第12話 日常への帰還
その日はアリシアへの宿題を残して宿へと帰った。
アリシアへの授業は週に一度。伯爵邸に赴いての授業となる。
今までは特に目的意識もなかったアリシアが、急に物分かりが良くなったとメリア様も喜んでいた。
それとメイドさんたちに保水パックは大好評だったそうだ。
まさかメリア様を差し置いて追加発注してくれるとは思わず、半笑いを浮かべてしまったほどだ。
そして新しくもらったこのドレス。着てく場所がないのでいつも通りマジックバックに片付けた。
僕のマジックバックは大した重さは入らないけど、種類はたくさん入れられる特注品。
魔道具でお金を使わないから買い込むのは材料だけで良いので非常に安上がりだ。
最上級ポーションを作ろうものなら眼玉が飛び出るほどの金貨を支払わなければならず、そこまでいくと貴族の遊びの範疇を超える。
本格的にそれで財産を築ける人じゃなきゃ手が出ない一品だ。
僕の場合は全部ハンドメイド……掌の上で再現できてしまうので、上位錬金術師に仕事を見せるのはお断り願いたいところなのだ。
絶対に喧嘩になるとわかっているからね。
宿に帰ると見知った顔があった。
「確かおじさんは……」
「おじさんは辞めろ。俺はまだ二十代だ」
確か領主様の弟……にしては老け顔の冒険者だったか。
「お前が帰ってきたってことは、姪っ子は落ち着いたか?」
「なんだ、心配だったの? だったら付いててやればいいじゃない」
「俺はあの家を出ている。そんな奴に用もなく居座られたら迷惑だろ?」
「その割にはアリシア様には随分と慕われてるようじゃないか?」
「あの子は冒険者に幻想を抱いてんだ。綺麗事ばかりじゃないんだけどな」
「へぇ」
錬金術以外での話にこの男の話が非常に大きい割合を占めていた。姪っ子を可愛がる叔父というのはどの世界でも同じらしい。
そしていうだけあってそれなりの修羅場を乗り越えてきたのだろう。
男……確かアッシュだったか? は表情を曇らせて遠い目をしていた。
「それで姪っ子はお前に何を催促した?」
「週に一度、錬金術を教えてやることになった」
「あの飽きっぽい子が錬金術か。義姉さんの話じゃ飲み込みが相当悪いという話だろう?」
一人の言葉を聞いて鵜呑みにしてるようじゃたかが知れてるな。
僕は鼻で笑いながらアッシュを見上げる。
「いや、あの子は光るものがあるよ? 僕が磨けば彼女はより高い錬金術の門を開くことになるだろう」
「そんなにか?」
「そんなにだとも。ただ、僕の錬金術は周囲のものとは着眼点が違う。もし彼女が貴族の地位のままそれを発表すれば騒ぎが起こるだろう。その時の露払いは頼むよ?」
「お前、うちの姪っ子に何を仕込むつもりなんだ?」
「ポーションだよ。ただ普通のではない。色、艶、香りを自在に操り、社交界で必須になりうるだろう香水をあの子に教えるつもりだ。僕の身分で売り出すには色々と都合の悪いものを作ってもらおうと思っている」
「確かに今この宿でおいてるポーションはうちの実家以外に漏れれば騒がれるな。それをあの子に教えて何を狙う?」
アッシュの目が鋭く光った。
「何も?」
「何? 特になんの狙いもなく技術を託すというのか?」
「強いて言えば彼女の純真さにかけているんだ。錬金術はね、売れるとわかればどこかしらで絶対に欲に負けてしまうものだよ。だから誰にでもは教えられない」
「じゃあ姪は……」
「うん、教えるに値する人物たりえた。それだけだ」
「そうか。だったら彼女に希望を見させてやってくれ。魔法適性の低いあの子は貴族として上にいけない。だから俺なんかに憧れちまってる。どうか頼む」
アッシュは必死に暑苦しい顔を近づけてくる。
そんな彼をシッシッと追い払うように手を払い、悪態をつく。
「だからおじさんに頼まれなくてもやるってば。アイディアはたくさんある。けど現状僕の手一つじゃ回らない。僕は彼女を助手に置いてたくさん新しい錬金術の形を教え込むよ。ついてこれるかはあの子次第だよ」
「偉く買ってくれてるじゃねーか」
「そりゃもちろん。僕から弟子にしたいと初めて思った子だからね」
「駆け出し商人の癖に偉そうに!」
言いながらも笑うアッシュ。
僕もつられて笑った。
そうだ錬金術の腕がどんなに凄かろうと、商人としては駆け出しもいいところ。
「だが、威勢のいい奴は嫌いじゃねーぜ?」
不意にグリグリと髪をかき混ぜぜられる。
男は女にこういう扱いをしたがるが、された方はたまったものじゃない。
「お前……せっかくリネア様にセットしてもらった髪が台無しじゃないか……」
「わ、わりぃ」
引き合いに出した名前に本気で恐怖を覚えたのか、アッシュの口元が引きつっていた。
「冗談、僕なんかにリネア様が直々に手入れなんてしてくれるわけないだろ?」
「この、騙したな!」
掴みかかろうとしてくる手をひょいと潜り抜け、僕はダッシュで自室へと駆け上がった。
階下でアッシュが憤った後、苦笑していた。
僕はそれを尻目にんべっと舌を出して扉を閉める。
日常がほんの少し賑やかになった瞬間だった。
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