第21話 迫る! 狂信者の影

弟の世話で日々を過ごしていたら、あっという間に月日は流れた。母さんはいい加減に返してくれないかしら? と言う面持ちで僕を見ている。


弟ということもあってすっかり自分で育てる気でいたが、この子はこの家のものだ。僕個人が好きなように扱って良いわけじゃない。

渋々ながら了承すると、何故か母さんは僕の頭を撫でていた。


「ごめんなさいね、お姉ちゃん」


母さんは僕を呼ぶとき名前ではなく姉という立場で呼ぶようになった。優先順位が変わったとかではない。

単純に弟が名前で呼び捨てしないように誘導しただけに過ぎない。


「いいえ。今まで触れ合う時間を奪い続けて申し訳ありません」

「いいのよ、産んですぐはわたくしの気分がすぐれなかったというのもあるの。それに予定ではもっと後に生まれる筈だったのに急に産気づいてしまって。お姉ちゃんが居なかったらもっと大変なことになっていたもの」

「母様……」


母さんは助産婦なしで弟を出産した。

手伝いこそしたものの、殆どが母の手解きで僕が対処した。

僕が優秀なマジックキャスターである事はバレてしまったが、息子の命が無事だったのと、僕が居たからこそ難産でも母は消耗が少なくて済んだ。

ポーションとかいっぱい使ってバイタルを安定させたからね。

弟の取り出しは僕自らやった。

だからこそ、生命の誕生に人一倍感動した。

そして僕もいつかこのようにして子を成す事を否が応でもわからせられた。女である限り付き纏う出産。

夜伽を致すのもいまだに抵抗あるのに、僕には難易度がいささか高すぎる。


「わたくしもいつか子を産み落とすのでしょうか?」

「その前にお相手が先ね。でも貴方は社交界に出してないからこれと言ってお相手が見つからないわ。どうしたものかしら」


そこなのだ。妹に偉そうに言ったが、僕は相手を選り好みできる立場にない。功績だけで言えば伯爵家になければならぬ存在。

しかし居続けるのは将来弟に迷惑をかけるしで姉としてはとても迷う。


「本当はずっとこの家にいたいのです。せっかくこうして家族になれたのに、離れ離れはあんまりです」

「そうね、できればそうして貰いたかったわ。アリシアは寂しがり屋だから、ここ数年は本当に助かったの。あの子もあんなに前向きになれて、錬金術師という貴族からしてみれば無能のレッテルを貼られるのも同然な道でも挫けず来れたのもお姉ちゃんのおかげよ」


抱っこした弟を腕の中でゆりかごにでも乗せたように揺らして、母さんは鼻歌を歌っている。

僕の抱っこもおんぶも体格差がそこまで変わらないのもあって、ここまで落ち着いた弟の様子は見たことがない。

やっぱり子供には親が必要なんだ。取り上げちゃダメなんだ。


「やはりアークは母様の腕の中の方が安心ね。表情が違うわ」


弟が笑うと僕も釣られてニコニコしてしまう。

母さんも笑顔だ。


「それでもわたくし一人ではままならないわ。またお手伝いしてもらえるかしら?」

「それは勿論!」

「ありがとう、弟思いのお姉ちゃんでよかったわね、アーク?」

「あーい」


タイミングよく返事が返って来たので、母さんと顔を見合わせて笑った。

まだ生まれて一年も経ってないのに、もう言葉を理解してるかのように振る舞う弟に、不思議と心の奥底が暖かくなる心地に包まれる。


「少し外に出て参ります」

「最近外出は控えていたでしょう? きっと驚くわ」


なんのことか分からなかったけど、適当に相槌を打って返事をしておいた。

さぁ、どこに行こうかな。


すでに身バレはしてるし、ヘイワードさんのところで久しぶりに揚げたてのメンチカツでも頂こうかとるんるん気分でいると、何故か周囲から異様に注目されていた。


一体なんだろうか?

全く身に覚えがないので不思議そうに首を傾げていた。

ヘイワードさんのお店に到着し、早速注文をする。


「あ、シーラ。ここで働くことにしたんだ?」

「えっ、トール!? なんでこんな所にいるのよ?」

「なんでって、僕が外に出たら何か問題があるの?」

「そっか、知らないのね。ちょっとこっち来てちょうだい」


シーラは僕の手を引いて従業員の控室に引っ張った。


「店長、女神様が降臨しちゃってるので簡単に変装させちゃいますねー」

「あー? 最近見なくて平和だと思ったのになんでこんな時に出て来たあのお嬢様」

「知りませんよ。そんな事は本人に聞いてください」


カツラやら眼鏡をかけさせられながら僕の変装が進められていく中、怒鳴り合うようにシーラとヘイワードさんの怒号が厨房と控室内に轟く。


「取り敢えずそのドレスは没収ね。はい、制服」

「僕客なんだけど?」

「いいから、あの狂信者どもが嗅ぎつける前に場所を移すわよ! 店長ー、ちょっと買い出し行って来ます!」

「おー、その世間知らずに世の中の変化を見せてこい!」


袋に包んだ数個のメンチカツと携帯用ソースを手渡され、僕の体はシーラの腕の中で宙を舞った。


「ひ、ぁー」

「あ、高い所ダメだった?」

「そんなんじゃないけど急には驚く」

「そうね、悪かったわ」


周囲を見回しながら警戒するシーラに、僕は何事かと尋ねる。


「さっきからなんなの? 僕が女神様だとかなんとか」

「あーそれ? なんでか知らないけど、あんたをこの世に舞い降りた女神様と奉る狂信者集団がいるのよ」

「なにそれ?」

「んなもんこっちが聞きたいっつーの。あんたに心酔する奴はそりゃ幾らか居たわよ。けど周囲の迷惑顧みず、顔見知り相手に根掘り葉掘り聞いてくるもんだからあんたの関係者全員良い迷惑よ。ウチの長も表情筋硬い方だけど、青筋プルプルさせてたもん」

「うわぁ」


僕は鳥肌を立てながら身震いした。

全く見覚えがないうちにそんな新興宗教ができてただけじゃなく、タチの悪いストーカーと化した教徒が街を練り歩いていると言うのだ。

おかげで治安は良くなったが、僕が自由に外に出歩けなくなった。溜まったもんじゃない。


「最初出会った時はすっごい迷惑したわ。セーレ? って国のお偉いさんより気持ち悪いの」


国と直接の関わりがあったのは長くらいで、シーラくらいの下っ端になると顔合わせくらいはあるけど名乗り出ては居ないらしい。その時の顔がそれはもう身の毛がよだつほどの醜悪さで人間とはお近づきになりたくないと誓ったそうだ。

なにしたんだよ、その国。エロジジイか。

メンチカツをもぐもぐしながら淡々と話を聞いている。


「しっかし、あんた本当に美味しそうに食べるよね。そんなに美味しい?」


パシャリ、とシーラがカメラを構えて僕の食事風景を捉えている。なにをしてるのだろうか?

この世界のカメラは僕が作り上げたものだ。世に出した時の名前は『写映機』。いわゆるデジタルカメラである。

取り込んだ画像を、専用のクリスタル映像機によって写真のように取り出しておくことができる。ずっと写しておくには魔石の交換が必要だが、その場で写すだけなら何度でも可能だ。

非常に高価なものなので、趣味人にしかウケないと思ってたが、貧乏人のシーラがなんでこんなもの持ってるんだ?


「ちょっとー、なにしてんの」

「いや、生女神様のご尊顔をついでに拝んでおこうかとね」

「やめてよ、シーラまで。僕がそういう柄じゃないって知ってるでしょ?」

「知ってるけど、だからこそこういうものが逃げ道になるのよ。そのためにもういくつか撮って良い?」

「まぁ、人知れず迷惑かけてたらしいから良いけど……」

「ありがと」


シーラはすっごい良い笑顔だった。

僕は屋敷までそのまま送られたけど、ドレスを回収してないことに気がつく。盗られてなきゃ良いけど。

狂信者と言えど、流石にそこまでしないよなと僕は高を括って屋敷に帰った。







とある場所の路地裏で、女が取引を行なっている。


「成果は?」

「あるよ、とびっきりのが。幾ら出す?」

「いくらでも積むわ」

「毎度あり」


片方は暗がりの中で光る猫のような目を持ち、もう片方は貴族令嬢のような豪華なドレスを身に包んでいた。


やりとりは映像記録の買い取りである。

猫のような女の取り出した写映機から、画像を取り込んで買い付けるのだ。勿論写映機の提供先も貴族令嬢からである。

貧乏人のシーラはこの手のひらサイズのアーティファクトが一体どれほどの価値を持つのか気にしていない。

知ってしまったら胸ポケットに入れるなんて愚行を冒さないはずだ。


「ああ、お姉様。食事風景一つとっても神々しいわ」

「ほんと、病的ね。姉妹なんでしょ、あの子と」

「最近お姉様は生まれたばかりの弟に構ってばかりで全然わたくしに構ってくれないのです。ああ、それと。ドレスはこちらで回収しますわ」

「家族に返すってーのに、絶対碌なことしなさそうで渡したくないんだけど? あの子を泣かせるような真似は辞めてよ? 一応私達の恩人なんだから」

「獣風情が随分な懐きようね。でも流石は姉様ですわ。人に劣る獣にも慈悲深い。ここは教典に記すべきね!」


貴族令嬢、アリシアがメモに走り書きをしている様を見て、どうして姉妹でこんなにねじくれてしまうんだろうね、とシーラは夜空を仰いでいた。


天にはそんな些細なことなど気にしないように、星々が自己を主張するように大きく輝いていた。

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