第58話 本番

週末の日曜日。

俺は、都内某所にあるイベントホールに来ていた。


タッタッ


「えっと、ここか」


目の前に立っているのはかなり大きな筒状の建物。

正直、想像以上の大きさだ……。


今日ここで行われるのは、アニメ『アニマルふれんず』のトークイベント。

今から、俺はここで数百人のファンの前で姫宮さんと喋ることになる。


「……ふぅ」


俺は呼吸を整えて背筋を伸ばす。

よしっ、行きますか——


「うおっ」


歩き出そうとした瞬間、視界が何かで覆われて真っ暗になる。

な、なんだ?


「ふふっ、だ〜れだ?」


後ろから聞こえてくる天使のような声。

この感じは間違いなく……


「……何してるんだ。しおり」


「ふふっ、バレちゃいましたね♪」


振り返ると、そこにいたのはいたずらっぽく微笑みを浮かべながら俺を見てくる姫宮さん。


「……」


なんだか緊張してしまう。

分かってはいたが、目の前の少女は業界のトップを走るアイドル声優。


いや、マジか……。


「そういえば、こうして会うの結構久しぶりですね」


姫宮さんとこうして面と向かって会うのは、『俺カノ』の最終話の収録日以来。


「えっと、打ち上げの時以来だよな?」


俺がそう言うと、姫宮さんは急に恥ずかしそうな様子で顔を赤らめて俯いてしまう。


「あ、あの……。その時私変なこと言ってませんでしたか?」


「へっ?」


「お、お酒を飲んだ後の記憶がなくて……」


収録後に2人で行った焼肉屋で、姫宮さんは店員が間違えて出したウーロンハイを飲んでしまったのだ。


まあ、確かにあの時はかなり酔っ払ってたからな。


「そ、そうだな。たしか『エレナがずるい』とかなんとか……」


お酒のせいだろうが、本当に意味の分からないことを……。


「えっ?う、うそ!?」


すると、姫宮さんは驚いた表情で狼狽えている。


「ど、どうしたんだ?」


タッタッ


ギュッ


なぜか距離を近づけて俺の手を両手で優しく包み込んでくるしおりん。

えっ、ど、どういうことだ?


「わ、忘れてください……」


そう言って、泣きそうな表情で上目遣いに俺を見つめてくる姫宮さん。

は、破壊力が高すぎて俺の心臓が……。


「わ、分かったから。うん。と、とりあえず離れようか」


「ほ、本当……ですか?」


「あ、ああ。忘れる。忘れるから離れような?」


くっ、マジでこの状況はまずい。


あのしおりんが俺みたいな陰キャと絡んでいるのを周りの人に見られたら————


「おい、あれってなんかの撮影?」


「いや、でもカメラとかないしな……」


「でもどう見ても2人とも芸能人だろ」


ザワザワ ザワザワ


気づけば周りに人だかりが出来始めているこの状況。

くっ。ど、どうすれば……。


「……姫宮さん、行きましょう!」


「へっ?は、はい」


タッタッタッ


俺は姫宮さんと、人だかりから逃げるように楽屋へと向かったのだった。

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