かったです。そういわれると、私もうれしいですよ。でも、理事長さん、まだ浮かない顔をしていらっしゃいますが、また何かありましたか?」

そういう言葉を言われる割に、花村さんは、ジョチさんの顔に、一寸暗いものがあると思って、葬うことを聞いた。

「ええ、まあ、一難去って又一難ということはよく言いますが、水穂さんの容体がよろしくないんですよね。まあ、休んでいる暇がないというのが、人生というのかなと思って、僕たちは、そのまま

過ごしていますけど。」

「そうですか。それは難儀な。大変だとは思いますけど、理事長さんも、無理せず頑張ってください。」

花村さんはその答えを聞いて、ジョチさんを励ました。

「はい、ありがとうございます。」

と、ジョチさんらしい強気な答えが返ってきたので、花村さんは一寸安心した。

「きっと、水穂さんの事も、何か教訓にはなると思います。其れを願って、頑張っていきますよ。」

「そうですか。まあ、無理しないでくださいませ。ただでさえ、今年は大変なんですから、余計に無理しないでください。」

「いえ、大丈夫です。というよりそのようなセリフは、言えませんよ。医療者や福祉関係者だけが生きていられるという特権意識を与えることは、一番よくないですからね。」

「そうですか。」

花村さんは、単に心配しているだけの事だったが、ジョチさんは、それを跳ねのけるようにきっぱりと言った。

「理事長さん、お電話が入っておりますが。」

利用者の一人が、玄関先にやってきた。ああわかりましたと言って、ジョチさんは花村さんに軽く一礼して、応接室へ戻っていく。花村さんは、じゃあ私はこれでと言って、製鉄所から出ていった。

急いで応接室へ行って、ジョチさんは受話器をとった。

「はい、お電話変わりました。どちら様でしょうか。」

「あの、一寸お尋ねしたいんですが、そちらを利用したいと思っているのですけど。」

電話に出たのは、若い女性の声である。

「一体何ですか。仕事とか、そういうことですかね?」

ジョチさんがそういうと、

「ええ、今月から働くことになったので、その間、娘をあずかっていただきたいのです。娘は、中学生なんですが、近くの公立学校に在籍していますけど、学校には全然行っていなくて。それで、私が、働くことになりましたけど、それでは、家に一人ぼっちで置いたままになりますので、それでその間、そちらにいさせていただきたいのですが。」

と、相手の女性はそういうことを言うのだった。つまり、不登校になってしまった娘を預かってくれという内容だ。まあ、こういうところには、よくある話であるので、ジョチさんは、いつものパターンかと、わかりましたと言ってそれを承諾した。

「それで、利用者さんの名前は何というんですかね?」

と聞くと、

「はい馬場和子です。馬に場所の場、和風の和に、子どもの子です。」

と、女性はそう答える。

「わかりました。馬場和子さんですね。じゃあ、明日からでも構いませんので、連れてきてくださいませ。」

ジョチさんがそういうと、女性は、ありがとうございます、ありがとうございますと繰り返し言っている。きっとまたこれで大変な人が来るんだろうなとジョチさんは思った。多分電話をかけてきたのは母親で、たぶん、不登校になってしまった娘を、あずかってほしいという意図でお願いしてきたのだろう。最近の製鉄所はそういうことばかりである。でも、依頼されたんだから、仕方ない。いやでもちゃんと彼女たちを良くしてやらなくちゃ。とジョチさんは思うのであった。

「じゃあ、こちらにはいつ来られますか?」

「ええと、出来れば、今日の一時にお伺いしたいのですがね。」

ずいぶん早いなと思ったが、其れだけ悩みが深刻なのだろうということだと思って、ジョチさんは、じゃあ、一時にいらしてくださいと言った。

「ありがとうございます。それでは、その時間に伺いますね。よろしくお願いします。」

と、女性は、丁重にお礼を言って、電話を切った。ジョチさんはまた、利用者が増えるなあとため息をつく。満杯というわけではないのだが、誰か、人手を借りたいと思う。其れくらい、利用者たちは、話を聞いてくれる人、自分を見てくれる人を求めている。其れは、菅希望だけではとても足りないのだ。

そうこうしているうちに、午後一時になった。製鉄所には、インターフォンが設けられていない。それは口であいさつする感覚を養うためという目的が在るが、一般的な人であれば、一寸躊躇する可能性もある。

「どうもすみません。あの、馬場和子ですが。」

と、中年の女性の声がした。

「はいどうぞ、お入りください、お待ちしておりました。」

と、ジョチさんは、急いで玄関ドアに向かって言う。そうすると、ドアがガラッと開いて、二人の女性が現れた。一人は、先ほどの女性で、茶色のスーツを身に着けていたが、もう一人の女性は、水色のズボンに、ピンクの上着という姿であった。多分、娘だろうと思うのだが、年齢が何歳なのか、服の色から判断すると推量は難しいものがある。

「えーと、馬場和子さんですね。どうぞ、こちらへお入りください。」

と、ジョチさんは二人を応接室へ招き入れた。

「で、こちらの事は何でお知りになりましたか?」

どんな問題があったとか、彼女の主訴とか、そういうことはジョチさんは聞かなかった。其れは、一緒に活動していけば、いずれ露呈していくものであるから、今ここで言う必要はない。

「ええ、私が、ほかの利用者さんから聞きました。」

と、母親は言った。

「ほかの利用者って、誰の事ですか?ここに関しては、インターネットのホームページを設けてはいませんので、ネットで調べるということはむずかしいんですけどね。」

「カウンセリングの先生からです。仕事がなく、何もしないのなら、ここで少し勉強したらどうかって。それで、こちらを教えていただきました。」

一寸意外な答えだった。

「ええ、カウンセリングの先生が若い時に、こちらを利用させてもらっていたそうで、よくここで、カウンセリングの勉強を独学していらしたそうです。ここは、居場所を無くした人が集まって、ただ勉強するだけだけど、それでも、色んな人がいて、いろんなことを教えてくれるって。そんな施設があるのかなと私は、耳を疑いましたが、カウンセリングの先生は、絶対あるからと言って、連絡先を教えてくれました。」

「はあ、そうですか、、、。そうなった人物がいたんですね。確かに、何を勉強したかなんて、こちらでは全員分把握していませんし、中にはそういう勉強をしていた人もいるかもしれないな。それでは、そういうことにいたしましょう。まったく、皮肉なものですね。そうやって、援助者を名乗る人に、そういって、教えてもらうまでになったんですからね。」

と、ジョチさんは、そういったが、母親の表情を見る限り、そのカウンセリングの先生から、追い出されたということが見て取れた。多分、自分の域では見切れなくなったので、それで、彼女にここを説明したんだろうと思われる。

「ちなみに、その人は、池江という方ですが、理事長さん覚えていらっしゃいませんか。」

と、言われてジョチさんもやっと思い出した。確か、旧姓は池江ではなく別の名字だった気がするが、結婚して、カウンセリングルームを開いたというハガキを、池江という人物から、もらったことが在る。

「わかりました。じゃあ、通いということでよろしいですかね?」

とジョチさんが聞くと、

「ええ、それで大丈夫です。できるだけ、この子が前向きになれますよう、後押しをしてやってください。」

と、母親は言った。それでは、とジョチさんは彼女の顔を見るが、彼女は小さくなって、頭を垂れたまま、つらそうな顔をして座っているだけなのであった。きっと何をする気にもなっていないのだろう。もしかしたら、うつ病とか、統合失調症とか、そういうものに罹患した可能性も在った。そういう病名に対しては、ジョチさんは、あまり拘泥しないけれど、彼女はまさしく、そういうものを画像化したような女性だった。

「わかりました。まあ、最初はね、ネガティブなことを言うとは思いますが、次第に変わって来てくれることを、祈っていてください。」

「はい、わかりました。」

と、ジョチさんに言われて、お母さんは、覚悟を決めたようですぐに帰っていった。娘の馬場和子さんは、もう何もなくなってしまったという表現がまさにぴったりで、表情も落ち込みそのもののような顔をしている。

「とりあえず、食堂へ行きましょう。何か食べれば、あなたも安心してくれるでしょう。」

と、ジョチさんは、馬場和子さんに言ったが、

「はい、、、。」

と彼女は、そういうことを言うだけで、それ以上は何もしゃべらなかった。とりあえずジョチさんと一緒に、彼女は食堂に向かってくれたので、そのあたりは侵されていないらしい。精神疾患が重度になると、なぜ行かなければいけないんだと文句をいうひとが多くなるだけである。

「はい皆さん。新しい仲間が来ましたよ。名前は馬場和子さんです。仲良くしてやってくださいませ。」

とジョチさんは、彼女を食堂に入らせて、自分は応接室に書類を片付けに戻っていった。食堂には、二人の女性利用者と、例の菅希望、そして、儀間貴がいた。

「あ、新しい方が見えたんですね。お茶でもどうですか。えーと、紅茶と、緑茶、どっちがいいですかね。」

と、儀間貴がすぐに気が付いたようで、彼女にそういうことを言ってすぐにお茶を入れにかかった。確かに、彼は数日前の彼に比べたら、まったく明るくなっていて、そうやって他人の世話をするようになっている。其れはきっと菅希望さんの存在も大きかったのだろうが、なによりも、彼が、自分を変えようと努力を始めてくれたことは、喜ばしいことだった。

「あの、本当にどちらが飲みたいか、言ってくれませんか。どちらか差し上げますから。」

儀間がそういうことを言うが、彼女はぼそりとどちらでもといった。多分、落ち込みすぎていて、お茶なんか飲む気力もないということだろう。

「それでは、紅茶でよろしいでしょうか。紅茶は、体にもいいですし、香りもよくて癒されますよ。ここに来たときは、気を楽にしてくれて、ゆっくりしてくれていいんですよ。」

どうやら儀間貴は、自分が受け入れられたので、ほかのひとも、そうなってほしいと願っているような感じがした。そうなると職業選択も変わってくるだろう。最近はプサルターの練習に熱中しているというが、それを使って何か始めようと思ってくれたら、いいだろうなとみんな思うのであった。

「はい、こちらです。ここは何も怖いところではありません。なんでも、話してくれていいし、聞いてくれる人もたくさんいるし。ほら、ここにいる、菅希望さんだって、僕の話をさんざん聞いてくれて、それで僕はやっと、立ち直ろうと思うことができたんです。だから、あなたも何か暖かいものをまず飲んで、ゆっくりしてくださいよ。」

と、儀間貴は、お茶を馬場和子の前に置いた。でも、馬場和子は飲む気になれないようだ。

「よろしかったら、あなたも希望さんに服装とか、教えてもらったらいかがですか?僕はね、希望さんに服装を変えるように言われたんですよ。レスキューカラーという色を教えてもらって、其れはやってはいけないとか、逆に、ラッキーになれる色も教えてもらって。それをできるだけ身に着けるようにしたら、気持ちが明るくなって、すごく楽になれました。だから、あなたも、希望さんに、」

そういう儀間貴は、結構世話好きな男だ。もしかしたら、そういう世話好きなところを生かした仕事に就けたら、本領発揮してくれるだろう。

「ねえ、希望さん、僕の時と同じように、やってみてくださいよ。ほら、あの時、青とオレンジは悲しみの色だとおっしゃってくれたじゃないですか。それで僕は、ああ、うれしいなと思ったんです。そういうことを、ほかのひとにもしてやれたらと思うのですが。」

「そうですね。」

と、菅希望さんは、彼女の服装を冷静に観察した。

「えーと、薄いサーモンピンクと水色、それではヘンゼルとグレーテルのヘンゼルの色ですね。かわいらしいとか、無邪気とか、純真さを表していますが、逆に、平和な幸せを壊してしまうのではないかという恐れの色でもある。だから、彼女は変わる事に対して恐怖心があるのではありませんか。」

希望さんは、色が示す解釈を説明した。

「確かに、ピンクと水色は美しいと思えますが、そういう意味もあるんですね。変わる事って、何か恐れていることでもあるんでしょうか。」

と、儀間貴はにこやかに笑ってそういうことを言っている。

「儀間さん、あんまり人のことをああだこうだというのは、一寸よした方が良いんじゃありませんか?」

と、隣にいた女性の利用者がそういうことを言うが、

「いえ、ただ、父が先日亡くなって、あまりにも予想外の事だったので、これから母と二人どうやって生きていけばいいのかわからなくなっちゃって。」

小さな声で、馬場和子はそういうことを言った。なるほど、彼女が恐れていることはそれだったのか。儀間貴も、菅希望も、其れについてこうすべきだとか、そうしなければいけないとか、そういうことは一切言わなかった。其れよりも、そうなんだね。確かに、人は予想外に突然亡くなることもありますからね、とだけ言った。

「それでは、お辛いでしょうね、どうしたらいいのか、わからなくなりますよね。僕も、そういう時ありました。馬場さんとは一寸状況が違うけれど、学校に入ったら、全然勉強について行けなくなってもう、ただできないと叫ぶしか言いようがなくなっちゃって。それで、僕もここへ来たんですけどね、あの、水穂さんというすごく優しい人がいたし、こちらにいる菅希望さんも、僕のことをわかって下さった。だから、馬場さんも、そういうひとが現れるのを待つしかないときってあると思うんですよ。其れを、自分はダメだったと思うのではなく、いい人に巡り合えるための準備期間だと考えればいいんじゃないかな。」

「すごいですね。儀間君は。そうやって、人に言えるまでなるんだから。きっと成績が悪いなんて、何かの間違いだったんじゃないかしら。」

と、もう一人の利用者が、儀間貴にいった。ほんとうは、水穂さんに謝罪の言葉を述べてほしいと思われるが、其れは、まだいうことはできないと思われた。。

「まあ、成績が悪かったのは、事実です。僕は頭が悪くて、ダメな人間ですよ。でも、馬場さんは違いますよね。だから、あなたも、きっと何か新しいことができるようになるための、準備のためにそういう思いをしているんだと、思ってください。」

「そうですか、そうなると、儀間君の劣等感もむだではないということができますね。それで、自分のことをへりくだる姿勢を作ってくれるという事であれば、煩悩即菩提、欠点即長所、相田みつをさんはやっぱり偉いな。」

菅希望さんは、自分が尊敬している書家の名前を言った。

「そういうことですから、僕たちに、なんでもぶつけてくださいね。本当に、僕たちも不条理なことをたくさん経験していますから、こんなダメな人間でも、話を聞くことはできると思います。希望さんだって、専門的な知識もあります。みんなここにいる人たちは、苦労している人たちですよ。」

儀間貴がにこやかに笑ってそういうことを言っている。其れがうまくいけば、儀間もきっと立ち直れることができるのではないかと思った。男性という人は、意外にそういうところがまっすぐである。女性はそこの辺りが難しいが、男性は、何かつかめるということを一度体験すれば、スムーズに前へ進めるのだ。そうなると、どこのせかいでも男女がそろっていることが、大事なんだなと、みんな思った。

一方そのころ、ジョチさんは、食堂で儀間貴や菅希望がしゃべっている言葉を聞きながら、四畳半に行った。水穂さんは、相変わらず薬で眠っている。本来は、そうなってしまってはいけないと言われるが、せき込むのを止めるには薬しかないので、それを飲ませるしか、出来ることはないのだった。でも、儀間貴が、ああして明るくしゃべってくれるのを聞きながら、ジョチさんは、眠り続ける水穂さんにこういうのであった。

「水穂さん、あなたが一番最初に教えたことは、ちゃんと彼にも伝わっているようですよ。」



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水色とピンク 増田朋美 @masubuchi4996

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